君に伝えたい事がある

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   遥香が子供を授かってから間もなくして、僕は大切な友達を失った。  相原(あいはら)は僕の大学時代からの親友だった。  その頃、僕は教育関連のカウンセラーを希望し、彼は心療内科医を目指していて、それぞれの分野には欠かせない心理学を専攻していた。  南側に面した白いキャンパスの2階。大きなバームクーヘンを、1ピースカットしたような講堂で僕達は出会った。  講義の間、うっかりペンケースを忘れてしまいリュックの中をゴソゴソしている僕に、横に座っていた相原がHBの鉛筆をそっと差し出した。  「シャーペンじゃないけど、これで良ければ」  グレイのジップパーカーのフードを被り、大きな黒目と色白の小さく整った口元。わかりやすく言うなら、韓流スターのような中性的な顔立ちをしている。講堂の大きな窓から、楓のやわらかい木漏れ日が差し込み相原の頬にかかり、ひと際目を引く。僕は差し出された鉛筆も忘れ、おもわず彼を見入ってしまった。  「あっ、えっ」  「どうぞ」  彼はフッと口許を緩めると、僕の開いたノートの上に鉛筆を転がした。  それが相原と初めて交わした言葉だった。なんとなくその日をきっかけに、僕たちは仲良くなった。  彼の性格は外見を裏切らずおっとりしていて、大抵の事は何でも受け入れ、そのくせ誰にでもやさしい。  僕がどんなにくだらない話をしても、相原はハチミツのような甘い笑顔でサムズアップを示す。  そんなだから周りの女子達は彼を放っておくわけがない。いつも四方八方から熱視線を浴びまくっていて、声を掛けられない日がない。単純バカでモテない僕は、いつもそれを薄目で見ていた。  僕が相原なら、きっと一度くらいは女の子を取っ替え引っ替えすると思う。  けれど不思議と彼には一つとして浮いた話などなく、また彼女の影すら見当たらない。  「女の子と付き合うとさ、自分じゃなくなってく気がするんだよな」  講義の後、必ず二人で立ち寄っていたマックのカウンターテーブルでハンバーガーをかじりながら、僕が彼女は作らないのか?と質問すると相原はそう答えた。その時僕には、彼のその言葉の意味を理解できなかった。    「わかんないなぁ。そういうもんなのかねぇ?」  「お前は、わかんなくていいよ」  「何だよそれ。でも相原の好みってか、好きなヤツくらいはいるだろ?」  「えっ?」   一瞬、僕の質問に相原が目を見張り固まる。何かマズイ事を聞いてしまった気がした。なんとなく微妙な空気が流れると彼は察知したのか、すぐに僕からドリンクカップに目を転じる。    「まぁ‥‥良いなぁと思う子くらいはいるけどね」  いや、ないわと勝手に答えると思っていた。予想もしない返事に今度は僕が目を見張り、ついでに心の何処かもジリッと焦げ付いたりして、なんだかおかしな気分になった。何だろう?なんて例えればいいのかわからない、名前の付けようのない感情。  でも僕は、すぐにそれをはぐらかすように笑った。  「ほらぁ、やっぱりそうだろ?」  「んでも、告んないよ。相手は俺に気付いてないから」  あっさり、そう答えると、いつものように僕が半分残したバニラシェイクを飲みほす。  そして自分には、もう既に心地いい場所があるから彼女は必要ないんだと、ガラス張りの窓の向こうをぼんやり見つめた。    彼は口数は少なかったけど、人の気持ちにそっと寄り添えるいいヤツだった。どんな事にも揺るがない独自の考えを持ち、淡々と振る舞う。  僕にはないものを持つ、そんな相原がいつも眩しく見えた。  マックの大きなガラス張りの向こう側。オフィスビルの谷間に見える茜色に染まる空。飛行機雲の白い線が、夕焼けに薄くふやけていく。  それを見つめる相原の横顔は、いつも大人びていて。  あの日、同じ景色を一緒に見ていた相原と僕は、きっとそれぞれに消化しきれない何かを、飛行機雲に重ねていたのかもしれない。    僕と正反対の相原。  そんな彼が何故かいつも空気のように僕の傍にいて、彼がいない日はやけに片側が寒く感じた。相原のいる空間は、あまりにも居心地が良くて。  よく僕は冗談めかして彼に「法律変わったら、僕達結婚すんのもありなんじゃないか?」と言っていた。  その時、相原はきまっていつもより大きなサムズアップを示す。    でもそれは僕と相原の友情の証を示しただけで、本当に冗談のつもりだったんだけど。
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