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バレンタインデー
稲取京華じゃん!
オレ一人しかおらず、ただ沈黙が流れていた放課後の教室に、突然響くのは聞き覚えのある懐かしい声。
オレは当番日誌を書く手を止め、声が飛んできた教室の入り口に視線を移した。
目線を移した先には、ブンブンと手を振る中学からの同級生がいる。相変わらずの元気さでホッとしたと同時に、そのうるささに少々げんなりした。
「なんでいるんだよ」
大山、とオレは友の名を呼んだ。
*
大山小夏ーーー彼は、先ほど言ったようにオレの中学からの同級生である。
黒縁の伊達メガネが印象的な誠実そうな男。風紀委員にも所属しており、見た目とそこだけを取ればかなり真面目な模範生かと思う人も多いだろうが、いざ蓋を開けてみれば、どうしようもないまでに馬鹿でしかもうるさい男だ。
いつも多くの男子友達と、無駄に声のでかい馬鹿笑いをしている。オレから見れば、彼はいつも悩みなどなさそうで本当に羨ましい。毎日がハッピーデイ、オレの人生ハッピーライフって感じの人間だ。
「なんでって、稲取のこと見つけたからだよ。稲取見つけたら、手ェ振っちゃうじゃん」
「いや……、そういう話じゃなくて。んで、こんな時間に学校に残ってんだよって話。何かあったのか?」
「そういう話ね、把握」
ただの風紀委員の仕事だよ。大山は、黒縁メガネをクイッと人差し指で上げてそう言った。なんだかな。その行為、大山がするとイラつくな。
「稲取は……当番だったんだ。お疲れ」
「ありがと」
そう返して、オレは淡々と当番日誌を書き進めた。当番の仕事、日誌記入がなかったらいくらか楽なんだけどなぁ。
本日のクラスの様子なんて、知らないよ。いちいち見てるわけがないだろう。本日の笹川さんのご様子ならわかるが……いつもと同じようにご機嫌だった。
風紀の仕事はもう終わったであろう大山は帰る様子もなく、オレの机の端に腰掛けた。
「おい、机の上に座んなよ」
「え? 別によくね?」
「よくねぇから」
「真面目な風紀委員みてぇなこと言うなよ」
「オメー、風紀委員だろ」
「いや……え、何? 待って!!」
「うるっせぇな、どうした」
「この大量のチョコレート!」
そう叫んだ彼が指したのは、机の横に掛けてある紙袋だった。中には大量のチョコレートが入っている。
そう今日は、バレンタインデーである。
世の中の色んな人たちが、愛や日々の感謝を込めて、誰かにチョコや花束を贈る日なのだ。この大量のチョコレートの謎が本気でわからないらしい大山に、オレはわざとらしくため息をついた。
中学校から一緒なんだから、だいたいわかるだろうに……。こんなにオレがもらうわけないし、そうなれば考えられる可能性なんて一つだろう?
「笹川はモテるじゃん」
「認めたくねぇけど、そうだな」
「それでもアイツって、お返しできないからとか言って、誰からも義理以外のチョコ貰わないよな?」
「あぁ、確かそうだな」
「好きな人に、チョコを貰ってもらえないと知った女の子たちは、どう行動する?」
「下駄箱に突っ込むとか、義理を装って渡すとか」
「その他、あと一声」
「えぇ? 人伝てに渡してもらう……とか?」
「そうそう、そういうことだよ」
オレがそう言えば、大山は「あーね」と納得した様子を見せた。
「“笹川さんに渡してください”ってさ」
「なるほど。稲取が貰ったんかと思ったわ」
「オレはそんなにモテないわ」
そうやって軽口を交わしながら、彼は、笹川宛のチョコをまとめた紙袋を物色する。
「しっかし、これぜんぶ笹川宛?」
「驚くことに、全部」
「こんなに貰うなんて……高校でも、笹川のモテっぷりは変わんねぇんだなぁ」
「むしろ、高校に入ってからの方がモテてる」
「なにそれ羨まし」
「オメー、彼女いるだろ」
「そう、いるね。めちゃめちゃ可愛い彼女が」
そう言って、話題を一変。彼女の惚気話を語り始める大山。コイツの彼女は他校のマドンナである。一度だけ実物を見たことがあるが、とてもお顔が小さかった。同じ人間とはおおよそ思えない小柄さだ。こんな男にも可愛い可愛い彼女が出来るんだぜ? 笑っちまうよな。
「でも、チョコレートたくさん貰えるなんて……羨ましいなぁモテる男は」
