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exコマンド▼主上のある一日
(神様なんて、いないーー)
そう思うプララの表情は、動かない。
ーーもし神様がいたら、プララの父は魔物に襲われて命を落とすことはなかった。
ーーもし神様がいたら、プララの母は病気で寝たきりになることはなかった。
ーーもし神様がいたら、プララの前に現れてくれるはずであった。
プララは暗い気持ちとともに、足を引きずりながら歩く。
朝から歩きっぱなしだ。プララの村から王都は近い。ただ、子供の足では簡単に行ける距離ではない。朝早くに家を出たはずだか、王都に着く頃には日が傾いていた。あとは母を救ってくれるはずの教会に行き、偉い司祭様か修道士様にお願いをするのだ。
「?!」
プララの足が、なにかに引っ掛かった。
頑張って歩いていて、足が疲れたのか、なにかにつまずいたのだろう。
プララが足元を見ると、粗末な履き物の底が千切れ、素足が出てしまっていた。が、まだ歩ける。プララは片方の履き物を脱ぐと、大事に抱えて歩き出した。母が用意してくれた大事な履き物だ。捨てる訳にはいかない。
「…………」
しばらく足を前に出し続けたが、履き物が片足だけではバランスが悪く、もう片方の履き物も脱いだ。
王都の道は綺麗に舗装された石畳である。が、老朽化によりひびが入っていたり、ガラスが落ちていたりもする。怪我をしそうだと思いはしたが、プララには気にするゆとりが無かった。
早く、見つけなければならない。母を救ってくれる司祭様か、薬師をーー。
プララの知識では、怪我や病気を治してくれるのは
・魔法士が使う回復魔法
・教会にいる聖職者が習得している回復魔法
・薬師が調合してくれる薬
という方法があった。
プララのあやふやな知識では、病気に効果があるのは司祭などの聖職者が使う回復魔法であったはずだ。聖職者が使うため『神聖魔法』などと呼ばれるようであるが、プララにはどちらでも良かった。
ただ、母を救って欲しかった。
だがーー、
「帰りなさい」
とプララに投げ掛けられた言葉は辛辣であった。
王都の教会で、話は聞いてもらえた。鷹揚に頷く聖職者は申し訳なさそうな表情を浮かべるも、プララにかける言葉はすげないものであった。
聖職者は『魔法では治療できない』『高価な魔石が必要』『霊薬があれば効くかもしれない』などと説明してくれたが、プララの耳には入らない。
プララには『魔石』と『霊薬』という言葉だけが頭に残った。
プララは歩いた。道を尋ね、店に行けば『魔石』と『霊薬』がないか頭を下げて聞いた。だが、プララに返ってくるのは『多額の金銭がいる』という言葉と冷たい現実だけであった。
『魔石』は凶悪な魔物を討伐するか、洞窟の奥深くで採取するしかない。『霊薬』も稀少な薬草を熟練の技術で調合しなければならない。つまり、簡単には手に入らないのである。
多額の金銭があれば、話は別であるが……。
プララは歩いた。
空腹と心細さとが、足の痛みを忘れさせてくれていた。なにより、焦りが募る。プララが歩くのを止めると母の命が尽きる、そんな気がした。病に伏せる母を、少しでも元気にしたいと願う。
ーーふと、プララの足が止まった。
もう王都の外れである。寂しい通りで、夕刻を過ぎ、間もなく夜の帳が下りる時刻だ。そこに、随分とくたびれた教会があった。
ーー魔法では病気を治せない。
ーー魔石を買うにはお金がいる。
ーー霊薬は高価で貴重なもの。
ここに来るまで、教会は何ヵ所も回った。魔石を売っている店にも入った。霊薬を取り扱う薬院も訪ねた。
もう、教会になど用事はない。
「…………」
神様なんて、いない。なのに、教会などに意味はあるのか。母を救ってくれない神など、いてもいなくても同じだ。
朽ちかけた木製の塀の向こうに、色褪せた壁の教会が建っている。少し、他の教会と雰囲気が異なるが、建物の壁にはセラム教のシンボルである『碧の玉』が描かれていた。他の教会と同様に聖堂があり、奥には『碧の玉』が飾られているのであろう。
