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卒業式。
なんて嘘まみれのイベントなのだろう。
そう思い、翔環は思わず笑いそうになり、ぐっと口を紡いだ。
’’先輩たちの何事も真剣に取り組む後ろ姿に、私達も憧れました’’
学校の元生徒会長が言った。
やめろやめろ、やめてくれ。笑わせないでくれ。
卒業生側の後ろ側の席に座っていた翔環は自分の足元に急いで目を向けた。天井のライトが床にあたり、式が行われている体育館の床は磨きたてのガラスのように光っている。
こんな式を開くために在校生はやりたい部活動の練習にも参加點せられず、遅くまで居残りさせられて、気の毒だ。
’’ここまで、私達を育ててくれたお父さん、お母さん、今日まで本当にありがとうございました’’
卒業生代表が登壇し、そう、別れの挨拶を述べたところで、翔環は顔を上げ、保護者席に目を向けた。
こう何度も目を向けているけれど、自分の父、母は変わらず姿を見せない。
式が終わり、校舎外で会話を交わす教師、生徒たちを横目に翔環は学校をあとにした。
目の前を角を曲がれば自宅マンションだ、という所で、ごみ捨て場に卒業証書の入った筒をポイと投げ捨て走り出す。自分の家まで足を止めずに駆け上がった。
鍵を開け、自宅のドアを開く。
翔環が今朝起きたときには玄関まで何度も、荷物を詰めたダンボールに足をふくらはぎをぶつけた。それほど自宅の中を埋め尽くしていた段ボールはなくなっていた。
翔環は靴を脱ぎ、自宅に上がる。
リビングに入る。ほこりだけが残る部屋に、窓から差し込む光がフローリングの床を照らしている。
三月中はこの家は使えるけれど、その先はどうしたらいいかわからない。
こんなに部屋は広かっただろうか、
だれもいない教室に間違えて待っているような気分。
自分は、果たしてこの家の住民だったのだろうか。
もうわからない。
ところどころ家具に反ってほこりがたまっているのを見るとここに人がいたであろう、という事が感じられる。
昨日まであったものが無くなると自分がまるで別世界に来たような感覚になる。死んだのか、とさえ、感じる。自分の足元でなる床の軋む音しか聞こえない。
お母さん
と鼻腔の中に空気だけ響かせてみた。
もちろん返事は帰ってこない。
当たり前じゃないか、呼んではいないんだから。
翔環は空になったリビングの真ん中まで歩いた。
ほこりの後もない。お母さんがきれいにそうじしてくれたんだ。
リビングに通ずる引戸を開く。荷物の置かれた翔環の部屋。
自分の部屋だけが昨日のままだ。
リビングがあまりにきれいだから自分の部屋のものがすべてガラクタに見えた翔環。
今の自分はこれなのだろうか。
ガラクタと同じ存在なのだろうか。
家族にとって自分はガラクタだったのだろうか。
今も家族は自分をガラクタだと思っているのだろうか。翔環はベランダに出た。
天気が良いのが憎たらしく思った。
ベランダの縁に手をかけ、マンション下を見下ろす。
親子が遊んでいる。
子供は楽しそうに大きく円を書くように走る。父親がそれを追いかけた。
母親は帽子に手を当て見ている様子だ。
翔環は自分の目の前に手の甲をかざし、指先3本で親子の姿を自分に見えないようにして塞ぐ。手をどかすと、また親子の動く姿が見えた。
アリみたいに潰せたら良かったのに、と翔環は残念に腕をだらりと下ろす。
どうしたら、あの家族を壊せるだろう。
今自分がここから飛び降りれば、あの家族は大きな悲鳴を上げるかもしれない。
子供の上にのしかかれば、親はどんな反応するのだろう。
考えても、翔環には想像がつかないなあと、翔環が身をのり出そうとした時だ。
窓の開く音が聞こえた気がした。向かいマンションのあの人の姿が浮かんだ。翔環はゆっくりと顔を上げ、向かいマンションの部屋を見た。
あの人がベランダにいた。
いつもみたいに洗濯を干しているわけでもなく、ただ呆然と下を眺めるようにして立っていた。
日中のベランダのマンションに彼一人だけがそこにいる。まるでつまはじきにされたみたいに、どうしたら良いのが分からず、立ち尽くしているように。
翔環はそれに一筋の希望を感じ、自宅から飛び出した。
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