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貴志狼の腕が横から伸びて、葉の行く先を遮った。
『シロ…』
事故にあってから、初めて思う。
どうして、思い通りに動いてくれないんだ。
と。
歩き出そうとして、またよろけて貴志狼の腕の中に身体を預ける。こんな時でも、貴志狼の腕に触れられるのが嬉しいと感じる自分にも葉はうんざりしていた。
『お前。大丈夫か? 顔色真っ青だぞ』
心配そうに貴志狼の顔が覗き込んでくる。
葉のことを避けていたくせに、逃げ回っていたくせに、その瞳は酷く真摯だった。まっすぐに見つめられて、心の中を見透かされているようでその瞳を見ていられない。
『平気』
きっと、こんなふうに足が動かないフリをしているだけなんだ。動かないと思い込んでいるだけで、本当は動くのに。
葉は思う。
ただ、貴志狼がそばにいてくれるから、その場所を手放したくないから、自分は足が、身体が不自由な自分を演じているだけだ。
そう思うと、居たたまれなくなって、ぐい。と、葉は力を入れて貴志狼の腕から離れようとした。
『そんなわけないだろ。ほら。母屋まで連れてくから掴まれ』
貴志狼が強引に葉の細い身体を抱きかかえる。
掴まれ。なんて、言っているけれど、掴まらなくても意に介してはいない。有無を言わせずに、店の裏にある一戸建ての葉の住居まで連行されそうになる。
『大丈夫だって。営業中だし。も。カフェも開けないと』
別に店はどうでもよかった。けれど、抱きかかえられて連れていかれるのは嫌だ。そう思ってから葉は、違う。と、否定する。嫌なのではない。困る。
恥ずかしいんじゃない。子ども扱いのようで怒っているんじゃない。触れられたりするのが嫌なわけがない。
ただ。そんなことに喜んでしまって、どきどき。と、跳ねる鼓動に気付かれたくない。今、気づかれると困る。気持ちを隠すことができなくなるから。
『も。カフェはやめろ。無理しているだろ』
しかし、そこで、貴志狼の声色が変わった。なんだか、とても大切なことを言うように、低くて重みのある声色だった。
どんな顔をしているか気になる。けれど、子供抱きで抱えられているから、貴志狼の顔を覗き見ることはできなかった。
『忙しいときは鈴が来てくれるし大丈夫だよ』
だから、葉はまるで言い訳するように言った。もともと、鈴がいるときといないときでは客の入りは全く違う。平日なら一人でも大丈夫だし、鈴がいてくれれば大抵のことは葉に代わってやってくれた。
それに、カフェを辞めたくないのには訳があった。
『なんで、そんなにこだわるんだ』
葉を抱きかかえたまま、貴志狼が言う。非難しているというより、心底心配してくれているというのがわかる。
それでも、貴志狼には、本当のことを言えないわけが葉にはあった。
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