あなたも良い旅を

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   僕は船旅が好きだ。  とは言っても豪華客船クルーズではなくて、ほんの一泊二日の国内のフェリー旅。  でもそれでも十分、非日常を味わえる。  今回は初めてフェリーに車で乗り込んだ。 「いやぁ船内の駐車場、あんなにギチギチに詰め込むとは思わなかったです」 「皆様、初めてだと驚かれますね。お疲れ様でした。良い旅を」 「ありがとう」  男の1人旅だ。  船員さんとはよく話す。  ロビーで走ってしまった子どもにぶつかった。  それでもお互い笑顔で謝るのだ。 「大丈夫ですよ。御家族での旅行素敵ですね。いいねぇ、みんなで船旅、楽しいよね」 「うん! お船楽しい~!」 「うちの子がすみません。あなたも良い旅を」 「いいえ。あなたも良い旅を」  一期一会が旅の醍醐味。  可愛い子ども達のはしゃぐ姿に癒やされる。  そして1人、船の中を歩く。  こう、心臓の奥から響くワクワクだ。  旅が始まる。  ドキドキだ。  揺れる床の上を歩く。  揺れる床の上で飲むビール、  揺れる床の上で歌うオペラ歌手。  非日常だ。  非日常が此処にある。 「素敵な演奏をありがとう」  オペラ歌手に拍手と御礼を伝えた。 「ありがとうございました。良い旅を」  広い広い海の上での音楽鑑賞。  良い気分だ。  ……僕の船旅好きは、父の影響なんだと思う  いつも家族旅行は船旅だった。  夜になっても、天気がよければ船の甲板に出ることができる。  真っ黒な海。  手すりがあっても、下を見るのは怖い。  船が進む道、白い波の泡が立つ。  ゴウンゴウンと船のエンジン音も気にならなくなる。  僕の頭は静まり返る。  無言の静けさだ。  夜の海の静けさ。  船にぶつかる波の音も……この夜に溶けていく。  あぁ……この想いが全てを静寂にさせる。  泡も波も月の光も、静まり返る時……。  あぁ、見えた……。  ……幽霊船とすれ違う……。  初めて見たのは6歳の頃  それから毎度見る――。  みんな笑顔で手を振ってくるのだ。  亡者達が、静けさを払うように汽笛を鳴らして船旅を楽しんでいる。  旗を振って、踊りを踊って。  その群衆の中に真っ白な顔の美しい少女がいる。  綺麗な黒髪が靡いて微笑んで、僕に手を振ってくれるのだ。  長い間、僕は彼女に恋をしている。  ずっと6歳の頃から恋をしている。  ……そして揺れのない地面の上でも、ついに彼女の事ばかり考えるようになったのだ。  恋心が揺れて息が苦しい。  この恋に溺れているのだ。  僕は手を振る。  彼女も僕を見て手を振ってくれる。  ドォンと  どこかで音がした。  僕の車の爆弾が爆発する音だ。  揺れる揺れる揺れる揺れる揺れて揺れて揺れた。  揺れて落ちて揺れてどこか……。  ――僕は  彼女の手をとって、微笑む。  彼女の幽霊船と僕が船。  もうすぐ2つの幽霊船が港に着くよ。  あぁ、愛しい人よ……見てごらん。  骸骨の父が港で手を振ってくれている――。
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