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 要が帰宅する数日前。  その夜、鈴葉は、さる高級クラブを訪れていた。  鈴葉のパトロンが経営している店で、男性のキャストが客をもてなす、ホストクラブやメンキャバのような場所だ。  こうした場所……というより鈴葉は外出自体あまり得意ではない。しかし、心の内を話すような親しい友人がいないので、一人では抱えきれない悩みがある時、いつもここを利用していた。  普段はクローゼットの奥で眠っているよそ行きのジャケット姿の自分にも慣れなくて。変ではないだろうかとそわそわしながら受付でいつものキャストを指名し、案内された席に着くと、相手はすぐに現れた。 「お久しぶりですね、温川様」  恭しくお辞儀をするすっきりとした顔立ちの青年。  スタンドカラーのシャツに蝶ネクタイを締め、その身を包むのは燕尾風のカマーベスト、下は黒い細身のパンツ、というのがこの店の制服だ。 「こんばんは、シンバ」  控えめに挨拶を返しながら、変わらぬ相手に少しだけホッとした。  『シンバ』という源氏名のこのキャストは、目がチカチカするような美形達のひしめくこの店にあっては、地味とも言える容姿ではあるが、どこか只者ではない雰囲気を漂わせている。  少々個性的なキャラを持つシンバは、挨拶の他に特に何か営業的なリップサービスをするでもなく、サッと隣に座るとメニューを差し出した。 「お飲み物は?」 「アブサン」 「相変わらず辛党だな」  苦笑しながらボーイにオーダーを入れると、「それで今日は?」とさっさと本題に入る。  確かに鈴葉がこの店を訪れるときは、何か悩みがある時ではあるが、シンバには話を切り出すまで待とうなんていう気遣いは一切ないのだ。 「また作品作りに行き詰って?」  重ねられた問いに、首を振る。 「その…、悩んでいることがあって…。君の極論を聞けば少し冷静になって、自分がどうするべきかきちんと考えられるかと思って」 「僕はいつも思ったことを素直に口にしているだけですけどね」 「思ったことを素直に口にできるっていうのは、すごいことだよ。……しかもこういう接客業で……」 「まったくです。僕をリピート指名してくださる方はドMの変態ですよね」 「………………………」  試しに投げたギリギリ当たらない程度のビーンボールを、投手目がけて思い切り打ち返してくるのがこのシンバというキャストである。  毒舌。それが彼のキャラだ。  初めて指名した時、この店の副店長に「こいつ毒持ってますけど平気ですか?」と、なんなら考え直せくらいの口調で聞かれて驚いた。  結果的に、優しく話を聞いてくれる人よりは、辛辣に発破をかけてくれるシンバの方が、優柔不断な自分に合っていたとは思う。  ……だからと言って、「変態ですよね」などと同意を求めるような調子で言われても、流石にそれを全面的に肯定できるほど吹っ切れてはいない。  一体どんな言葉を返せばいいのかと、開いた口を塞げずにいると、シンバはさも鈴葉の反応の方が異常であるというような顔で、「何か?」と聞いてくる。 「……いや……うん、忘れる」  彼がどんなキャラか知っていて指名しているのだから、何を言ってもブーメランだ。  雇用している側は本当にこれでいいと思っているのか、やはり金を落としている自分が考えることではないかもしれないが、ちょっと聞いてみたいと思った。
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