5 お嬢さんへの玉露

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 貴志狼には、本当のことを言えないわけが葉にはあった。 『それは…』  カフェを続けたいというよりも、甘味を作ることを葉はやめたくなかった。甘味を作り続ける口実として、カフェをやっているというのが本音だ。別にカフェを辞めてもスイーツを作ることを辞めなければいけない理由にはならない。正確に言うと、葉はいつでも新しいスイーツを研究して、試作品を作ることを辞めたくなかったのだ。 『とにかく、明後日はあいつとの約束だろ? 熱でも出したら困るし、もう休め』  理由は言わないまま口を噤んでしまった葉に貴志狼がため息を漏らす。こうなってしまった葉が、どんなに問い詰められても本当のことを話さないことを貴志狼は知っているからだ。  代わりに、もっと、言ってほしくないことを言われて、葉はなんだか喉の奥が熱くなるのを感じていた。  ほかの人と出かけるのを何とも思われてないのが、キツイ。分かってはいるけれど、お前を恋愛対象として見るのは無理。と、正面切って言われているようで、キツイ。  足が動かないことをどうしてと、恨めしく持ったことなんて殆どないのに、何故自分は女に生まれなかったのだろうと、貴志狼の顔を見るたびに思う。そうしたら、もっと、堂々と気持ちを伝えて、堂々とフラれることができるのに。や。もしかしたら、他所に作る女の一人くらいにはなれたかもしれないのに。 『熱出たら…迎えに来てくれる?』  そんなことを考えていたら、つい、ぽろり。と、本音が零れてしまった。  言ってから、しまった。  と、おもうけれど、あとの祭りだ。 『は? あのな。あの弁護士と一緒なのに、俺が迎えに行く必要ないだろ?』  葉の一言が衝撃的だったのか、ようやく葉を地面に下ろして、貴志狼が顔を覗き込んでくる。  自分だけ見たいときに見てズルい。葉は思う。  けれど、葉の表情に何を思ったのか、貴志狼はまた、大きくため息を漏らす。今日は自分も貴志狼もため息を吐いてばかりだと、何故か他人事のように、葉は思っていた。 『てか、行けるわけねぇだろうが』  貴志狼の表情は、今までに見たことのない表情だった。困ったような。憎々しいような。苦しいような。痛いのを我慢しているような。それでいて、隠してはいるけれど、喜んで?いるような。そんな顔。  複雑すぎて何を考えているのかはわからない。  けれど、言われた言葉の意味は分かる。 『…うん。そか』  貴志狼はもう、葉を迎えに来てはくれない。彼が迎えに行くのは、玉露を出すお嬢だ。  それで、納得しなければいけないし、納得せざるを得ない。  今まで、一緒にいてくれたことを感謝しても、恨むことなんてできないし、貴志狼の邪魔はしたくない。せめて、いい友達ではいたい。  葉は、心を決めた。 『葉?』  顔を覗き込んでくる貴志狼に笑顔を返す。ぎこちなかったのは、許してほしい。きっと、事故前の笑顔に戻れるまでにはもう少し時間が必要だと思う。 『大丈夫。も。いいや。今日は休みにする。翔悟君。お茶、うの11番。ちゃんと、真空にして持って帰って。貴志狼。悪いけど、教えてあげて。それから、店、そのままでいいから鍵だけよろしく』  早口で言いたいことだけ伝えて、葉は貴志狼に背中を向けた。  葉。と、呼ぶ声をわざと無視して、できる限りの早足で店を出る。その後を三匹の猫たちが追いかける。口々に貴志狼への恨み言を言っているが、もちろん、貴志狼には聞こえていない。  母屋の前で、盛大に転んで掌に小石が食い込むほどズル剥けたけれど、都合がいいと思った。涙を痛みのせいにできるから。  そうして葉は、10年以上続いた片思いの弔いのために、家にある一番いいワインを空けて泣きながら朝まで飲み続けたのだった。
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