第百六章 諦めない

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第百六章 諦めない

 或守蛾(あすが)は勢いよく三笠の肩に刺していた刀を引き抜いた。傷口から迸る鮮血。三笠の目は、呪鬼の向こうで何かを叫んでいる嵐尾を捉える。 「……嵐尾っ、さんっ……!」  三笠はその言葉を最後に膝から崩れ落ちた。地べたに這いつくばりながら右手で傷を押さえるが、それはあまりに深くて大きくて――その赤黒い液体は指の間からポタポタと伝っては地面に落ちていく。 (だめだ……私が、しっかりしなきゃいけなかったのに……)  涙が溢れそうになる。血を大量に失ったせいか、意識も朦朧(もうろう)としてきた。 (これじゃあ、西京明石(さいきょう あかし)の思う壺じゃない……まるで北羅銀(ほくら ぎん)みたいに、みんなを結界内でバラバラにして弱体化したところを一人ずつ叩く……)  頭では分かっていた、此処で死んではいけないということ。私が死んだ次は、嵐尾さんがやられて、それでこの馬鹿みたいに強くて速い或守蛾という呪鬼が、他のみんなのところへ行ってしまうこと――。 (だめ、意識飛ばしたら――死ぬ……)  わかって、いるのに。 (でもここで死んだら、佐紀や時雨や、アヤたちとも会えるんだよ? 死んじゃえば、楽だよ?)  心の何処かに棲む「諦め」の気持ちが囁く。それは、今の三笠にとって、甘い誘惑だった。この苦しみや痛みから、逃れられるのなら。あの日、新潟で失った大切な人たちと同じところへ行けるのなら。 (……もう、諦めたほうが)  いいんじゃない?  嵐尾は、派手な血しぶきを上げながら崩れ落ちる少女の姿を、まるでスローモーションのように感じながら見ていた。 「天乃っ……!」  左手を伸ばすが届くはずもなく、嵐尾の手のひらから、はるか遠いところで天乃三笠は倒れこむ。 「……嵐尾、さん……!」  自分の名前を呼びながら、三笠が落ちる。嵐尾は目の前が真っ暗になったような気がした。一気に彼の瞳に憎悪の炎が燃えあがり、その怒りはただ一点、或守蛾へと向く。 「てっめぇ――っ」 〈なんでしょうか、?〉  にっこりと、侍のような見た目の呪鬼は笑った。その笑顔を見たのと同時に、嵐尾は自分の死を悟る。 〈貴方、嵐尾さんだったんですね。道理で顔に見覚えがあったわけです……最初から名前を教えてくれていればよかったのに〉  或守蛾は静かに近づいてきて、嵐尾の耳元で囁く。まるで呪いにかかったかのように、逃げる足は動こうとしない。 〈そういえば、最強の『巴』時代なんてのも、あったんですよね……? 貴方もその一人だった。あとは神谷さんと、琴白さんでしたっけ? もうみんな死んでますけどね〉 「……死んでねぇよ、……っ!」  嵐尾が言い返したところで、脇腹を激痛が走った。見ると、或守蛾の刀が刺さっている。 『呪鬼術・蛾狼必凶(がろうひっきょう)』  刀が抜かれた。血が吹き出す。  世界が回る。視界が暗くなる。 〈いかに過去に、最強の『巴』だったとしても……もう呪法も使えないようでは、恐れるに足りませんね〉  地面に仰向けに倒れている嵐尾の首筋に、或守蛾の刃が当てられた。 〈では、お望み通り先に殺してあげましょう。  ――『嵐尾千里(せんり)』さん……?〉  「全く……センリは直ぐに感情で動いちゃうんだから、私を見習わないとダメだね」  嵐尾の命の灯火が消えゆく前に、彼の視界に映ったのは、丸眼鏡の奥の瞳を金色に揺らめかせる狩衣姿の男だった。 (琴白……? どうしてここに……)  驚く嵐尾の目に、また違う人物が映る。