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冷え切ってがらんとした部屋で立ち尽くす。
その光景はあまりにも非現実的で、何故か、と考えることを脳が拒否していた。
だが、時が止まってしまったかのような静寂は、突然、ぶはっと電話の向こうで吹き出した無礼な男により跡形もなく霧散する。
『あっっっは!あーっはっはっはっ!何それガチで逃げられてんじゃん!か、家財道具ごといなくなってたって……ぶっ、あははははははは…っぁ、ごめんなさいマスター…!あっちの隅っこで静かに話すから追い出さないで…!』
「笑いすぎだろ…!」
店内からかけてたのか。バーで通話なんて非常識な奴。
怒りついでに嗜めると、今夜は客も少ないし一番奥の席で静かにならいいと許可をもらったという。
常連なので甘やかされているようだ。
案外、マスターもいい加減アキラの失恋話に辟易していて、厄介払いの一環だったのかもしれないが。
『いや〜、これ今年一番笑ったわ〜。ぶふっ!ちょっと本当に面白すぎるんだけど。笑いすぎていつも優しい微笑みを絶やさないマスターに般若顔でにらまれちゃったじゃん。あーもーお腹痛い。カナメ、俳優やめてコメディアンになったら?』
「なるか!……お前な……なんかもう少し思いやりのあるリアクションできないのかよ」
そう言いながらも、思い切り笑い飛ばされたことで、本格的に絶望するのは避けられた……なんてのは絶対に本人には言ってやらないが。
『残念だったね?まあ、振られるなんてよくあることだし、奢ってあげるからロンリー同士一緒に残念会やろうよ』
「失恋が日常のそっち側に含めようとすんな!」
そんなタダ酒は御免である。
「……まだ振られたって決まったわけじゃねえ」
『そもそも、今夜はちゃんと約束してたの?』
「当たり前だろ。イブには帰るからって言ってあったし、今朝も夜には帰れるってメッセージ送ったし」
家を出た日の朝も、その前の日も、変わった様子はなかった。
仕事の都合で、撮影が地方になれば、どうしても長く家を空けることになる。
ただ、今までにもそういうことはあったし、特に不満を言われたことはない。
どちらかといえば、あまり寂しそうな様子を見せない相手に、要の方が少し温度差を感じていたくらいだ。
『返事は?』
「……………既読にはなってる」
『恋人さんは普段あんまりレスポンスない系?』
「いや、いつもは……、」
『……完全にすっぽかされてるでしょ』
もうそれしかないような気はするのだが、まだ認めたくはなかった。
「わかんないだろ!何か…、あれだ事件に巻き込まれたとか!」
『部屋が荒らされてるとかじゃないんだよね?それで事件っていうと、かなりぶっ飛んだ設定が必要になってくると思うけど。何してる人なの?』
「ん?…何か…絵?イラスト?とか…そういう…」
『…知らないの?』
怪訝な声に、焦って言い訳する。
「あいつはあんまり自分のこと話さねえんだよ!」
『ご家族のご職業は?』
「いないっつーから、何してたのかとかは聞いたことねえけど」
『……全然興味ないじゃん』
だから、そんなことないって言ってんだろ!
話したくないのかと思って配慮してたんだよ!
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