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今日、父親が家から出ていく。
何時だったかな。
と、巻野翔環(マキノショウ)は頭の片隅で思った。
自分の目の前の同じクラスの人間がいる。
クソどうでも良い話だ。
と、翔環はひたすら上辺だけの笑顔で相槌を打っていた。
「このグループ海外で人気でさ。とにかくダンスがすごくて…」
「うんうん」
巻野は微笑みながらうなずく。
「あ、知ってる?」と翔環の反応を見て気を良くした友人は続けて自分が今好きなアイドルグループの話を自慢げにし始める。
翔環は高校3年生。季節は2月。
卒業間近だ。
学校生活での行事も終え、翔環のクラスの生徒全員は進路が決まりすることもないから卒業までは気の抜けた日々を送っている。
翔環に話をしていた友人が何かに気づいたように話を辞める。
「…巻野さ、知ってんの?うなずてるだけだけど」
さっきからグループを知ってる人としては当たり前のことを言っているのに、食いついてこない。
「ううん。知らない」
翔環は何事もなかったかのように首を小さく振る。
友人はよく思わない彼の態度に眉間にシワを一瞬寄せた。
「ならそう言えよ、」と苛ついた様子で声を潜めながら言う。
「巻野いつもそう、わかったふりしてうなずくのやめろよな」
「観たことはあるから、全然知らないわけじゃないよ」
「ほんとかよ、」
呆れた友人は話すのを辞めた。
午後4時。
部活も引退してしまえば帰って寄り道するくらいしかやることがない。
卒業する3年生は教室で雑談をする。
そんな彼らを気にすることもなく、翔環は足早に校舎から出て、帰路に向かう。彼を横目に友人はクラスの生徒と残り少ない高校生活を過ごしていた。
翔環は数年前に家族層向けに整備、開発がされた住宅地にあるファミリーマンションで家族と暮らしている。
12階建てのマンションの5階が翔環の自宅。
エレベーターで5階まで上がり、廊下を歩く。向こうに小さな人がドアから出る。
大きな荷物を持って向かってくる。
お父さんだ。
男性は翔環の方に向かって歩いていく。
翔環も自宅に向かって歩いていく。
5歩手前の所で、今気づいた、というふうにわざとらしく顔を上げた父と目が合った。
「ああ、ショウ」
父が呼び止める。
「今日出ていくの?」
「いや、あの部屋の荷物の引取の手伝いしに来たんだ。俺はアパートに戻るよ」
「うん。お母さんいる?」
「ああ、いる」
じゃあな、と父は翔環の横を過ぎ歩いていく。翔環は父の姿を目で追う。父はまっすぐエレベーターの前に立つと、ボタンを押し、しばらくして開いたエレベーターの中に入っていって姿は見えなくなった所で、翔環は自分の自宅に再び向かった。
自宅に入ると玄関前に引っ越しのダンボールが廊下の道のり半分を埋めていた。これはすべて翔環の母親の荷物だ。
リビングに入ると母が台所でダンボールを2つ置き、捨てるもの、いるものを分けていた。
「ああ、しょう」
母は言う。
「帰ったよ」
と、言って良いものか気まずそうに翔環は母に言う。
「うん。あんたさ、引っ越しの準備してるの?部屋ぜんぜん片付いていないけど」
母は手に取った大皿を捨てる用のダンボールに入れる。
「やってるよ」
「嘘ばっか」
「業者さんいつ来るんだっけ?」
「卒業式のあと」
「お母さんはその前に荷物預かってもらうから。そのときいらないものも引き取ってくれるみたいだし、しょうもいらないもの合ったら、そのときに出してもらえると助かるなあ」
「わかった」
「日にち忘れちゃったから、後で言うね」
「うん」
翔環はもくもくと食器を片付ける母の姿につまらなそうな顔を向けて、リビングの隣、壁一枚隔てて横にある自室に入る。
部屋はベランダに出る戸窓の横に机、椅子、と壁沿いにベッド、タンスが置かれ、部屋の壁側に組み立てられていないダンボールが立て掛けてある。
それを見て面倒そうに翔環はため息を吐きながら、カバンをおろした。
後ろから、台所で食器がカチャカチャ鳴るのが騒がしく聞こえて来る。翔環は戸窓を開く。
ベランダのそばまで寄らなくてもこの周辺に立つマンションと住宅がきれいな事がわかる。どれも似たような建物だ。
翔環は目線の先にある、細長いマンションに目を向ける。部屋の天井が視界に入るまで顔を上げないと天辺まで見えないほど高い。
少し下の階の住民がベランダに姿を現し、翔環の心臓は自分の喉元まで飛び上がりそうな勢いで高鳴った。
口をしっかり閉じなければ心臓を吐き出してしまいそうだ、と翔環は唇を強く紡いだ。
住民は外に下げてあった衣類をぱたんぱたんと2回折り、腕の中に収まる程の衣類をまとめて部屋に戻っていった
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