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 僕たちはそのままゲレンデを降りて、泊まっているホテルの部屋に戻った。ゲレンデの正面のホテルだったからすぐに帰ることができた。それにこの時期はなかなか予約が取れなくて、二人で一部屋を使うことにしたのも手当には好都合だった。  部屋に入ると、僕は青葉さんをベッドに座らせてから「寒いけど我慢して」と彼女の靴下を脱がせた。  彼女が捻ったと言っていた左足の足首を見てみると、くるぶしのあたりが微かに赤くなっていた。その上、若干腫れているようにも見える。  僕は自分の旅行鞄の中から救急ポーチを取り出して、湿布とテープを用意した。僕は心配性で、使いそうにないものまでついつい鞄に入れてしまう癖がある。救急ポーチもその一つのはずだったが、良かった。今回は青葉さんのために役立った。  僕は彼女の正面に膝をついた。 「青葉さん、ちょっと冷たくなるよ」  僕はそう伝えて湿布を袋から出すと、彼女の少し腫れた足首に貼った。皺にならないようにピンと張ったら、テープで取れないように固定する。 「どう?」  僕は青葉さんを見上げた。 「うん、冷たくて気持ち良い」  青葉さんは微笑んでそう答えてくれた。大怪我にはなっていなかったみたいだ。 「良かった」  僕はほっとしてそのままカーペットの床にすとんと尻を落とした。同時に大きく息を吐く。あまりの心配で息が浅くなっていたことにそのとき初めて気が付いた。 「ふふふふふ」  そのとき、急に青葉さんが笑い出した。  僕は思わず再び顔を上げた。彼女は口許に手を当てている。僕は目を丸くした。 「あ、ごめんなさい」  青葉さんはすぐに気付いて謝った。 「いやいや。何か変だった?」 「ううん。やっぱりって思ったの」 「やっぱり?」  僕は首を傾げた。何のことかさっぱり見当がつかなかったからだ。まさか、僕がうっかりダサいことでもしただろうか! 青葉さんに嫌われた? せっかくかっこよくいようと意識していたのに。僕は心の中で少し焦り始める。  ところが、僕の焦りは彼女の一言で杞憂に終わった。 「うん。ただ足を捻っただけなのに、スキーもあっさり切り上げちゃって、介抱してくれて、湿布まで貼ってくれた。やっぱり双川くんはすごく優しい人だね」 「何それ」  僕は呟くようにそう返した。首だけかっと体温が急上昇する。何だか落ち着かなくて手を首に当てたが、手も熱を持っていた。 「もう、顔真っ赤にしちゃって。照れすぎ」 「そりゃあ照れるよ。真っ向から言われたら」 「それだけ?」  今度は青葉さんが首を傾げる。僕の方が見上げる形なのに、彼女はなぜか上目遣いだ。ぱっちりと大きく開いた目が僕を見つめている。  僕はまた鼓動が激しくなりかけて僕は目をそらした。 「褒めてくれてありがとう」  僕は何とか間を埋めなくてはと思って、余った湿布やテープを救急ポーチにしまい始めた。普段は整頓しているポーチだが、ガチャガチャと突っ込んでいるからか上手く入らない。頭はパニック状態だ。  そんな中、青葉さんの手が僕の腕に伸びてきた。 「そんな安易な言葉を聞きたいんじゃない」  僕は制止して振り返る。彼女はこっちが恥ずかしくなるぐらい真っ直ぐと僕の目を見つめている。 「こんなこと野暮で言いたくないんだけど」  彼女は一回視線をそらしてぼそっとそう言うと「双川くんさ」と続けた。 「かっこつけてたでしょ、今まで」  青葉さんはもう一度僕を見つめた。今度は上目遣いなんて可愛いものじゃなくて、何かを突き詰めるような真っ直ぐな目だった。  あまりに強い眼差しで僕は負けてしまう。たまらなくなって目をそらした。 「図星?」  彼女は追っかけるように僕の顔を覗いた。まるで犯人を自白に追い込む刑事みたいだ。  ところが、その通りだだった。  また顔が熱くなる。さっきとは違う熱さだ。次第に頭がかゆくなってきた。ああ、恥ずかしい。かっこよくしているのがばれたら逆にかっこ悪いじゃないか!  僕は掴まれた方とは逆の手で髪を激しく搔いて乱した。 「やっぱり」  青葉さんは呆れたように言った。 「やっぱり?」  僕は意外な言葉にまた訊き返した。さっき「やっぱり」と言われた理由はもう流石に理解したけれど、今度の言葉もまた意味が分からない。さっぱりだ。今まで知らなかっただけで、彼女の口癖だろうか。