2人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
いつから、小説を書き始めたのかもう覚えていない
ただ、遅筆の僕は数年に長篇一本しあげるのがやっとで、書く度に時間と、家族の信頼を失っていくようだった。
「いつまで書いてるの?」
「ああ、ごめん、もうすぐ終わるから」
「……そう、あなたもたまには外へ出て遊べばいいのに」
目の奥に疲れを感じ、言われた通り外に出る
外に出ても、脳内はネタ探しだった。
揺れる木々を、枯れた空気を、消えかけの電球をなにに例えようか
普通に描写してはつまらない
たった一言、公園を夜散歩したというだけの内容を、ありとあらゆる語彙で飾りたい
僕はたどり着いた公園でホットのミルクココアを買い、家に戻ってふたたび原稿にむかった。
一時間、二時間がすぎる
同じ姿勢をつづけた肩をまわし、ふと過去に応募した小説を見返した。
自分ではいい出来だと思っていた。
でも世間からは評価されなかった。
「ふー……」
そんな日々を送っていると、母が病気で倒れた。
父からは、いい加減まじめに働けと言われ
時短で安月給の工場をやめて、普通に就職し直した
小説をかける時間は減ったが、父と母はやっとまともになってくれた
と喜ぶだけであった。
「あの、好きです
付き合ってください」
そのうち、彼女ができた。
実家からも出れたし、彼女ができたし
世間的にはいいこと尽くめだった
もう、ペンを握る必要はないだろう、誰も喜ばない自己満足の小説を書いて、なにになる
しかし僕は休日の空き時間
原稿にむかう。
言葉が、世界があふれるようで
家にいながらどこにでもいけた
書くことは、僕が僕であることの証明のようだった
だからこそ、他のことで褒められても、恋愛的に好きといわれても、過去に小説でもらった「面白かったです」
という言葉だけが自分を肯定し、ずっと宝物として残っているような、僕はそんなどうしようもない人間だった。
彼女は一度も僕の小説を読んだことはなく
「ねー、遊びに行こうよ
いつもなにしてるの?」
無邪気に僕を急かすばかり。
しかし言われたとおりだった
本当に、僕は何をしているんだろうか
ペンをすすめる理由よりも
ペンを止める理由のほうが多い
『いつまでそんなもの書いてるんだ
くだらない』
『そもそも小説ってよく面白さがわからないんだよね、だって実際に起きたことじゃないんでしょ?』
『妄想を勝手に読まされてもな』
『もう、やめたら?』
最後のは、自分の声だった
僕はペンを置いた。
それから
ただ時だけがすぎ、僕はまだ50代ではあったが、生活習慣病が重症化し、そろそろくたばろうとしていた
もっとはやく書くのをやめていたら
健康に気を使えていただろうか
まったく、無駄な時間を過ごしたものだ
最近は細かい字を見るのもペンを握るのも億劫になり、自分はなにがたのしくてあんなに書き続けていたんだろうと
手のひらを眺める日々だった。
追いかけつづけた夢は
ただただ虚空なもので
誰に読まれるでもなく、埋もれて消えていく。
それは自分の人生そのものだった
目を閉じる
ああ、でも、くやしいことに
キラキラした世界を
もっと書けばよかったって
まだこんなに色々な物語が自分の中にあるのに
せめて自分だけは
自分の夢を……
そう思った直後
脳内の妄想すらも、そこで途絶えた
◆
男の死後、インフルエンサーがそのマイナーな小説を取り上げたところ、多くの人が反応した。
書籍化が決定し、本は瞬く間に売れた
彼の両親は、周囲の人々は、口々に語る
『ずっと小説書いてたんですよ
夢がかなってよかったとおもいます
いやね、才能あると思ってたんですよ』
『私の彼だったんです
ほんと、ずっと彼の小説が好きで
やっぱ周りとは違うっていうか引き込む力があるんですよね!』
『最高でした!もう何度も泣きました!』
『晩年の彼は書くのをやめてしまいました
一体なにがあったんでしょうか』
教授のすすめで読書課題になったその本を買った少年は
作者の気持ちを答えよ
の回答にこう書き残す
「生前に売れたかった、じゃないでしょうか」
当然、教授は回答にバツをつけたそうだ。
end
最初のコメントを投稿しよう!