2 ケダモノのアイドルはふにゃりと笑う

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2 ケダモノのアイドルはふにゃりと笑う

 からん。  小気味のいいドアベルの音が鳴る。会話をしている間に、鈴が二組の客のレジ打ちを済ませていたから、店内には客はいなかった。誰も来なければ、店を閉められるのに。と、貴志狼は内心舌打ちした。少し顔色の悪い葉を早く休ませたい。 『あの…やってます?』  ドアの隙間から顔をのぞかせたのは、葉と変わらない背丈の人の好さそうなごく普通の青年だった。 『池井さん』  途端に、鈴の声のトーンが変わる。貴志狼がかつて聞いたことのない声色だ。葉の従弟である鈴のことは子供の頃から知っていたが、こんなふうに感情を表に出すのは小学生の頃にすら見たことがない。誰に対しても(それでも葉には少し表情が和らぐが)、それこそ自分のような反社会的な輩にすら顔色一つ変えないマネキンの表情を一瞬で人間に変えてしまったこの青年は誰なんだ?  貴志狼がまじまじと見つめる先で、からん。と、ドアベルを鳴らして、店に入った青年は、くもる。と小さく呟いて眼鏡を外す。その顔を見ても、なんのことはない、ごくごく普通の青年だ。 『池井君。いらっしゃい。大丈夫だよ。騒がしい人たちは帰ったから、みんなでお茶に…』 『『にゃああん!!』』  ほっこりと、笑顔になった葉の声を遮ったのは、この店を我が物顔で歩き回るケダモノ2/3だ。青年の姿を確認して、我先にとその足元に走り寄る。残りの一匹は本棚の隙間に挟まったまま動こうとはしない。けれど、ぴくぴくと耳を動かしているから、青年の登場が気になってはいるのだろうと、貴志狼は思う。  この店は、というより、葉はこの猫たちにとことん甘い。客商売、しかも食品系だというのに、猫たちを野放しにしている。猫たちもそれがわかっているから、好き放題で客のいうことも聞かない。客のいうことすら聞かないから、もちろん、貴志狼のいうことなど聞くはずがない。さらに言うなら、特に貴志狼のいうことは聞かない。猫たちはみな、貴志狼を目の敵にしていた。  それが、どうだろうか。 『紅。緑。お迎えありがとう』  2匹の猫の前にしゃがんで、その頭を両手で撫でて、青年はふにゃり。と、締りのない笑顔を浮かべた。それを見て、鈴もふにゃり。と、締りのない笑顔を浮かべる。それから、2匹の猫すら、ふにゃりと。いや、それは、きっと、貴志狼の目の錯覚だろう。  とにかく、貴志狼のいうことなど、耳にも入っていない猫たちが、先を競い合って甘えている。  こいつ。本当に何者だ?  ただモノではない。のだろうか? 『あ。こんにち…』  2匹の猫を抱き上げて、すりすり攻撃を受けつつ、ようやく貴志狼の存在に気付いた青年が、挨拶しようとその顔を見て、固まった。彼は、驚きで目を見開いたまま、貴志狼から目を逸らせないでいた。
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