まあ、それはそれで彼女の知らないことがまた一つ知れていいけれど。  そんなことを思っていると、彼女は答えてくれた。 「自分で言うと自慢みたいで嫌なんだけど、わたし結構モテてるんだけど、誘われてデートとか旅行とか一緒に行くと、みんな打ち合わせしたみたいにかっこつけるんだよ。だから、双川くんもそのクチかなって」 「みんな……」 「あ、気にしないで。わたし、その誰ともお付き合いしてないから。今はフリーだよ」 「そっか」  僕は胸を撫で下ろした。 「みんな、『かっこいい人』っていうわたしの好きなタイプを意識してくれてると思うんだけど、ちょっと違うんだよね。もっと単純なことだと思うの」 「単純?」 「そう。エスコートしてくれたり、ちょっとしたことに気付いてくれたり、確かにそういうのはかっこいいけど、本質じゃない。本質はみんなもともと持ってるものなの」  僕は首を傾げる。まったく話が見えない。  しかし、青葉さんは続ける。 「簡単に言うと、その人の本性っていうのかな。その人の礎になっている要素。でもさ、そういう部分って大概意地悪だったりダサかったりするから、表に出すのって勇気がいる。だからこそ、そういう部分を素直に出せる人がかっこいい。だって、意地悪だったりダサかったり、どんな自分でも胸張ってるってことじゃない? それがいいんだよね」  そう言われると、確かに僕も「そのクチ」だと思った。さっきだってリフトの上で緊張に気付かれないように喋らなかったし、ゲレンデでも綺麗なターンを心掛けた。それはダサい僕を見せないように必死だったからだ。青葉さんに幻滅されないように。  ところが、そうやって振り返ってみたら自分は反対にかっこ悪い気がした。青葉さんに気に入られようと必死で、「かっこいい」を無理に演出して背伸びしていた。等身大の自分は受け入れてくれないと自分に自信を持てなかった。そのことにいち早く気付いて好きなタイプだと公言している彼女の方が何百倍もかっこいいじゃないか。僕は猛烈に自分を恥じたし、心底ダサいと思った。  僕がそう情けなく思っていると、青葉さんが「だからね」と言った。僕は再び顔を上げた。 「わたしが足を捻ったって言ったあと、すぐに動いてくれたのはとてもかっこよかったよ」 「え?」 「双川くん、本当は心優しい人だって思ってたから。ずっと口数が少なかったのも、わたしに嫌われたくなかったからでしょ。そういうのってわたしが嫌がることをやりたくないっていう気持ちがそうさせてるから」  その通りだ。全部見透かされていてもっと恥ずかしい。  僕は彼女の顔をまともに見られなかった。  でも、嬉しかった。僕が緊張してかっこよくしていたのはあまり意味がなかったみたいだけど、そういう何気ない部分に気付いてくれて、そこが良いと素直に言ってくれた。  僕は無意識的に息を深く吐いた。体の力が抜けていったのだ。これまでのかっこよく見せなきゃという意識が自然に消えて、激しすぎる胸の鼓動も収まっていく。  今の床に座り込んだ僕は決してスマートではない。しかし、とても楽だった。  僕はまた青葉さんを見上げた。彼女は微笑んでいた。さっきまで緊張でよく見えていなかったけれど、彼女の笑顔は可愛かった。僕はその表情にほっとする。確かにかっこよくいることは勇気のいることだ。  そのとき、彼女はそっと僕の手を離した。そして、パンと手を叩いた。 「よし! これで話は終わりね。こういう話、人にしたことなかったから恥ずかしい。暑い暑い」  彼女は片手をベッドにつき、反対の手で自分の顔を扇ぐ恰好になった。頬も赤くなっている。 「え、ちょっと待って」  僕は頭の中を整理した。 「何?」 「この話、僕が初めて聞いたってこと?」  僕は戸惑いつつ訊いた。 「そうだよ。人に話したことないって言ったでしょ」 「そうだけどさ」  そうだけどさ……その先を訊くと何かが始まってしまいそうな気がした。 「そうだけどさ、何?」  青葉さんは先を促してくる。  ええい、仕方ない。今さらかっこつける必要なんてないのだ。  僕は分かりやすく深呼吸した。 「どうして僕に初めて話してくれたの?」  僕はぱっちりと目を開いて青葉さんを真っ直ぐと見つめた。真っ直ぐが一番。素直が一番。僕は黙って彼女の返答を待った。  しばらくの沈黙のあと、彼女が口を開いた。 「それは」
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