3.安寧の日々

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*** 「美鶴様、今日の花は萩でございます」  御簾越しに可愛らしい赤紫の花のついた枝葉を掲げた時雨に、小夜が近付き受け取った。  小夜は慣れた仕草でしずしずと美鶴の元へ来て萩を手渡してくれる。 「ありがとうございます。萩とは、もうすっかり秋なのですね……」  死ぬはずだったところを助けられ、妖帝の妃となったあの日からはや三月(みつき)が経とうとしていた。  暑い夏の盛りだった季節も、朝晩が辛くなってくる時期になっていた。  あの日から弧月とは一度も会えていない。  だが、あの日言った通り毎日花は欠かさず使いの者が持ってきてくれていた。 (でも、その使いが次期右大臣と言われている時雨様だというのはやはり畏れ多いと思うのだけど……)  そう、弧月と親しい様子から見てもかなり近しい立場だと思っていたが、時雨は弧月の従兄であり次期右大臣となることがほぼ決定している側近でもあったのだ。  いずれは左大臣にもなるだろうと言われている方だと初めて知ったときは、何という方とお話していたのだろうかと青くなった。自分の行動を思い返し、粗相をしていなかっただろうかと頭を悩ませた。  小夜には「謙虚すぎる美鶴様が時雨様を怒らせるほどの粗相をしたとは思えませんが?」と呆れられたが。  小夜はそのまま美鶴の腰元となっていた。  小夜も妖で、当然ながら貴人である。  そんな貴い身分の人が妖帝の妻となったとはいえ平民である自分に仕えるなど畏れ多いと言ったのに、妖帝の妻に一人も腰元がつかない方がおかしいでしょうと逆に(たしな)められてしまった。  聞けば、小夜は美鶴の教育係も兼ねているらしい。  内裏に住むというのに、内裏のことを何も知らないというのは困るだろうと弧月が采配してくれたのだそうだ。  弧月の計らいは素直に嬉しかったため、教育係ならばと納得したのだった。  そうして教えられた様々なことは美鶴にとって驚きの連続だった。  時雨のこともそうだが、何と弧月に妃は自分一人だけだというのだ。  妖帝ともあろう者の妻が平民出の自分だけとは。あり得ない事実に本気で眩暈がしたのを覚えている。  だが、だからこそ更衣という妃としては下の身分でありながら七殿の一つを賜ることが出来たらしい。  どういったわけなのか詳しく聞くと、弧月は妖力が強すぎて子が望めないだろうと言われているらしい。  そのため、強い妖を産んでくれる姫達を自分に縛り付けるよりも有力な公卿と子を成して欲しいと望んだ。  妖帝は妖力の強い者がなるのだから、と。  そこにも美鶴は驚いた。妖帝は世襲ではなかったのだという事に。  流石にそれくらいは平民でも知っていると思っていたと、その時も小夜に呆れられた。  本当に自分は無知なのだなと日々恥じ入る思いで過ごしている。  そんな様子で小夜は呆れてばかりだったが、美鶴の予知の異能を目の当たりにすることで見方を改めたらしい。  最近では教育係として厳しくありつつも、仕える主として敬い尊重されてるように感じることが増えた。  あれからというもの、美鶴は自分の死の予知は視なくなった。弧月の思惑通り、死の運命からは逃れられたようだ。  その代わり、弧月の身の回りのことや内裏のこと。時には都の中で起こる火事のような大事な事件を予知するようになった。  思えば以前までも自分の身の回りのことや知っている人物に関しての予知ばかりだった。  自分の予知は、身近な人や物事に左右されるらしい。  つい先日も、弧月の薬子(くすりこ)といわれる毒見役が毒を食し苦しむ様子を視たことを伝えると、その後七日間は薬子が食す前に小鳥に食べさせていたそうだ。  おかげで貴重な薬子を失わずに済んだと礼の文が届いたことは美鶴にとっても嬉しいことだった。 (それにしても、主上の運命をねじ伏せるお力は私以外にも適用されるものなのね)  予知は覆らないものだった。  だから、本来ならその薬子も毒を食してしまう運命だったはずだ。  だが、結果として薬子は毒を食らわず苦しむこともなく無事だ。  それは弧月の近くにいるからなのだろう。  予知を視ても美鶴にはどうすることも出来なかったこれまでと違い、今は弧月に伝えることで運命を変えることが出来る。  それは何よりも嬉しいことだった。 (主上にお仕え出来たことは、私にとっても僥倖だったのだわ)  弧月が手ずから手折ってくれたという萩を見つめながら、美鶴は幸せを噛みしめるように微笑んだ。
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