プララは、存在もしない神を祭り上げる教会とそこに鎮座する『碧の玉』に対し、無性に怒りが込み上げてきた。そんな大層なものを作るくらいなら、母を救え。できないのならば、消えてしまえ。
「…………」
プララは無言で、教会に足を踏み入れる。
文句のひとつでも言ってやりたい、そんな気持ちがプララ中に生まれていた。プララは中に進み、思ったほど広くはない聖堂の真ん中に佇む。目の前には『碧の玉』があった。
『碧の玉』には深い色味があり、プララは思わず見とれてしまう。文句を言ってやろうと息巻いて来てはみたが、なにを言えばいいのか、思い浮かぶことはない。
「…………」
『碧の玉』は吸い込まれそうに碧く、少しだけ心細さや焦燥の気持ちを和らげてくれた。肌寒い聖堂の中にいると、身が引き締まるようだ。その代わり、靴を脱いだ足がじわりと痛んだ。歩みを止めたことで、座り込んでしまいそうな疲労感にも襲われる。
それにも関わらず、プララは身動ぎもせずに佇んでいた。目の前にある『碧さ』に、意識を奪われていた。様々な感情が押し寄せる。そしてその感情が溢れだしーー、
「…………ヒック。うぅぅあ~」
プララはついに、しゃがみ込んで泣き出してしまう。もう、どうしたら良いのかわからない。一歩も進めない。涙は止め処なく溢れ、プララの顔中を濡らした。
かんしゃくを起こして『碧の玉』に一言でも文句をぶつけたかったが、その気も失せた。ただ、焦燥感と寂寥感が燻り続ける。
もうどうしようもない。誰かに助けてほしい。自分の声を誰かに聞いてほしい。
「…………うぅぅあぅ」
涙が止まらなかった。喉の奥が引き攣るように声が出る。
「うわぁぁぁ…………うぅぅぅ…………あぁ」
プララは力いっぱい声を出しつつ、目の前の『碧の玉』を見つめる。涙で滲むが、プララを静かに見下ろす『碧の玉』は存在感があった。プララの願いを聞いてくれない神。プララを見下ろすだけの『碧の玉』。誰もいない教会。
「…………」
おもいっきり泣くと、少しだけ落ち着くことが出来た。ぼんやりと『碧の玉』を見る。深い碧。なんだか、ささくれ立つ心を鎮めてくれるようで不思議だ。
見つめていると、見つめ返される。先程までは憎らしかった『碧の玉』も、落ち着いてみれば暖かみを感じるような。
よく考えると、プララは今まで真剣に祈りを捧げていなかったことに気が付く。神様は、そんなプララを見ていたのだろうか……。だとしたら、真剣に祈る。真心を込めて捧げる。
(だから、どうか、他になにもいりません。母の病気を治してください。神様、どうか……)
プララは必死に祈る。
今までいい子ではなくて、ごめんなさい。父がいないことを恨んだり、母の言いつけを守らなかったり、弟のことをつねったり、悪い子でごめんなさい。これからはいい子でいます。だから、どうか、母を助けてください。
プララが願い、そんなプララを『碧の玉』は見つめる。
「…………」
小さいプララを見つめ、静かに、静かに輝く『碧の玉』。
プララは再び涙を浮かべた。なにがいけないのか、もうわからない。やはり、プララには応えてくれないのか。
どうしたら良いのかわからず、プララは涙が溢れてしまう。
「神…様……。お願いだ…から、お母さ…んを助け…て……。お願い、助け…て……」
しゃくり上げてしまい、満足に声も出ない。
「助けて……」
悲しい。
心細い。
押し潰されそうな絶望を感じそうになったその時、声が聞こえた。
「どうしたの?」
「ーー??」
男の人の声。
あまりにも普通で、一瞬わからなかった。
「どうかしたの?」
男の人というより、少年がプララの側にいて声をかけてきていた。
「…………」
プララは声が出ない。
その代わりに、涙が止まらない。
プララは、ただ涙を流し続けることしかできなかったーー。
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