「そうだな」
「なぁ、これさ、食っていい?」
「は?」
脈絡もなく、ぶち込まれた彼の発言に耳を疑う。コイツ、平然とした顔で何言ってやがる。
「こんなにあるんだからさ〜? 一個くらい食ってもバレないっしょ?」
「はぁ? 何言ってんだよ」
「稲取はこの量のチョコレートを、のうのうと笹川に渡すつもり?」
「…………は?」
「なぁ、食べていいよな? 一個くらい」
魔が差したとしか言いようがない。
「好きにしろ」
突然オレの口から洩れたその言葉に、大山は目を見開いた。まじ? と聞かれて慌てて訂正しようとするが、声が出てこない。むしろ、反対の意味の言葉ばかりが出てきた。
「まじ」
「ハハ、稲取、お前不純だな」
「何が?」
「嫉妬してんだろ?」
「はぁ? 何言ってんだよ」
「隠さんでいいよ。お前、笹川が好きなんだろ? それで女の子たちにジェラっちゃってんだ」
ーーーオレの笹川なのに、勝手な好意を寄せないでくれ。
ってな。
大山のふざけた様子のその言葉に、反抗する言葉は無数にあった。しかし、その全ての言葉がただ通り過ぎていった。確かに、彼の言う通りだった。
*
いつも、思ってる。
オレの笹川なのに、オレの方が絶対に好きだし、オレの方が先に好きになったのにーーーアイツのこと何にも知らないような子たちが、勝手な好意を寄せてるのを見ると嫉妬しちゃうだろ、当たり前だろ。むしろ、なんで嫉妬しないと思ってるんだ。
そう、大山の言葉を借りるのならば、オレは不純だ。ずっとずっと前から不純だ。人間だもの。
大山は、オレが言い返さないことを心配したのか「まぁ、んな他人のお熱い好意の籠ったチョコなんて食べないけどね」と、手をひらひらさせて言った。
「にしても、これはいつ渡すんだよ。はやく渡さねぇと溶けてなくなっちまうぜ?」
「大丈夫、溶かすつもりはねぇよ」
ん、と窓の方に視線を向けて、見てみろと促す。大山は歩いて窓の側まで行った。
「……あ、笹川じゃん」
「そう、アイツの部活が終わるまで待って、一緒に帰ろうって思ってるワケ」
「なるほどなぁ」
今、この学校のグラウンドでは、サッカー部が汗を流し、輝かしい青春を送っている最中だった。サッカー部エースの笹川さんも、例に漏れずに今日も今日とて青春を送っている。
大山は窓越しに、笹川に向かって呑気に手を振っている。すると、急にブンブン激しく振り始めた。
「笹川、気づいたっぽいぞ」
「は?」
オレもシャーペンを置いて窓側に行けば、そこには確かにこちらを見て手を振っている笹川がいた。オレが来たことにも気が付いたのか、パッと眩い笑顔を見せる。休憩中らしく周りの選手も楽しそうに手を振ってくれた。
「いいねぇ、サッカー部はアットホームな感じで」
オレが独り言よろしくそう呟くと、大山は「稲取も入れば良かったのに」と応えた。
「きっと楽しいと思うぜ? お前は才能もあるし」
「あいにく、オレはそう思わないけどな」
「いや、オレはそう思う」
「オメーがどう思ってても、オレは、もうサッカー部には入らねぇから」
オレは“もう”サッカー部には入らない。中学の時はサッカー部に入っていたけどーーーもう、入りたいとは思わない。
「わかってるよ、あの稲取が笹川の願い断ったくらいだからな」
どの稲取だよ。オレはそんなに笹川にぞっこんか? そう思い、蹴りを繰り出そうとするが、大山にスルリと交わされる。そして、苦笑いされた。
「ほら、足はまだ現役」
「これは癖だ」
「だとしたら、足癖悪すぎだろ」
「いいんだよ」
「よくないだろ」
「そういう大山だって、サッカー部に入ればよかったのに」
オレのその言葉を、大山はキョトンとした顔で受け取り、それから「いいや、いいよ」と言って笑った。
「オレは、どっかの幼馴染二人とは違って、才能がねーから」
「オレだってそうだわ」
「嘘つけ、笹川があんなにも絶賛した男なんて後にも先にも稲取だけだよ」
足が速くて、ドリブルもセンスも卓越してる。そして極めつきはその冷静な思考! 防衛するべきか攻めるべきかを冷静に見分けられるし、周りをよく観察している。相手の癖とか思考とかをそんなに瞬時に見透かせるのは京華ちゃんだけだよ。