その癖のある明るい色の髪の毛に、青緑色の目を持つ彼は、琴白の背中をバンバンと叩きながら笑った。 「星哉(せいや)、将来有望な後輩に、間違った道を教えるなよ」 「はぁ!? ナッツ、私は君の言っている意味が分からないが!?」 (……賀茂、夏行……?)  更に戸惑う嵐尾の顔を、また新たなメンツたちが覗き込んだ。 「嵐尾、諦めるな」  そう言うのは珍しい碧眼を持つ男。 「春過、そりゃどういう意味だよ」  次に登場するのは、四角い眼鏡をかけた冷徹そうな陰陽師。 「それはですね、」  最後に出てきたのは、ミルクティー色の髪に白衣を完璧に着こなした“同期”だった。 「琴白様や賀茂様、春過様、神谷様といったあまりお手本にならないような先輩方を持っても、諦めずに自分の道を進んでいけって意味ですよ」  嵐尾の中に、様々な感情が渦巻き、湧き出てくる。 (春過先輩、神谷(かみや)さん、それにアキラ……)  なんで『皆』ここに居るんだよ。  そう訊ねようとする前に、白衣の同期がこちらに顔を近づけて言ってきた。 「だから、センリくん。諦めないでください」  後ろでかつて 仲間たちが首をブンブンと縦に振っているのが見える。 「知っていると思いますが、人のことを殆ど『様』付けで呼ぶ私にとって、君は唯一『センリくん』と――親しく呼ばせていただいている存在なのですよ?」  後ろで「私のこともセイヤ先輩って呼んでくれていいのよーん」と主張している某陰陽師が居たが、それは神谷と呼ばれた眼鏡の男に抑え込まれた。  気にせず同期の男は続ける。 「だから……お願いですから、自分の運を諦めないでください。私もずっと、君が“あの日守りたかった”、“もうひとりの『千里』”にかかった呪いと、戦っているんです!」  だんだんと視界がぼやけてきた。だけれど、声はきちんと、全部届いている。 「君はもう一生戦えない、それは君だって誰だって、知っているはず……。でもそれは、諦める理由にはなりません! ですから、信じてくださいセンリくん!」  君は、いつだって『』の一人だという事実に、変わりはないってことを――。 (これは、走馬灯……?)  諦めるな、嵐尾千里。  嵐尾は、瞼を開けた。或守蛾の刀が今にも彼にトドメを刺そうとしている――その瞬間。  奇跡は、起きた。 「うちだって、諦めへんでーーーー!」  という謎の叫びとともに、場に人の気配が増えた。どこからか強風が吹いてきて、嵐尾の髪を揺らす。 〈……何者ですか?〉  或守蛾は驚くあまり、目の前の元陰陽師への注意を逸らした。その刹那に、嵐尾は立ち上がり、完全に距離を置く。  或守蛾が、声の主の方を向いた。  倒れていた三笠が、うつろな目で風の吹いてくる方に目をやった。その瞳が、輝く。  嵐尾も脇腹を押さえながら、同じ方向に視線を向けた。 「お前は……っ」    二人と一体が目を向けた先、そこには結界の破れ目があった。夜の結界空間に対して、外は昼間の設定。後光のように、外の光はその破れ目の前に立つ人影を照らし出している。  濃い桃色のお団子ヘアに蛍光色のタンクトップを着ているのが分かった。女だ。  或守蛾が動揺を隠しきれていない様子のまま、お決まり通り名乗りだした。 〈……僕は『白虎』眷属の或守蛾です。君は、何と言うのですか?〉  すると人影は、明るい声で言った。 「うちの名前?」  桃色の瞳が、煌めく。 「祓所属陰陽師、大阪府『流』の龍宮蜜葉(りゅうみや みつは)やで! よろしく頼むわ、或守蛾はん?」
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