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そこにオーダーしたアブサンが運ばれてきて、話を中断した。
アブサンは専用のスプーンの上に置いた角砂糖に水を垂らす『アブサンドリップ』と呼ばれる飲み方が有名だが、鈴葉は酒はだいたいストレートで飲む。
先ほどは「相変わらず辛党だ」などと笑っていたシンバも、それに付き合って涼しい顔をしているから、酒には強い部類だろう。
あまり酔わないとはいえ、素面で話すのも難しい話題で、鈴葉はグラスに注がれた黄緑の液体を、ぐっと呷る。
「……その……実は、今付き合っている人と別れるかどうかで悩んでるんだ」
勇気を振り絞った告白だったが、シンバは眉ひとつ動かさなかった。
「ちなみに、別れたい理由は?浮気?DV?性格の不一致?」
「ぇ……し、強いていうなら性格の不一致……?」
「どんなところが合わないと感じるんですか」
アンケートか何かのようにさくさくと聞かれ、柄でもない話題に気まずさを感じる暇もない。
「…合わないっていうか、その人の望む存在になれていない自分が辛くて、ずっとこうなのかと思うと逃げたい気持ちというか」
「ふーん……相手にはそれを話す余地もないし、察してくれる気配もないと」
「そういうのは求められてない気がして、言えない」
出会って一年。
彼にとって都合のいい相手でいたいと思う気持ちと、もっと自分のことを知ってもらいたいと思う気持ちの折り合いがつかなくなってしまった。
要の「好きだ」という言葉を、嘘だとは思わない。
けれど、彼は何を以てして鈴葉のことが好きなのだろう。
好かれている根拠がなさすぎて、鈴葉がこれ以上を求めたとしても、これまでと同じ気持ちでいてもらえる自信など到底湧いてこない。
力なく首を振った鈴葉に、シンバはなるほどと頷いた。
「それは……性格の不一致ですね。ま、人間はこの地球上に掃いて捨てるほどいますから、諦めなければそのうち一致する個体が見つかるのでは?」
「えっ…しゅ、終了?」
あっさりと話が纏まってしまい、鈴葉は慌てる。
悩む余地もなく、シンバの中では結論が出てしまったようだ。
「相手の方が温川様のその面倒臭さに気付いているのかいないのかは不明ですが、現状まで一切フォローできていない。温川様は、それを伝える努力を必死になってするほど一緒にいたいわけでもない。お互い、もっと合う人間を探した方が建設的です」
「め、面倒…」
はっきり言われて、流石にショックを受ける。
もう少しオブラートに包んでもらえないだろうか。
……期待するだけ無駄だということはわかっているけれども。
「単純に「察して欲しい」と相手に直接怒れない辺りが、非常に面倒ですね」
「でも…逆にあんまり先回りされても息が詰まるし…」
「そういうところですよ。人との対話はもう諦めて、どこか山奥に庵でも結んで、寂しいなら動物でも飼うといいでしょう」
「まあ……そうなんだよね……。そもそもが、他人と生きていくことに向いてないのは自覚してるんだ」
シンバは容赦ないが、間違ったことを言ってはいない。
鈴葉は、小さなことでも自分の本当の気持ちを他人に伝えるのは、昔から苦手だ。
自分よりも主張が大きい人がいると、言いたいことがあっても我慢して譲ってしまう。
それが物凄いストレスになるわけではないが、一切何も感じないわけではなくて、やがて疲れてしまい、最終的に一人でいることを選択してきた。
一人でいるのがそれほど苦ではない性質だったのが、逆に殊更に人を遠ざけてきたのかもかもしれない。
「逆に、別れるのを躊躇う理由は?」
そこである。
「……好き……だから……?」
「聞かれても」
自分でも、何故悩むのかよくわからない。
目的のために努力することを含めて何でも器用にこなしてしまう彼とは真逆に、鈴葉は何をするにも不器用で、恋人として不釣り合いであることもよく解っている。
彼といると、考え方も生きている世界もあまりにも違いすぎて、戸惑うことばかりだ。
負担なら距離をおけばいいだけの話で、それができないということは好きなのだろうかと結論づけた。
「いつも自分に自信があって、キラキラしてて、すごくかっこいい人なんだ。困っている人に迷わず手を差し伸べられる優しさとかも尊敬してる。……でも、一緒にいるとずっとペースに引きずられてる感じで、それが嫌な訳じゃないんだけど、上手くついていけてないのが申し訳なくて」
最終的に、失望させて嫌われてしまうのが怖いのだろう。
本当は、そばにいてほしいのだ。
もう少し自分の気持ちに寄り添ってくれる彼に。
「面倒」
「うぅっ…わかってるけど…」
自分の気持ちを伝えることすらできないのに、我儘極まりないことはよくわかっているので、うんざりと一刀両断されても何も反論できない。
「そのうちいい人が見つかりますよ」
「……どうしても終わる方向なんだね?」
「理由はどうあれ、一緒にいないための理由を探してる時点で、もう別れたいと思っているというのが持論です。僕なら、例え好きでも、関わることで嫌な気持ちになることがあるなら、それを惰性で続けるのは無理ですね」
「シンバは強いよね……。普通は好きなものを、関心がなくなったという以外の理由で手放すのは結構難しいと思うけれど」
「僕からすれば、不快な気持ちをこらえて日々を過ごしている人の方が強いですよ」
「そ、そういう見方もあるかな…でも、聞いてくれてありがとう。おかげさまで少し気持ちの整理がついたような気がする」
「なら、新しい恋人よりも、温川様に気軽にこういう話ができる友人ができることを祈って乾杯しますか」
それは(面倒な相談から解放されて)よかった!と顔に書いてある清々しい笑顔でグラスを差し出され、鈴葉は「(俺……なんでシンバを指名しちゃったんだろ……)」と今更だが己の選択を真剣に後悔した。
「……。か、かんぱーい……?」
カチン、と、妙に白々しいグラスの音が響く。
彼を雇用している側は本当にこれでいいと思っているのか(以下同文)。
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