いつかの笹川に言われた言葉が、そうやってまだ鮮明に蘇る。笹川には、激励されたことばかりだった。試合後に自分の反省をつらつらと述べたかと思えば「京華ちゃんはすごいよね」と、オレのことは褒めちぎるのだ。オレからすればオメーの方がすごいよ、とオレも負けじと笹川のすごいところを言い合ったことが遠い昔に思える。
「サッカー部には入らないから」
「……どうして、そんなに嫌がんのさ」
そう尋ねられても、オレは答えることなく、再び椅子に腰掛け当番日誌を書き始めた。
「稲取、もしかして、それ不純な理由?」
「………自分の才能のなさに嫌気がさしたっていうのが七割」
「あとの三割は?」
「お察しの通り」
それだけ答えると、大山は目を細めた。そして「勿体ねぇ」とだけ呟いた。
*
勿体無い、だなんて言ってもらえるほど、自分に才能があったとは思えない。
笹川と比べてしまえば、天と地くらいの差があったと思う。そう、それこそ笹川は愛されていたのだ。サッカーの神とやらに微笑みかけられるのは、いつも笹川の方だった。それを妬ましく思ったことはない。だって、楽しかったのだ。それよりも、オレはサッカーを楽しいと思っていた。才能がないと打ちのめされても、サッカーの楽しさのおかげで続けてこられた自覚はある。妬ましいだなんて思わないくらいに、あの三年間、純粋にサッカーと向き合っていたと思う。
……いや、訂正するべきかな。
正確に言うのならば、オレが純粋にサッカーと向き合ったのは三年間ではない。初めの二年間は、純粋無垢な気持ちで、ひたすらに打ち込んでいたけれども。
恋に自覚した後は、全く純粋ではなかった。それこそ、不純である。
サッカー部とかの運動部は、みんなだいたい距離が近いのだ。オレらの入っていた部活が、アットホームだったからというのもあるだろう。休憩中はもちろん、勝っても負けても、抱き合って互いを称え合った。
休憩中、飲み回しなども平気に行うし、男子特有の悪ノリで至近距離で戯れ合うなどもした。恋する前は気にならなかったことも、次第に、少しずつ気になるようになっていってーーー。
試合で勝った時に、笹川に抱きつかれそうになったのを思わず拒否してしまったこと。それで『あぁ、もうダメだな』と感じた。こんな不純に塗れたオレが、このままサッカー部にいてはダメだなと。
恋心ばかりに囚われて、サッカーに集中できない、打ち込めない。あの部活は、そんなオレが、いていいような場所ではなかった。サッカーの神に、そんなオレが顔向けできるとは思わなかった。
幸い、恋心に気付いたのは、中三の時。あと少しで終わる部活を、自ら退部するという選択肢はなく、ちゃんと終わりまで三年間共に青春を過ごした部員と共に過ごすことが出来た。
こんなんだったから、高校でもサッカー部に入るつもりはさらさらなくなってしまったのだ。オレはもうサッカーの神には、愛してもらえない。おおよそ、大山の察する通りだろう。
「……サッカー部って何時に終わるの? 絶対遅くまでやるっしょ?」
オレの暗い心内を察したのか、察していないのか、大山は話題を変えてそう尋ねた。よくもまあ、そんな次々に話題が出てくるもんだ。
「七時だってさ」
「はぁ? お前、今何時かわかってる?」
「四時だな」
「何するつもりでいたん」
「図書室で勉強して、ある程度潰そうかなと」
「出た、バカ真面目。喜べよ、稲取。オレが一緒に待ってやるよ」
「何様目線だよ」
大山は、ケラケラと大きく口を開けて笑った。楽しそうで、大変よろしいこと。だが、一緒に待ってくれるのは素直に嬉しかった。
「マジで勉強やるの?」
「やるよ」
「真面目だね〜」
「オレがわかる範囲で、なんか教えてやろうか? オメー、前のテストやばかっただろ」
「え〜、神! 稲取!!」
愛してるー! 大山はそう言って、オレの手を握った。これじゃあ日誌が書けないからやめてほしいな。
「はやく日誌書けよ」
「いや、オメーが手握ってるからだろ」
「あ、まじじゃん、ごめんね」
「許さん」
「そんなんだからモテないんだよな」
「うるさいな」
オレが日誌を書き終わるのを、大山はサッカー部を窓越しから見下ろして待っていた。
「あっ、あの人、ミスったな」
ドリブルがなぁ、ちょっとなぁ。お、今のフェイントうめぇな。いいね、そういう地味な動きも大事。んあー! 惜しいなぁ。にしても、ゴールキーパーお上手。
