1人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
最高位の城の姫──恭良の護衛が変わってから三ヶ月。護衛の剣士、沙稀は中庭の花に埋もれそうなクロッカスの色を見つける。真っ白のドレスに、肩までのクロッカスの髪。うしろ姿だが、華奢でちいさな体は恭良で間違いない。
近づき、様子をうかがうと──何かを書いているようだ。
「恭姫、何を書かれていらっしゃるのですか?」
一瞬、幼い体がびくりと跳ねた。
「あ……沙稀……」
振り向いた恭良は口元を冊子で隠し、大きなクロッカスの瞳で沙稀を映す。元々、恭良が見ていたものを覗き込めば、そこには白くてちいさな花が集まるようにしていくつも咲いていた。
「この花……を、描いていたのですか?」
それは、一ヶ月前に沙稀が好きだと示した花。
恭良はうなずき、恥ずかしそうにポツリポツリと話す。
「うん……前に日記を勧められて……それで……」
それで沙稀の好きだと言った花を描いていたのだとしたら、沙稀にとってこの上なく不思議な話だ。沙稀は首を傾げる。
「日記……ですか。もし、よけろしれば見せて頂けますか?」
恭良の目が更に大きく見開かれ、
「見ても、きっと……わからない……よ?」
と言う。
恥ずかしそうなその姿に、沙稀は頬がゆるんだ。
「たぶん、ですけど……わかりますよ」
根拠のない自信を言う沙稀に根負けしたのか、恭良はおずおずと冊子を開く。十cm前後の身長差は、沙稀が覗き込めば大差なくなる。そうして、ほぼ恭良の目線と同じ高さで沙稀が開かれたページを見れば──そこには恭良が言うように理解不能な線が散らばっていた。
日記──と恭良は言っていたはずだ。けれど、どこにも文字らしきものはない。そうとなれば、最初に沙稀が言った通り、恭良は『描いて』いたのか。
沙稀はじっと食い入るように見、恭良は固唾を飲む。
「ね? よくわからない……でしょ?」
「はい」
即座に言う沙稀に対し、恭良は諦めの表情を浮かべる──そのとき。
「この絵を、『よくわからない』とおっしゃる意味がわかりません」
うつむきかけた恭良が顔を上げ、沙稀をじっと見る。
「このはっきりと描かれている部分は影。消えていて見えない部分は光。流れるように表現されている点は風の揺れ……こんなに素晴らしい表現をされた絵は、見たことがありません」
「うそ……どうして……」
戸惑う声に沙稀が絵から視線を動かす。すると、恭良は瞳いっぱいに涙をためていた。
「恭姫?」
「私、日記を勧められて……でも、何を書いていいのかわらからなくて……絵を描いて、勧めてくれた人に見せたの。……でも、何を描いたかまったくわかってもらえなくて、また別の絵を何枚も描いて、それでも、わかってもらえなかったのに……」
ポロポロと涙を落とし始めた恭良の手から冊子──日記を沙稀は受け取る。
「恭姫は、こうして絵日記を描いていたのですね……。絵は、決められたように描かなくていいんです。正解も間違いもありません。ただ、俺はここに描かれた絵は、どれもとても美しく見えます」
パラパラと沙稀はページを捲り、恭良はポタポタと流れる涙を拭った。
「そうだ、恭姫」
パッと沙稀は明るい声を発する。
涙を拭いていた恭良が沙稀を見上げた。
「今度、キャンバスに描いてみませんか?」
「え?」
「恭姫が周囲の目を気にされるなら……特別な場所を用意しますから」
沙稀は嬉々として言う。
恭良はしばらくぼんやりとしていたが、
「また……沙稀が見てくれるなら」
と、目元をキラキラとさせて微笑んだ。
こうして、恭良は絵日記を卒業した。
そして、ふたりはふたりだけの秘密を共有することになる。
これは、恭良が十二歳、沙稀が十四歳のときの、まだふたりが『恋』と気づいていないときの物語。
最初のコメントを投稿しよう!