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──何故か、幸せになりたくない。
私は小さい頃、耳に病を患ってしまった。だから、市にある大きな子供病院で数えられる程ではあるが、入退院を繰り返していた。
そして、無垢な私に迫る手術を乗り越えるのには、『家族』という無二の存在が不可欠だと思い知った。いや、隔絶された世界の中で誰かが確実にそう呟いたのだ。
遠い晩夏では、不安で不安でずっと母と話していたかった。
「……がんばろーね。絶対良くなるから」
あの時、母は手術の為に病院に向かっている車内で、力強く言った。
私自身、深い意図が分からなかったけど、母は憂っていた。心配をかけまいと私はただ頷く。
「うん。がんばる」
母は続けてあからさまに、私に
「何かほしいものある?」
と問った。本当に欲しかったかは、憶えてすらないが、お人形がほしいと返した。きっとこの場凌ぎでも、思い出を形にしておきたかったのだと思う。
「手術が終わったら、楽しみにしててね」
何も終わらないことを知っているのに、少し空気を苦く感じた。そして目を閉じ、味わうことのない私自身の記憶を、此処から捨ててしまった。
『とおきーやまにーひーはおーちて』
数時間後、手術が無事終わった。
深い眠りから目を覚ました私はまず最初に、息をしていることに気付いた。その後、夕方の病室の壁に貼られている呑気なキャラクター達を視界に捉え、段々と色づいていく世界を認識する。
数秒後、起きた私に母が声を掛けた。
「起きた? 手術、成功だってよ」
ぼやける脳内で言葉を変換し、意味を理解していく。
私は強がりか、心からの安堵か、寝たまま母と視線を合わせて、ゆっくりと笑みを零した。眩しすぎる夕日に、この感情を幾度となく噛みしめていた。
「やったぁ」
掠れてしまった声は、きっと届いていない。返事を待たずして、重い瞼はすぐに淡い闇に包まれた。
幸福の渦中に浸っている私達は、もしかしたら不幸かもしれない。人は大切な事を、『幸福』か『不幸』と言う観点からしか見ることが出来ないのだから。
「温もりに包まれている人間は、破けてしまった所を人生にしたがる」
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