ボソボソと大山はそう呟いていたが、急に大声をあげて飛び上がった。
「やば!!」
「な、なに? 急にびっくりするだろ」
「稲取、見たか?!」
「見てない。何を」
「美しすぎるだろ、あれ。もはや、芸術的な域にきてる。やっぱり、アイツはすげぇよ」
「は? なんのことだよ」
「笹川の動き、見てたか?!」
「だから、見てないって」
日誌を書くことすら忘れ、大山の話に聞き入る。彼の口から零れ落ちた「マルセイユルーレット」、その単語を聞いただけで、大山の気持ちが一瞬で理解できた。
「美しすぎる、そよ風みてぇ。一人だけ、コートの上で踊ってたよ! やべぇよ。それにその後股抜きシュートしてた、やば、すご」
「は?! なにそれ、見たかった……」
「ははは、だよなぁ! 見たかったよなぁ! それを見ちゃったんだよな、オレ!!」
「チッ……オメーのこと、蹴りてぇよ」
「怖すぎだろ。物騒物騒」
脳裏に浮かぶ、美しいステップを踏む彼の姿。アイツ、ダンスは踊れねぇくせに、マルセイユルーレットはずば抜けて美しいんだよな。踊るみたいに、一人、コートの上で敵を惑わしてんだ。
大山は興奮が冷めない様子で、コートに釘付けになっていた。オレはそのうちに日誌を書き進める。
もしも、彼に恋してなかったら、オレは今でも隣でサッカーを続けてられていただろうか。
ーーーいや、そんなことは、考えるだけで無駄だろう。もう戻れないのだ。
それに、彼の隣にいれば、いつか必ず、彼の才能と自分の才能の差に打ちのめされる時が来る。それは、彼を一番近くで見ていたいオレが、一番わかってた。
*
「ごめんね、京華ちゃん。だいぶ待ったよね」
「いや、待つって言ったのオレだし。気にしないでいいよ」
「あれ? 小夏は?」
「大山は、天城先生に捕まってる」
「え、なんかやらかしたのかな?」
「課題未提出だから、アイツ」
「小夏、本当にそういうところあるよね」
ただ今七時。部活を終えた笹川と合流して、今に至る。大山は、先ほどの会話の通り、先生に捕まえられていた。あれは、もう自業自得の極みである。課題をサボっていたツケが回ってきたんだな。なんとも言いようがない。
「そういえば、はい」
「えー、なにこれー! ありがとう。こんなにたくさん、京華ちゃんから?」
「んなわけねぇだろ」
笹川に渡しといて、と色々な女子から言われたチョコを、内心嫌だなと思いながら渡す。このようなやり取りを去年もしたなぁと過去に思いを馳せた。そんくらいのチョコで彼が付き合ってくれると言うのならば、もちろん、オレはその量を喜んで買ってくるだろうけど。さすがに引かれると思うので、こんな量は買ってこない。その代わりに、と言ってはなんだが。
「こっちもどーぞ」
と言って、別の紙袋を渡した。あちらの女子のチョコと比べると控えめで、あまり目立たないが……たぶん、どれよりも愛がこもってるだろう。自信がある。
「嬉しいなぁ、毎年くれるの。オレ、甘いの好きなんだよね!」
「………知ってるよ。だからあげてるんだろ」
「えへへ、嬉しい」
ニコニコしている彼に、オレは去年とおんなじことを思う。なんで、こんなにも本命だって伝わんないんだろう、と。
笹川、そのチョコを見てみろよ。たぶん、そんじゃそこらのチョコよりそれは高ぇぞ? それにラッピングまでしてあるんだぞ? ただの友達同士なのに。おかしいだろ、これ。疑問を抱けよ。
オレが、この鈍感男に対して去年と同様に不満を抱いてると、後方から底抜けて明るい声が響いた。
「おっ、笹川! 見てたぞ、マルセイユルーレット! かっこよかったー!」
「小夏! 見てたんだ。ジダンに似てた?」
「いやもう、面影が見えたわ」
そうやって互いに軽口を言いあう二人。ジダンとはマルセイユルーレットを得意技としていたサッカー選手のことである。ちなみに、マルセイユは彼の出身地で、そこから取られている。
「オメーら、ジダンと比べんなよ」
「あはは、そうだね。京華ちゃんの言う通り。まだ足元にも及ばないよ」
「これから、伝説になるんだもんな。笹川は」
「やめてよ、プレッシャーには弱い」
「嘘つけ、本番に強いタイプだろ」
