君に伝えたい事がある

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   あれから相原と僕は大学を卒業し、それぞれの進路へ進んだ。  僕は小学校の専任カウンセラーとして、日々児童達の成長と向き合い、相原は国家資格を取得した後、臨床研修医として着実に心療内科医の道を進む。  大学の時のように同じ時間を長く共有する事はなくなったけど、休みの日や仕事のあと都合が合えば、時々飲みに行ったりもしていた。  それぞれの環境が変わっても、相原と僕の間に流れる心地良い空気は、大学時代の時となんら変わらない。  いつか、僕達にも伴侶ができる日が来るだろう。その時は互いのノロケ話を自慢し合うのもわるくない。きっとこのまま穏やかに時が流れて行くものだと思っていた。  何かが心の端に引っかかっている気はしたけれど、きっとそれは淡い絵の具で描いたような、あやふやな絵に過ぎないだろうから。  月日は流れ、相原と僕の関係はずっと変わらずだったが、僕は遥香と出会う。彼女は、僕がカウンセラーとして所属する小学校の教員をしていた。  明るく朗らかで生徒達からとても慕われていた。微笑むと左頬に、プクッとできるエクボがかわいくて、何度か一緒に仕事をしているうちに、僕は彼女のことを好きになった。  それからなんとなく僕達は付き合いだして、相原にもすぐ彼女を紹介した。彼は快く遥香を受け入れ、彼女も相原の温厚な人柄を気に入り、3人でよく食事にも行くようになった。     けれど、そのあと僕が遥香と婚約してからだったか、相原と僕の空気が微妙に変わり始める。    相原は大学病院での研修が忙しいせいか、食事に誘っても断るようになった。いつもの彼ならその日がダメでも、後日彼から必ず埋め合わせの連絡がくるのに全く音沙汰がない。  気になってはいたけど、仕方がないと思った。相原には相原の生活があるし、もしかして好きな人でも出来たのかもしれない。それならそれで構わない。余計な事は考えず、今はお互い自分の事に集中した方が良い。  そう思う事で、僕はなんとなくうしろめたさを感じていた自分を払拭しようとしていた。  それから遥香と結婚して2年目の冬。事態は大きく一変する。それは遥香の妊娠がわかってすぐだった。  その日は20年に1度の強烈な寒波が押し寄せる、体の芯まで凍てつくような寒さだった。  僕は教育カウンセラーとしてのキャリア形成のため、イギリスのサポートセンターに2カ月間の滞在を経て、ちょうど帰国するところだった。  遥香の妊娠は、帰国直前にビデオチャットで聞いていた。子供を授かったのは、もちろん嬉しかった。結婚して、次に子供を授かる。自分の人生が滞りなく、とても順調に流れている気がした。  遥香との結婚生活も、毎日がとても穏やかで心地良く過ぎていく。  世間で言われる幸せの形とは、きっとこんな感じなのだろう。  けれど、僕にはやっぱり何かが足りなかった。やさしい味だけど、塩気の足りないスープのような。いつも首を傾げながら、こんなもんだろうと納得させて毎日をやり過ごす。今思えば、僕はそれを淡々とスプーンで(すく)い、淡々と口に運んでいたのかもしれない。    2カ月ぶりに戻った新居は、僕がイギリスに発つ前よりも随分と散らかっていた。リビングのカーテン越しに、オレンジ色の西日がやわらかく差し込む。  悪阻が辛いのか、遥香はずっとソファに横たわっていた。温かいミルクを入れたマグカップを差し出すと、体を丸めて起き上がった彼女はそれを受け取らず、ポツリと打ち明ける。  「お腹の赤ちゃん‥‥あなたの子じゃないかもしれない」  防衛本能なのか、僕の頭は遥香の口から出て来た最初の言葉を全く認識しなかった。僕がずっと家を空けていたから、きっと彼女は拗ねているだけだと思い、冗談だろうと茶化してみる。けれど遥香は僕の顔を見ようとはせず、止めを刺すように告げた。    「相手は、相原さんなの…」  嘘だろ‥‥?僕は耳を疑った。  僕の頭の中のリストにないその名前を聞いた途端、グラっと視界が大きく揺れ出した。次第に頭の中がグルグルと回り出す。  そんなはずがないだろ....?  絶対に相原なわけがない!  僕の体は完全にその名前を拒否していた。  冷静になろうとすればするほど、何かをぶち壊さないとおかしくなりそうで。気付くと持っていたマグカップを床に叩きつけていた。ミルクとカップの破片が粉々に飛び散る。それにおびえる遥香を横目に、僕はそのまま家を飛び出していた。  靴を履いたかどうかもわからない。もう無我夢中で、僕は相原の元へ向かう。  外は灰色の雲が重く垂れ下がり、チラチラと雪が降り始めていた。  相原と僕は、半年に1回のペースで会っていて、イギリスに発つ3日前にも飲みに行っている。  相原と遥香は、僕が留守の2ヶ月の間、何度か会っていたらしい。
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