まだふたりが『恋』と気づいていないときの物語

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 最高位の城の姫──恭良(ユキヅキ)の護衛が変わってから三ヶ月。護衛の剣士、沙稀(イサキ)は中庭の花に埋もれそうなクロッカスの色を見つける。真っ白のドレスに、肩までのクロッカスの髪。うしろ姿だが、華奢でちいさな体は恭良(ユキヅキ)で間違いない。  近づき、様子をうかがうと──何かを書いているようだ。 「(ユキ)姫、何を書かれていらっしゃるのですか?」  一瞬、幼い体がびくりと跳ねた。 「あ……沙稀(イサキ)……」  振り向いた恭良(ユキヅキ)は口元を冊子で隠し、大きなクロッカスの瞳で沙稀(イサキ)を映す。元々、恭良(ユキヅキ)が見ていたものを覗き込めば、そこには白くてちいさな花が集まるようにしていくつも咲いていた。 「この花……を、描いていたのですか?」  それは、一ヶ月前に沙稀(イサキ)が好きだと示した花。  恭良(ユキヅキ)はうなずき、恥ずかしそうにポツリポツリと話す。 「うん……前に日記を勧められて……それで……」  それで沙稀(イサキ)の好きだと言った花を描いていたのだとしたら、沙稀(イサキ)にとってこの上なく不思議な話だ。沙稀(イサキ)は首を傾げる。 「日記……ですか。もし、よけろしれば見せて頂けますか?」  恭良(ユキヅキ)の目が更に大きく見開かれ、 「見ても、きっと……わからない……よ?」  と言う。  恥ずかしそうなその姿に、沙稀(イサキ)は頬がゆるんだ。 「たぶん、ですけど……わかりますよ」  根拠のない自信を言う沙稀(イサキ)に根負けしたのか、恭良(ユキヅキ)はおずおずと冊子を開く。十cm前後の身長差は、沙稀(イサキ)が覗き込めば大差なくなる。そうして、ほぼ恭良(ユキヅキ)の目線と同じ高さで沙稀(イサキ)が開かれたページを見れば──そこには恭良(ユキヅキ)が言うように理解不能な線が散らばっていた。  日記──と恭良(ユキヅキ)は言っていたはずだ。けれど、どこにも文字らしきものはない。そうとなれば、最初に沙稀(イサキ)が言った通り、恭良(ユキヅキ)は『描いて』いたのか。  沙稀(イサキ)はじっと食い入るように見、恭良(ユキヅキ)は固唾を飲む。 「ね? よくわからない……でしょ?」 「はい」  即座に言う沙稀(イサキ)に対し、恭良(ユキヅキ)は諦めの表情を浮かべる──そのとき。 「この絵を、『よくわからない』とおっしゃる意味がわかりません」  うつむきかけた恭良(ユキヅキ)が顔を上げ、沙稀(イサキ)をじっと見る。 「このはっきりと描かれている部分は影。消えていて見えない部分は光。流れるように表現されている点は風の揺れ……こんなに素晴らしい表現をされた絵は、見たことがありません」 「うそ……どうして……」  戸惑う声に沙稀(イサキ)が絵から視線を動かす。すると、恭良(ユキヅキ)は瞳いっぱいに涙をためていた。 「(ユキ)姫?」 「私、日記を勧められて……でも、何を書いていいのかわらからなくて……絵を描いて、勧めてくれた人に見せたの。……でも、何を描いたかまったくわかってもらえなくて、また別の絵を何枚も描いて、それでも、わかってもらえなかったのに……」  ポロポロと涙を落とし始めた恭良(ユキヅキ)の手から冊子──日記を沙稀(イサキ)は受け取る。 「(ユキ)姫は、こうして絵日記を描いていたのですね……。絵は、決められたように描かなくていいんです。正解も間違いもありません。ただ、俺はここに描かれた絵は、どれもとても美しく見えます」  パラパラと沙稀(イサキ)はページを捲り、恭良(ユキヅキ)はポタポタと流れる涙を拭った。 「そうだ、(ユキ)姫」  パッと沙稀(イサキ)は明るい声を発する。  涙を拭いていた恭良(ユキヅキ)沙稀(イサキ)を見上げた。 「今度、キャンバスに描いてみませんか?」 「え?」 「(ユキ)姫が周囲の目を気にされるなら……特別な場所を用意しますから」  沙稀(イサキ)は嬉々として言う。  恭良(ユキヅキ)はしばらくぼんやりとしていたが、 「また……沙稀(イサキ)が見てくれるなら」  と、目元をキラキラとさせて微笑んだ。  こうして、恭良(ユキヅキ)は絵日記を卒業した。  そして、ふたりはふたりだけの秘密を共有することになる。  これは、恭良(ユキヅキ)が十二歳、沙稀(イサキ)が十四歳のときの、まだふたりが『恋』と気づいていないときの物語。
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