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後悔と。罪悪感。
確かに、貴志狼は葉の前で笑うことを忘れていた。葉がそんなふうに考えていたなんて考えてもいなかった。
葉を傷つけた自分には、葉に笑いかけてもらう資格も、それに笑顔を返す資格ももうないのだと思っていた。
ただ、葉が生きるのに困ることがないよう、支えることしか許されないと思っていた。
『でも、もう、いいや。シロの笑ってるの。見られたから。もう、いい。シロがやめたほうがいいって言うなら、やめる。だから…』
そこで、言葉を区切って葉はまた、身体を離して、貴志狼の顔を見た。涙は乾いてはいなかったけれど、笑ってくれていた。
『今日みたいに。いつも、笑って?』
静かに雪が降る。まるで、世界に二人きりになったようで、心細いけれど、幸せだと感じる。
『ああ』
その笑顔に笑顔を返すと、安心したようにまた、葉は身体を預けてくれた。
後悔も、罪悪感も、消えてはくれない。
葉の足が動かないのは、自分のせいだと、貴志狼は今でも思っている。これからも、ずっと思って行くだろう。
ただ、葉が幸せになれるなら、自分も幸せになるのは、許されるのかと、今は思える。葉のためになら、葉が望んでくれるなら、きっと貴志狼も笑っていられる。
そんな、二人の未来を、思い描くことができた。
『アニキ〜っ!』
遠くから、聞き慣れた声がして、貴志狼はため息を吐く。もう少しでいいから、世界に二人しかいないと錯覚していたかった。しかも、邪魔者が翔悟だったことに苛立ちが増す。おそらくは、祖父・壱狼の差し金だとは思うが、こいつのガセネタのせいで、葉が危険な目に逢ったのは間違いない。
『葉さん大丈夫っすか?』
誰のせいだと思ってんだ。と、言いかけて、やめる。抱き上げた葉が小さくくしゃみをしたからだ。身体の震えも大きくなっている気がする。
『大丈夫じゃねえ。風呂準備できてんのか?』
無遠慮に葉の顔を覗き込もうと、貴志狼の周りをぐるぐる回る邪魔者を片手で押しのけて、貴志狼は訊ねた。さっき、葉と合流した後にLINEを入れておいたから、準備はしてあるはずだ。
『もちろんっす。離れのアニキの部屋の方に…』
敬礼をして見せる翔悟にわざと大きなため息をついて、家の正面の門を見ると、何人か若い衆が雪かきをしている。まだ、客は帰っていないようだ。敦に見とがめられて、面倒なことになるのはごめんだったし、遠慮という言葉の存在を知らないような馬鹿どもに捕まって、葉を見世物にしたくなかった。だから、貴志狼は家の正面門を避けて、自室に近い裏門から敷地に入る。
『おい。離れには誰も近づくんじゃねえぞ』
鳥の雛みたいについてくる翔悟にしっし。と、追い払うジェスチャーをすると、何故か満面の笑みで見返してきて、心底腹が立った。
『おっけーっす。誰も近づけません!』
親指立てて力説されて、殺意が湧くが、もう、貴志狼は無視することに決めて、離れのドアを閉めた。
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