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生家がなくなり、九年が経った。はやいなと、凪裟は思う。
二十歳になった。本来なら、もう結婚をして子どももいただろうかと、あったであろう未来を想像する。
だけど、それは幸せだっただろうか──そう思ってしまうのは、絶賛片想い中だからだ。
日付の変わる深夜零時、凪裟はその片想いの相手を呼び出していた。来るかはわからない。返事を聞かずにメモだけ渡して逃げるように走り去った。
こんな回りくどいことをしなければ、ふたりでゆっくりなど話せない。来るかと返事を聞こうものなら、この場で用件を言ってほしいとも言われかねないと想像できた。
生家を失って悲しみに暮れていたころ、この城で迷子になった。待ち合わせはその場所だ。先日、偶然ここに辿り着き、当時を鮮明に思い出した。
片想いの相手はそのときに出会い、助けてくれた人。凪裟よりも二歳下だが、出会ったころからしっかりしていた。傭兵としてこの城に籍を置くその人とは度々会う機会があり、二言、三言話し続け友人になれたが、進展はない。
彼が戦いに出る度に心配していたが、無事に生き残り剣士の最高峰となった。戦いがあちこちで起こっていたが、彼のお陰で平和になったと言われるほどだ。今は姫の護衛をしていて、戦いに出ることもない。
その影響だろうか。
彼はやさしくなった気がする。──特に、姫に。ただ、姫と護衛の恋愛はご法度だ。彼が理解していないわけがない。
凪裟自身の年齢もそうだが、彼が今年、結婚できる年齢になると思ったら、居ても立っても居られなくなった。彼の師である大臣が彼に縁談を持ち込んだら、無関心に了承するかもしれないと想像してしまって。
だから、ゆっくりと話したかった。恋愛対象ではなくても、友人というのが有利に働くかもしれない。その僅かな可能性にかけてみたいと行動した。
コツコツとちいさな足音が聞こえ、凪裟は背筋を伸ばす。
「あ……」
近づいてくる姿は、間違いなく彼だ。
「こんな時間に、こんな場所で……どうしたの?」
「だって……沙稀とゆっくり話すなら、こうでもしないと時間が作れないんじゃないかと思って……」
目を泳がす凪裟に対し、彼──こと、沙稀は苦笑いをした。
「確かに、そうかもね」
こうして並べば、いつの間にか見上げるようになった。いつからだっただろう。二年前くらいまでは同じくらいだったはず。
「なに?」
この二年ほどで、急激に大人になったと凪裟は見とれていた。言わなければと声を出そうとしても、決意したはずなのに、声が出ない。
その様子を見てか、沙稀は凪裟から視線を外した。
「懐かしいね、この場所」
覚えてくれていた! と喜んだ次の瞬間、
「今日は迷わずに来られた?」
なんて笑い、意地悪を言う。凪裟が口を一文字にしてうつむくと、沙稀は爽やかに笑った。
「珍しい……そんな風に冗談を言うなんて」
「凪裟が緊張しているからだよ。呼び出しておいて」
「告白しようとして、緊張しない人なんて……」
ハッとし、言葉を止める。──が、時間は巻き戻せない。目を丸くして驚く沙稀は、ようやく状況を把握したようだった。
「ごめん、俺……」
「あ、あの、その……そう! あのね、返事は急がないから! 今じゃなくていいから! ゆっくり……よければ考えて、みて?」
苦し紛れに凪裟は言う。すると、沙稀はすっかりと口を閉じた。
「ね?」
可能性が低いことは初めから百も承知だった。%で例えたら小数点がいくつもつくことだろう。だけど、その極僅かな可能性にでもすがりたい。
「ゆっくり……」
沙稀が口元に手をあて、長考している。凪裟はここぞとばかりに、
「そう! ゆっくりでいいわ!」
と、返事を先延ばしにする。考えてもらえるのなら、可能性があるかもしれないし、何かが起こっていい返事がもらえるかもしれない。
