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「そ、それは……」
「臭えな。クソと精液の臭いだ」
ゴクリとつばを飲み込み、痛恨に瞼を強く閉じたモヒートは、何も答えなかった。
答えられなかった。
マツ子の言う通り、標様の護衛という大仕事を放りだして、男とヤりまくっていたなど、言えるはずもない。
そして同時に、大切な友であるジローに嘘をついたことを悔いていた。
あの時、正直に答えたってジローは怒らなかったろう。だってジローも楽しむつもりだったのだから。
それなのに何故か嘘をついてしまった。
護衛という仕事を放り出すことに、どこか罪悪を感じていたからなのか。
自分でも分からない。
いくら考えても分からない。
モヒートは顔を伏せたまま、口を噤んだ。
「モヒートよ、この女は標様の奴隷か?」
「……はい母様。ジローが魔力を流し、奴隷にしたのをこの目で見ました」
「ならば聞くしかあるまい。このエルフにな」
マン姐は、尻を突き出しているエルフの首に刻まれた奴隷印に触れた。
その時、部屋の中に一人の少女が現れた。
「恐れながら申し上げます。いくらマンハッタン様でも、標様の奴隷に触れるのは一線を超えているかと存じます」
「確かお主は……ソルティドッグか」
緊急の報を、独自の情報網からいち早く聞きつけてやってきたソルティドッグは、マンハッタンへと苦言を呈した。
小娘が、魔族の長たる族長の夫人に対してである。
「木曜こそでしょう」の会員や、ディキたち御庭番衆たちの魔力がどっと溢れ、室内は一気に険悪になる。
「奴隷印の書き換えなど、もってのほか。まさかマンハッタン様ともあろう方が――」
鬼の首でも取ったように流暢に語る少女だったが、全てを言い終える前に事切れた。
「ダイキリか。殺すでないぞ、まだ若い娘なのだから」
「……分かりました」
ソルティドッグの背後にできた影の波紋から、魔族最強の戦士ダイキリがやってきたのだ。
「村へ連れていきますね」
「ああ頼むチェリーフィズ」
御庭番衆期待の若手チェリーフィズは、だらりとしたソルティドッグを受け取ると、少しだけジローを見つめて影へと沈んだ。
マン姐は魔力を流し込む。
転生者であるジローには届かないが、魔族でも屈指の魔力量と魔法技術を誇るマン姐が、奴隷印を書き換えるのは早かった。
「エルフの女よ、こちらを向いて質問に答えよ」
「はいご主人様」
「この方に何かしたのか」
「いいえ何もしておりませんご主人様」
「では何者かがこの方を傷つけたか」
「いいえご主人様。この室内には私とその方だけでした」
マン姐は苦い顔をして黙り込んだ。
ここにいない何者かが犯人ならば、この呪いのようなものを解くことができたかもしれない。
所詮は、この地上に生きる生物の力なのだ。
犯人を探し解法を聞く事ができたはずだし、自力で治療法を探すことだってできたかもしれない。
しかしこれは……
「神の力なのかもしれましぇんな、マン姐様」
探偵調薬師タケ子がポツリと呟く。
点と点をつなぎ合わせた、見事な推理。そして残酷な現実。
ネズミに宿りし神を殺した頃から、ジローは変わった。本人もそれを自覚し、半神になったと魔族に告げた。
その日から警戒していたのだ。
神の鉄槌を。
「そうなると、いかなる魔法も弾かれる、でろうなマツ子ウメ子よ」
汎ゆる治癒魔法を使い、タケ子特製の薬を塗ってみるが、治る気配はなかった。
だんだんと膨張しもはや原型を止めず、浮き出た血管には墨でも流れているのかと疑う程に黒黒としていた。
「一応、進行を鈍化させているよ。でも魔法か薬かどれが効いているのか、全く分からない。それに、悪いけど治癒の手立てが見当たらない。どうするマン姐」
「木曜こそでしょう」が匙を投げてしまえば、ジローは助からない。助けられる者がいないのだから。
この場にいる誰もが持つ共通の認識だった。
だからマン姐の言葉を待つように、室内はシンと静かになる。
その時マン姐は思案していた。
神の仕業ならば、一体誰が。
一体どんな方法で、そして対抗する術があるのか。
神託を受ける事もできないマン姐には、神の力も神の意思も神の理も、すべてが遠く届かない事柄だ。
だからこそ辿り着けた結論がある。
「考えても仕方ない。やれることをやるのだ」
魔族たちはその言葉を諦めとして受け取った。
けれどマン姐は、何一つ諦めてはいない。
言葉の通り、やれることをやるのだと、奮起していた。
「村へ帰るぞ。治療のために」
魔族たちは、娼館から村へと帰還した。
気を失い、血の気が引いていく標様を連れて。
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