中学校の頃は〜とか試合の時には〜とか、やいのやいの言い合う二人をぼんやりと見つめる。中学の時から変わんねぇな。いつまでも仲良い。部活内でも部活外でも、常に笑顔を振り撒く大山と笹川は、色んな人に好かれていた。後輩からの支持も群を抜いていたよなぁ。
そんなことを思いつつ、ぼんやりと見つめていたつもりなのだが、笹川に「どうしたの、京華ちゃん。なんか怒ってる?」と言われて、急いで表情を取り繕った。
「そんな、怒ってなんかねぇ」
「どーせ、オレにでも嫉妬したんーーー」
「え?」
「黙れよ、大山」
「あっぶね! すぐに足出すのは、さすがにやめた方がいいぜ!」
「え、小夏、今なんて言った?」
「笹川、こんな奴の言葉なんて聞かない方がいいぜ」
「ひでぇよ、稲取」
「うるせぇよ」
「えっと、よくわかんないけど、普段温厚な京華ちゃんを怒らせた小夏が悪いね」
「普段温厚ってなんだよ。どこがーーーうお、マジ、足出すなよ!!」
大山の足に向かって蹴りをかましながら「とりま、帰るか」と帰路に着く。この三人で帰るのはあまりにも久しぶりで、中学ん時に戻ったみたいで、なんだかなんとも言えない気持ちになっていた。
ある程度軽い話題を交わした後。
「あ、そういえば」笹川はそう言って、オレが先ほど渡した、笹川宛てのチョコがたくさん詰まっている紙袋を開いた。笹川のことが好きな人たちの愛が、そりゃもう、たーっぷり詰まっている賜物である。
「……今から酷いこと言っていい?」
「ん? なぁーに、烈火くん」
「どうせ、いつものあれだろ」
「なにそれ、二人の間でしか伝わらないような話。やめてよ、古参みたいなマウント」
「実際古参だし、オレ」
「すみません、そうでした」
「どうせ、笹川が言いたいのは“このチョコ食べてくれない?”とかだろ」
「……そう、京華ちゃん」
え、なんで? 大山はそう言って、首を傾げた。
この大量のチョコ、そして一定数ある手作り。これらを、笹川一人で食べ切るのにはいささか無理があった。だから、毎年、笹川は頼むのだ。このチョコを食べてくれ、と。
いつもいつも、食べきれないからと言うが、正直なところ、多分彼は他人から貰うバレンタインチョコがあまり好きではないのだろう。ハロウィーンの菓子は自ら収集しに行くぐらい好むのに、バレンタインの菓子は好まない。その理由は未だに聞けていないが、知人からの義理は受け取るんだ、きっと本命のチョコレートに嫌な思い出でもあるのだろう。笹川ほどモテていれば……ねぇ?
だから、本命は毎回断るし、こうやってオレを通して渡されれば、オレに食べるように頼んでくる。ちなみに、下駄箱に入れられているチョコレートは、たぶん全部処分している。食べてくれないか、と言われるのはいつも間接的に渡された市販のものだけだった。そこには、やはり彼なりの配慮があるのだろう。
「じゃあ、遠慮なく頂きますわ〜」
大山はそう言って、本当に遠慮なく紙袋に手を伸ばす。オレも、笹川に「ありがとう」と言って、可愛らしいマカロンを手に取った。
きっと、彼はバレンタインに贈られるマカロンの意味なんて、知らないんだろうな。知っているらしい大山は、呆れるようにこちらを見て空笑いを浮かべていた。
口に含んだそれは、甘い甘いマカロンなはずなのに、苦くて嫉妬の蠢く味がしてーーー笹川の方を見ればそれは更に苦味を深める。
何も知らない無垢な彼は、オレがあげたチョコを見つめて、ニコニコと穏やかな笑みを浮かべていた。笹川のその顔が好きだ、だから、毎年チョコを買ってくる。
その穏やかな笑みを君が浮かべてくれるなら、気付かなくていいよ。オレがあげたチョコの中に仕込まれた重い愛になんて、嫉妬に塗れた愛になんて。きっと、笹川は重い愛に良い印象なんて抱いてないだろう。彼は、重い行き過ぎた愛に今まで、何度も傷つけられてきただろう。君のその穏やかな笑みを奪ってしまうくらいなら、いっそ知らないままで気づかないままでいい。
「稲取って……なんだか、めんどくせーなぁ」
「京華ちゃんが?」
「そうそう」
それでも、そう思うのと同時に、同じくらい気付いて欲しいと望んでしまうオレは、確かに大山の言う通り面倒臭い男なのだろう。
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