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第9話 恋なんか
ほとんどの病棟での二次会はカラオケかボーリングが定番だ。前回がボーリングだったので、今日はカラオケだろう。スタッフの三分の一は一次会のみで帰ったが、ほとんどが二次会に行くことになった。カラオケは、居酒屋から歩いて行ける距離にある。
光はビールを二杯ほどしか飲まなかったのでまだまだしっかりしていたが、スタッフの半分くらいはいい感じに酔っぱらっていた。
「三澄さん、カラオケは好きですか?」
ひとりで歩いていると思っていたが、すぐ隣に大谷が歩いていた。声を掛けられるまで気が付かなかったので、自分もけっこう酔ってるのかな? と思った。
「嫌いでもないけど、歌える曲は決まってるっていうか」
「そうなんですね。ちなみに俺はけっこう得意です」
「それは楽しみです……あっ!?」
突然道路のくぼみに引っかかり、光は前につんのめってしまった。
「危ない! 足元が少しふらついてますよ、俺に掴まってください」
「あ、ありがとうございます……そんなに飲んでないんだけどなぁ」
ナチュラルに腕を差し出されたので、光はお言葉に甘えて大谷の腕に掴まった。
《ドキッ》
触れたとたん、心臓が大きく高鳴った。
(うわ、うわわわ、ずっと触ってみたかった大谷さんの腕が! 服の上からでもわかる、やっぱり筋肉すごい……硬い……)
《ドキン、ドキン、ドキン、》
(あーもう落ち着け、俺の心臓! 不審に思われるだろー!)
光の焦った気持ちが空気で伝わったのか、二人の姿を見た師長と小泉がからかってきた。
「あら? あらあら~? あなたたちってやっぱりそうなの!?」
「ちょっともう、二人で消えちゃえば?」
「足元おぼつかないんで腕を借りてるだけです! 大谷さん、みんな酔っ払いなので気を悪くしないでくださいね」
「ははは、俺は全然気にしてませんよ」
「……」
大谷は焦る光とは対照的に平然としており、光はこのとき初めて大谷が自分よりも四つも年上だということを意識した。今まで意識していなかったわけではないが、からかわれても笑って受け流せる態度がひどく大人に見えたのだ。
(でも、まったく脈が無いから受け流せてるともいえるな……)
自分は服ごしに大谷の腕に触れているだけで、こんなにドキドキしているのに。これではまるで……
「やっぱり、ひとりで歩けます」
「え、別に掴まってていいのに」
「だいじょうぶです、気を付けますから」
(ノンケなんて好きになっても、しょうがないだろ……)
恋をしても絶対にかなわないと最初から諦めているから、今まで仕事に没頭してきた。さいわい、今まで恋に落ちそうだった人と出会ったことはない。
(いやうそだ、新人のとき臨床工学技士の二宮さんにちょっとときめいてたな……恋と呼べるまでにはいかなかったけど……)
師長たちが『なんか余計なこと言っちゃったね』などと言っているが、別に余計なことなんて言われていない。むしろ、気付かせてくれてありがとうという気持ちだ。
(仕事も満足にできないのに、恋なんてしてる場合じゃないんだ、俺は)
「三澄さん」
「あっ、なんですか?」
「いや……なんでもありません」
大谷が何かを言いかけたが、仕事関係のことではないだろうと思い、光はそれ以上は追及しなかった。
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