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近所のコンビニに行ってきた帰りだった。
マンションのエントランスを横切り、エレベーターホールへ差し掛かったところで、数メートル先を歩いていた小柄な青年が躓きかけ、転ぶのはこらえたものの大きな荷物を取り落としたのが目に入る。
「あっ……!」
紙袋からなかなか派手に中身が飛び出て、要は近くまで滑って来た物を拾い上げながら声をかけた。
「おい、大丈夫か?」
「ぁ……ありがとう、ございます」
転びそうになったことに驚いたのか、荷物をぶちまけてしまったことがショックだったのか、すっかりフリーズしていた青年は、ようやく他人が拾い集めてくれていることに気付いたらしい。慌てて自分でも残りを拾い始める。
拾ったものは、絵筆や見たことのないメーカーの絵の具のチューブ、スケッチブックなどで、絵画には明るくないが、専門的な画材であることはわかった。
「しかし大荷物だな。こんな持ちきれないくらい買うんなら、配送して貰えばよかったのに」
「あの、でも……今日使いたくて……」
「はあ…そんなもんか?ほら、これで全部だな。お前、ここに住んでんのか?またぶちまけそうだし、部屋まで一緒に運んでやるよ」
「えっ……、でも、そんな、」
「俺も自分の部屋に戻るところだから、ただのついでだよ。ほら、半分貸せ。行くぞ」
「あ、ま、待って……!」
強引に荷物を奪い、エレベーターのボタンを押す。
開いたところに乗り込むと、慌てた様子で追いかけてきた。
何階かと訊ねたところ、要の一つ上の階に住んでいるようだ。
このマンションは、要以外にも芸能人が何人か住んでいる、業界人御用達の物件である。
ここに住んでいるということは…親が金持ちなのか、本人が要の知らないジャンルで活躍しているのか、とにかくメディアの言うところの『一般人』ではないことは確かだろう。
この青年からはあまりそんなオーラは感じない……というか、容姿だけで言うならとても地味だ。
長めの前髪は、明らかにファッションではなく伸びてそうなった風だし、洋服にしてもパッと目を引くようなアイテムは身につけていない。
なんとなくできてしまった間に相手を観察していると、目が合った。
「そんなチラチラ見られるとな……。俺の顔に、なんかついてるか?」
「ご、ごめんなさい。何でこんな親切にしてくれるのかなって…」
自分も見ていたことは棚に上げて先制する。
どこかで見たことがあるとかそういう話かと思ったが、全然違ったようだ。むしろ、不審がられているようですらある。
「別に、目の前に困ってる奴がいたら、助けるのは普通だろ?って親切なんていうほどのことでもないしな」
妙に勘繰られても面倒なので、特別なことをした覚えはない、誰にでもこうしたと主張しておく。
無論、相手が異性だった場合は、スキャンダルを警戒してもう少し違う対応になったかもしれないが。
「でも、逆の立場だったら、俺にはこんな風にできたかわからないし……、その、ありがとう」
不審に思われていると思っていたので、素直に礼を言われて驚いた。
目を瞠ったのは、ふっと和らいだ表情が印象的だったから。
雲間から明るい月がそっと現れたような笑顔だった。
「……………………、」
「?」
うっかり言葉を無くすと不思議そうに覗き込まれて、何故か狼狽えて目を逸らす。
「っ、あー……ここには、家族と住んでんのか?」
「いや、一人で……」
言葉の途中でエレベーターが止まったので、二人で降りた。
「あ、そこだから……」
そうか、一人暮らしかと脳内で反芻しながら、表札を確認する。
「へえ。温川っつーのか。下の名前は?」
「えっ……、鈴葉」
「俺は七瀬要。要って呼んでいいぞ。見たとこ年も近そうだし」
「う、うん。あの、じゃあ……よろしく、要」
「………………」
「要?」
「あっ……、ああ。よろしくな」
またしても、うっかり目を奪われていたことに気付き、要は内心(なんでこんな地味なのに)と首を傾げながら、少し気まずく笑い返した。
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