2.運命をねじ伏せる者

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「どうしたのだ? やはりどこか怪我を? それとも煙を吸ってしまったか?」  明らかに具合が悪そうな美鶴の背中を弧月は心配そうに撫でる。  背に伝わってくる温かさに、美鶴は平静を取り戻した。 (帝であらせられるのに、私のような平民にも優しくしてくださるのね……) 「ありがとう、ございます。ですがもうお捨て下さいませ。生きる価値のない命でございます」 「何?」  助けてもらっても、またすぐに死んでしまうのだ。これ以上妖帝の手を煩わせるわけにはいかない。  だが、美鶴の言葉に弧月は気色ばんだ。 「余が助けた命に価値がないと申すのか?」  怒りの滲んだ声に血の気が引く。  妖帝を怒らせてしまった。  その事実に恐怖を覚え、反射的に美鶴は地に伏し額を地面にこすりつけた。 「も、申し訳ございません! そのような意味ではなく……」  言い訳をしようとするが、異能のことを口にするのは躊躇われる。  今までずっと気味が悪いと嫌悪の眼差しを向けられた。  弧月の美しい紅玉の瞳に、怒りならともかくそのような感情を映して自分を見られたくない。 「……そういえば、先ほども気になることを言っていたな? 確か、予知と」 「っ⁉」  そういえば、有り得ない事態に気が動転していてすでに口走っていたのだった。 「それに身なりにしては言葉遣いも丁寧ですね?」 「あ、それは……」  時雨の言葉には素直に答える。  美鶴の父は他国からの輸入品を管理する役人のお付きをしている。  元々は他国の商人だったが、商品に詳しい者が必要だからと請われてこの国に来たのだ。  そのため他の平民とは違うという矜持があるのか、家の中でも言葉遣いや身のこなしは徹底していた。  それはないがしろにしている美鶴に対しても徹底していたため、自然とこのような口調になったのだ。  ついでに言うとあまり外に出ない美鶴は他の平民と接する機会も少なく、乱雑な口調の方が馴染みがなかった。 「……ふむ」 「これは、複雑な事情がありそうですね」  言葉遣いに関して話しただけでも何かを察したらしい男二人にじろじろ見られて居心地が悪い。  だというのに、もっと詳しい話が聞きたいからと弧月が乗って来た牛車に連れて来られてしまった。  牛車の中に入るなど分不相応だし、ただでさえ今の自分はいつも以上に汚れている。とても居心地が悪かった。 「……さて、全て話すんだ」  だが、美鶴の心情など気にも留めず弧月は話すよう促す。  心を見透かすように真っ直ぐ見つめられ、美鶴は軽く息を吐き諦めた。 (例え嫌悪の目で見られたとしても、この方とはもう関わることはないのだし)  何より自分は七日以内に死ぬのだ。細かいことを気にしても仕方ないだろう。  と、ほぼ投げやりな気持ちで全てを話した。  異能のこと、家での扱い、今日死ぬはずだったこと、何故か助かったが死の運命からは逃れられそうにないこと。本当に全てを。 「珍しいな、異能者とは」  全てを話した後の弧月の感想はそんな一言だった。  表情には軽い驚きが現れているだけで、嫌悪などはなかったことに美鶴はほっとする。 「それにしても、弧月様は運命すらもねじ伏せるほどの妖力を持つと言われておりましたが……まさか本当にねじ伏せるとは」  冗談交じりの時雨の言葉に、弧月は「ふむ」と何か考えるそぶりを見せる。 「予知か……それならば余の役にも立つ。娘、美鶴と言ったな?」 「は、はい」  改めて呼ばれ居住まいを正した美鶴に、弧月はその紅玉の目に強い意思を宿らせ告げた。 「その力、余の妃として余のために使え」 「は、はい!……え? 妃?」  思わずよく考えもせず返事をしてしまったが、今この妖帝は何と言っただろうか? (妃って、妻ということ? え? 聞き間違い?) 「そなたはここで死ぬはずだったのだろう? ならば今までのそなたは死んだことにして、これからは余の妃として生きるがよい」  続いた言葉に聞き間違いではなかったことを知り、ぽかんと間抜けな表情を晒してしまう。  そんな美鶴に、弧月は目力を緩め微笑んだ。 「運命をねじ伏せる余の元にいれば、その死の運命からも逃れられよう?」  慈しみが込められた優し気な眼差しにはっとする。  このお方は自分を守ろうとしてくれているのだ。  予知の力が役に立つからというのもあるのだろう。  だが、多くいる平民の一人でしかない自分を救おうとしてくれる思いを感じ取り、感銘を受けた。  平民を取るに足らないものと切って捨てる公家も多いと聞くのに、このお方はそんな人間すらも救おうとしてくれている。 (このお方の力になりたい)  自然とそう思わせられる。  愛されることすら諦めていた。生きることだけを許されていると思っていた。  だが、望むことも許されていたのだと今このとき知った。  望みが叶うかは別として、望むことだけはしてもいいのだと気付く。  それを気付かせてくれた彼の力になれるというなら、何にでもなろう。 「……はい。私の力がお役に立つのであれば、主上に使えたいと存じます」  殊更丁寧に頭を下げた美鶴は、その胸に希望という名の灯を宿したのだった。
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