第7章 馴れてゆく身体

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「今日は。凪さんはお留守番ですか?」 と、助手席に乗り込んで用心深く尋ねる。彼はごく手慣れた様子で滑らかに車を発進させながら、明るく裏のない声で受け応えた。 「うん、今頃は家でランチの下拵えしながら待ってるよ。いつもそうでしょ?前回は特別だよ、誕生日のお祝いのお迎えだったし。それに料理を準備する必要もなかったからね、あのときは」 そういいえば。結局ケーキも豪華ディナーもなかったんだ…。いやまあ、サンドイッチもフライドチキンも、朝食のクロワッサンも。全部美味しかったから、別にいいんだけさ。 彼はしっかり前方に視線を据えて危なげなくハンドルを取り回しながら、まるで疾しいことなんかないように落ち着き払って先を続けた。 「この前はごめんね。いろいろ思ってたのと違っちゃってたでしょ?だから今日は、内輪のお祝いのやり直し。ケーキもちゃんと手作りしてるよあいつ。柚季ちゃん、ローストビーフ好き?あとはラザニアとか。ポテトサラダもあったかな」 めっちゃ美味しそう…。とつい反射的に思ってしまう悲しさ。育ち盛りなので空腹には抗えない。 「はい。好きです」 「今日は前回のお詫びとお疲れ様のねぎらい。お腹いっぱい食べて楽しんでいって。変なことはしないよ。毎回いつもあれじゃ、身体が保たないよね」 ごく気さくに親切な口調でそう言うんだけど。そんな風に考えるくらいなら、最初からあんなこと。しないでいてくれりゃいいのに…。 いざとなると歳上の大人の男に一対一でその程度のことも言い返せない気弱なわたし。 だけど、漣さんの言ったことは別に口から出まかせとかじゃないみたいで。お屋敷に到着したとき玄関口で出迎えてくれたのは、料理に奮闘中の凪さんではなく、いつも通り綺麗な着物を端然と着込んだ美しい水底さんだった。 「俺はキッチンに行って凪の手伝いしてくるから。用意ができるまで二人でゆっくり話でもしてなよ。呼ぶときはスマホにLINE送るから」 以前通りに能面のような顔つきで立っている水底さんにそう告げてわたしを引き渡す。彼女は無言でぺこり、と頭を下げるとわたしの手を取って屋敷の奥へと導いた。廊下を曲がって兄の姿が見えなくなると、途端にわたしに向き直ってにっこりと微笑みかける。その豹変振りに思わず意表を突かれた。 「…柚季ちゃん。この前は大変だったね。身体の方は大丈夫?まだ痛いところとか、調子のおかしな箇所はない?」 ふと表情を心配そうに翳らせて尋ねてくるところ、あの日に二人きりで一晩一緒に過ごしたときの水底さんだ。 どうやら兄たちがその場にいるときは感情を表に出さずに無表情になるらしい。意図して自分を抑えてるのか、それともナチュラルにああいう反応になっちゃうのか。それは今の段階では何とも判断がつかないが。 「あ、はい。おかげさまで。思ってたより、…普通です。わたし、身体丈夫かもしれん…」 それはそう。あんな目に遭ったのに、とあとで自分でも意外に思うくらいすんなり普段の自分に戻れた。 多分その理由にもいろんな要素が入り混じってる。いろいろされたけど結局本格的に処女は奪われなかったこと(多分出血はしてない。股間に違和感も残らなかった)、それから直後に即、水底さんの手でつきっきりで心身のフォローを施してもらえたこと。 一晩しっかり抱きしめて気持ちを宥めてくれたのも効いてるが、身体を隅々まで慰めて優しく満たしてもらえたことも結局かなり大きかったようだ。人前で屈辱感と恐怖を与えられた経験と、身体の快楽の記憶が直結しなくて済んだ、みたいな。誰かと歓びを与え合うのは悪いことじゃないって感覚はしっかり残った。 まあその翌朝に再び双子の手で野外で散々に弄ばれて。それも台無しにされて終わるんだけど…。 「水底さんがあのときフォローしてくださったおかげです。本当にありがとうございました」 考えてみれば双子と妹はお互いそれぞれの仕事を担当してるだけで、同じ作用の両輪というか。飴の役割と鞭の役割をそれぞれ演じてる共犯者同士に過ぎないので、ここで過剰に善意の人として評価するのは違うんじゃないか…って思いがないことはない。 それでも、この人がいなかったらおそらく今のわたしは相当酷い状態になってたのは想像に難くない。ので、ここは素直に感謝を込めて丁寧に頭を下げてみせた。 水底さんだって、たまたまこんな村に生まれて本人の選択の余地もなくただ役割を受け入れて果たしてるだけに過ぎないわけだから。…まあ、それを言い出すと。双子の方だってそうだろってことになっちゃうから。深く突き詰めていくと実は話は複雑ではある。 彼女はわたしの手をしっかりと握って廊下の奥へとずんずん導きながら、生真面目な顔つきで首を横に振った。 「そんな、わたしはただ。しなきゃいけないことをしただけだから。それより、柚季さんの方が絶対大変。外から来てここの常識をこの歳になって受け入れる方が、精神的にも肉体的にも。よほど難しいわよね」 それは、まあ。そうでしょう…。
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