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りりりりり。りりりりり。
聞こえてきたのは葉のスマホの通話の着信音だった。それは、思ったよりもずっと先の雪の中にあるようで、少しだけ盛り上がった雪の中から、淡く緑色の光が音に合わせて点滅しているのが見えた。
『あ…った』
それを取ろうと、葉は立ち上がるために足に力を入れた。けれど、左足が鉛のように重くなっていて、うまく、どころか動いてくれない。
『…え?』
もう一度力を入れると、鈍い痛み。酷使したことと、冷やしたことがまずかったのか、膝下が痺れたように痛み以外の感覚がない。
『うそ。だろ?』
がん。と、拳で足を叩く。それでも、感覚は戻っては来なかった。
『ふざ…けんなよ』
りりりりり。
と、まだ、着信音は続いている。けれど、それがいつ切れてしまうかはわからない。
居ても立ってもいられなくて、葉は右足に力を入れて殆ど這うように進んだ。
『この…ポンコツ…動けよ』
少しずつしか進まない歯がゆさに涙が溢れる。目的の場所はすぐそこにあるのに、遠い。それでも、ゆっくりでも進むしかない。
『もう、すこし…』
スマホの画面の明かりがもう少しで手に触れる。必死に手をのばして、それを掴もうとしたその瞬間に、着信音が止んだ。
途端に、あたりが静かになる。雪が強さを増した気がした。
今すぐに、スマホを手に取って、かけ直せばいい。と、そんな簡単なことが、思いつかなかった。なにか、最後に残っていた希望が全部、その着信の明かりと共に消えてしまった気がした。
『…っ』
やっぱり、無理だったのだろうか。と。もう、手を伸ばす気力すらなくなって、雪の中に身体を投げ出す。もう、一歩も動けない。もう、このまま。
そんなことまで考えた。
『馬鹿野郎!』
突然聞こえた大声に、葉はびくり。と、身体を震わせた。
恐る恐る見上げると、葉のスマホを持った貴志狼がいた。
『なんでこんなところ歩いてんだ。阿呆か。死ぬぞ』
顔が本気だった。本気で怒っているのがわかる。だから、会えてほっとするより、怒らせてしまったのが悲しくて、怖くて、また、はらり。と、頬に涙が伝った。
『あ…や』
葉の涙を見た途端、貴志狼の勢いがなくなる。かわりにわたわたと、取り繕うように自分の上着を脱いで葉の肩にかけてくれた。煙草と酒の匂いがする。
『悪かった。泣くな』
困ったように顔を顰めて、貴志狼はソッポを向いてしまう。それが堪らなく悲しくて、また、涙が零れる。
『いや。だから。本当に悪かった。迎えに行ってやるとか言っておいて、LINE確認してる暇もなかったしよ。お前が一人でいるとは思わねえだろ?』
葉を立たせようとして、いつもよりももっと強張った足に気付いて、貴志狼はまた、眉を顰める。
『大丈夫か? 足。動かねえのか?』
心配してくれているのは分かる。それが嬉しい。けれど、葉は首を振った。
『動かない…けど。シロのせいじゃない。僕の足が動かないのは…シロのせいじゃないんだ。だから、そんな顔しないで』
貴志狼の両手を掴んで、葉は叫んでいた。
『僕はっ。シロに…償ってほしくなんて…ない。ただ、昔みたいに笑ってほしい。
…ちゃんと、僕のこと見てよ。守ってくれなくても大丈夫だから。一人で歩けるから。ちゃんと、被害者じゃない僕を見て。考えて!』
ぐい。と、力を込めて貴志狼を近くに引き寄せる。それから、そっと、本当にそっと、その唇に自分の冷たくなった唇を重ねた。
『好きなんだ。貴志狼』
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