凪裟の期待に応えるように、沙稀はわかったと言い、凪裟は喜んだが、
「ゆっくり、一ヶ月考えてみる」
と、言ったのは予想外だった。
こうして、凪裟の長い長い一ヶ月は始まる。初めの数日は断られたわけではないと前向きだったが、見かければはやく返事がほしいと思い、一週間後に会ったときには忘れているのではないかと思うほど沙稀は通常稼働だった。
モヤモヤとし、いっそ断られた方がよかったのではと後悔になる。毎日一緒にいる姫を羨ましく思う。生殺しだと思う。ますます、沙稀は姫に気があるのではという思考に陥る。
自業自得だ。
他に取られたくないと焦った。玉砕したあとのことを考えなかった。返事を聞いていない今はまだ友人を継続できているが、断られたら友人でもいられなくなるかもしれない。
沈んだまま、また一週間が経った。
あんなに目で追っていたのに、見たいのに怖くて見られなくなった。
ハッキリと断られていないのに、すっかり振られたようになり、悲しくなる。このまま話せなくなるのかもしれないと思っていたら、沙稀に出会い、元気がないと言われた。誰のせいかと思う反面、気にかけてくれたとうれしくなる。なかったことにしてほしいと言いたくなったが、
「忘れて……ない?」
と聞けば、
「しっかり考えているよ」
と、悪そびれることなく言う。
正直、狡い。
一言で凪裟はかんたんに期待してしまう。
「ありがとう」
感謝を述べ、もう催促はできないと腹をくくる。──どこの世界に、こんな生真面目な男がいるだろうか。沙稀は本当に一ヶ月間、凪裟との関係の今後を考えているのだ。
「二週間後に、また同じ時間に同じ場所で」
とまで、律儀に沙稀は約束をしてきた。
それからは、花びらを一枚一枚数えるように日付を数えた。こんなに時間を早送りしたいと思うのは、金輪際ないだろう。それほどまで、凪裟はどっしりとした二週間だった。
そうして、約束の日を迎える。
真夜中の零時前、凪裟が一ヶ月前と同じ場所に向かうと、すでに沙稀がいた。そして、
「考えたんだけどさ……」
と、出会い頭から切り出す。
嫌な予感がして凪裟は言葉を遮ろうかと思ったが、二度の延期はできない。表情の固めた凪裟に、沙稀は淡々と言う。
「ごめん、結論は変わらなかった」
「そ……っか……」
やっぱりね、なんて言い、凪裟は笑う。そうして、ごめん、ごめんと繰り返す。すると、沙稀はどうして謝るのかと言い、
「ありがとう」
と言った。
「こんな俺をそう思ってもらえるのはありがたいと思ったし、何より……考えないようにしていたことにも、しっかり向き合えたよ。機会がなければできなかったことだ」
だから、ありがとうと、沙稀は頭を下げた。
凪裟は慌てて頭を上げてと言う。沙稀は頭を上げると、
「それじゃあ」
と背を向けようとし、凪裟はまた慌てて止めた。
「待って! ……その、やっぱり……恭良様が好きなの?」
「あり得ない。姫と護衛の恋愛はご法度だ」
きっぱりと否定した沙稀に、凪裟は苦笑いする。気持ちは何かで縛れるほど、聞き分けのいいものではない。でも、それを言ったところで返事が好転することはないだろう。それなら、今後の関係も良好でいたいと凪裟は言う。
「これからも、友達で……いて、くれる?」
一瞬、驚いたような沙稀は、ふと表情をやわらげた。
「こちらこそ。そうしてくれたら、ありがたい」
ふわっと凪裟の心は霧が晴れる。
「ありがとう。これからもよろしくね」
凪裟の言葉に、沙稀が微笑む。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
沙稀の背を凪裟は見送る。そうして、一ヶ月も考えてくれた誠意に感謝し、凪裟の心はあたたかいもので満たされた。
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