心霊体験

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 先日、ある方のご紹介で、一組のご夫婦からお話しを聞かせてもらう機会がありましてね。このご夫婦、お二人とも怪談がお好きだそうで、たまに心霊スポットみたいなところに夫婦そろってお出かけになることもあるそうなんです。ちょっと変わったご夫婦ですよね、へへ。でも、こちらとしても、実話怪談とか書いてるわけですから、そういう方は勿論歓迎です。今後とも色んなネタを提供してくれるかもしれませんからね。  ある時、このご主人の方がぞっとするような心霊体験をするはめになったそうで、今回はその時のお話しをしてくれました。 「ある時、私達夫婦は、関西のとある観光地に旅行に出かけたんです。場所は特定出来ませんが、とある観光地のKというホテルに宿泊しました。割と大きな、ちゃんとした観光客向けのホテルでした」  ご主人が話を始めました。 「昼間は周辺を色々観光して回って、夜はホテルのレストランで美味しいディナーを食べて、最後はバーで軽く一杯飲んだら、二人とももう眠くなってきました。さて、もう寝ようかということになって、11時ごろにはベッドに入りました。二人とも旅疲れとお酒の酔いもあって、あっという間に眠りにつきました。 「ところがですね。二人とも寝入ってから、何時間かたったころ、私の方がふと目が覚めてしまったんです」  ご主人が一旦言葉を切って一息入れました。 「枕元の時計を見ると、もう夜中の二時でした。真っ暗で、当然部屋の中は静まりかえっています。造りのしっかりしたホテルですので、他の部屋の物音も全く聞こえません。何も見えず、何も聞こえない闇の中です。何故、目が覚めたのか、自分でもよくわからなかったのですが、とにかくもう一度寝なおそうと思って、目を閉じました。 「ところが、うとうとし始めた私の耳に、何やら音が聞こえてきたんです。周りが静かなものですから、余計に気になります。暫く耳を澄ませていると、私の耳には、音というよりは人語のように聞こえてきました。誰か人間が呟いているような声が聞こえてくるんです。 「よく聞いてみると、『死んじまえ、死んじまえ』と繰り返してるんです。低い男の声で、何度も繰り返してるんです。それが分かった途端、もう、怖ろしさのあまり思わず悲鳴をあげて布団から跳ね起きてしまいました」 「もう、あの時は私も本当にびっくりしました。こっちはぐっすり寝ていたら、隣でものすごい悲鳴をあげて飛び起きるんですから」  当時の記憶が蘇ったのか、奥さんも顔をしかめながらご主人の言葉をフォローしました。 「とにかく、灯りをつけてみましたが、部屋の中には男の姿はありません。私と妻以外、当然と言えば当然ですが、誰もいません。とにかく、妻には今自分が聞いた声のことを話しましたが、妻は全然何も聞こえなかったというんです」 「私は、熟睡していて、全く何の声も聞こえませんでした。勿論、誰の姿も見えませんでした」 「結局『夢でも見たんじゃない?』とか、さんざん馬鹿にされましてね」 「だいたい、この人怖がりなんですよ。そのくせ、心霊スポットとか妙に行きたがるんですよね。私は、そういうの全然怖くない質なんです。鈍感なんでしょうね」  奥さんが明るく笑っています。 「そりゃ、お前は霊感が無いから楽だろう。俺は、たまにそういう霊的なものと波長があってしまうことがあるから、見えたり聞こえたりしてしまうことがあるわけさ。で、暫く待っても何も起きなかったので、その夜はそのまま寝ることにしました。結局その後は特に何も起きず、無事に夜明けを迎えました。ただ、あんなことがあったんで、一応チェックアウトの時に、この部屋で何か事件と自殺とか無かったかどうか、さりげなくフロントに探りを入れてみたんですが、何も変わったことはない、という返事でした。まあ、素直に『はい、ありました』なんて白状するわけもないですよね」  ご主人は、少し得意そうな顔をしています。奥さんも笑顔で頷いています。 「ということで、今のが、私の心霊体験のお話しです。少し短い話ですいませんが、私としては、本当に怖い思いをしたんです。確かに私の耳には、異様な男の声で死んじまえ、という呟きが何度も聞こえましたし、灯りをつけたら誰もいなかったんですから、明らかに心霊現象だと思うんです」 「ええ、勿論、立派な心霊体験だと思います。貴重な体験談を有難うございました」  確かに簡単な話でしたが、一応、お礼を述べておきました。 「そうですか。とりあえず、お役に立てたようで、良かったです。ちょっと失礼します」  そう言って、ご主人は席を立ってトイレに行きました。  その後ろ姿を暫く目で追うと、奥さんが、微笑を浮かべながら私の方に向き直りました。 「何か、しょうもないお話ですみません。あんなので良かったのかしら」 「いえ、良かったです。大変興味深いお話しを有難うございました」  私が一応社交辞令を述べると、奥さんがいたずらっぽく笑いながら、少し声を潜めました。 「これ、主人には黙っていてくださいね。もっともらしいこと言ってましたけど、実はあの人は霊感は全然無いんですよ」 「そうなんですか?」 「ええ、全く有りません。低い男の声が聞こえたとか言ってましたでしょう?でも、あれはそもそも女の霊だったんですよ」 「そうなんですか?」  奥さんの意外な言葉に、私は興味を掻き立てられました。 「ええ、私には、はっきり見えていました。主人には霊感が有りませんけど、あの女の霊が出現した時に、それなりに感覚が影響されて、漠然とした恐怖みたいなものは感じたんでしょうね。でも、結局そこまでで、姿も見えず声も良く聞こえないから、男の声だと思い込んだんです。まあ、無理も無いかもしれませんね。そもそも、あれは主人に向けられた言葉じゃなかったわけですし」 「ご主人に向けられた言葉じゃない……何故そう言えるのでしょう?」 「実は私、その女を何度か見たことがあったんです」  意外な展開に私は興味を惹かれました。 「へえ、そうなんですか。やはりどこかの心霊スポットで?」  私のピント外れな質問に、奥さんは笑いながら答えました。 「そうじゃありません。なんて言いますかね、その女が主人といるところが、直接私の意識の中に浮かび上がって来るんです。実はね、あれはその頃主人と不倫関係にあった女の生霊だったんです」 「……あ、そうだったんですか。それは、その……」  奥さんの言葉に、どう返していいか迷った私は、思わずどぎまぎしてしまいました。  それにしても、先ほどの話を聞いていると、この奥さんは、ご主人と不倫関係にあった女性の生霊を眼前に見ながら、『夢でも見たんじゃないの?』の一言で片づけて、何事も無かったかのように寝てしまったということか。しかも、その女を何度か見たことがあったいうことは、前からご主人の不倫についてとっくに知っていたということになる。そして、ご主人の方は自分には霊感が有り、奥さんは無いと今も思っているような口ぶりだった。事実は全く逆なのに。この奥さんは、ご主人の不倫の場面や不倫相手の生霊の現前とか、全てを認識していたのに、今に至るまで何も言わずに黙っているのか……そう考えると、目の前で明るく笑っている奥さんが、だんだん怖くなってきました。 「……何と言いますか……で、その頃そういう関係だったということは、今ではもう、過去のお話ということで?」  戸惑った私が更にとぼけたことを言うと、奥さんは、もっと可笑しそうに笑いながら答えてくれました。 「ええ、それはそうですね。その人、それから間もなく自殺しましたから」 [了]
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