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本当に、貴志狼は手の届かない人になってしまった。そんな絶望感に侵食される。
数日悩み続けて、泣き続けて、葉は疲れ切っていたのだと思う。もう、貴志狼のことで苦しんだり、泣いたりするのが辛かった。どうにでもなってしまえと、考えるのを放棄したくなっていた。全部、忘れてしまいたかった。
『葉さん』
声をかけられて、葉ははっとした。
一瞬、完全に晴興の存在を失念していた。
『あ。…すみません。なんでもないです』
慌てて視線を逸らす。瞳の端に溜まる涙を見られたくない。
けれど、その腕を掴まれて、少し強引に晴興の方に顔を向けさせられる。
『えと? 丸山…さん?』
晴興は真っすぐに葉を見ていた。とても、真剣な眼差しだった。
『俺にしてください』
絞り出すように、晴興が言う。意味が分からなくて、じっと見つめると、晴興は眉を寄せてから、もう一度ゆっくりと口を開いた。
『川和さんより、俺を選んで下さい。俺なら、あなたに辛い思いをさせたりはしない』
強引に掴んでいた手を離して、葉の左手をその両手で握って、ゆっくりと言葉を選ぶように晴興は言った。その言葉は、手は、暖かくて心が揺れる。
貴志狼に思いが届くことはない。
今は、辛くて、他の誰かに縋りたい。
『すぐに好きになってほしいなんて言わない。ゆっくりでいい。でも、笑ってほしい』
晴興の優しさが伝わって、じん。と、目の奥が熱くなる。こんなに優しい人が自分を思ってくれている。しかも、葉の気持ちを待つとまで言ってくれている。それがどんなに贅沢なことなのか、葉にだってわかっていた。
もし、ここで、自分が頷いたら。そんなこと考える。
それから、それがすごく悪いことのような気がした。葉のことだけを考えてくれている晴興に対しても、ずっと、貴志狼のことだけを考えてきた自分の気持ちに対しても。
でも。
葉は思う。こんな思いがずっと続いていくことが怖くなっているのも事実だった。振り返ってくれない貴志狼の背中が怖い。その視線の先にいるのがあの女性だと思うと、おかしくなりそうだ。
そんな思いにこの先耐えられるんだろうか。
それならいっそ。今は恋愛感情はないけれど、この優しい人に誠実に向き合っていったほうがいいのではないのか。そうすれば、いつか。
しゅぽん。
そこで、また、LINEの通知音。無意識に目を向ける。
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