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セイシリウスが目を細め、穏やかに笑う。その笑みは、爬虫類である蛇を連想させるーー。
彼女は、シトシの父である先王が後年に王妃として迎えた女性である。つまり、シトシの義理の母ということになる。なお、シトシが成人するまでの間は『摂政』という役割を持つ。
「……」
シトシは完全に意表を突かれ、固まってしまう。
「これはこれは! セイシリウス様!」
キースは、飛び上がって喜びを表現した。
そしてすぐさま、畏まる。キースが『蝙蝠宰相』と呼ばれる所以がセイシリウスにあった。
キースは、摂政であるセイシリウスにべったりなのである。セイシリウスの意向通りに動くし、おべっかを使う。
蛇を連想させるセイシリウスーー誰が呼んだか『蛇摂政』。
(義母上か……。ややこしくなった……)
シトシは頭が痛くなった。
今はキースと対決しなければならない重要な局面である。少なくとも、ライコウの助命は勝ち取らなければならない。キースとのやり取りを優位に運ぶためには、セイシリウスの介入は防ぎたかった。
(人が増えると、対応がややこしくなる……。俺は多人数の対応が苦手だ……)
シトシは難しいことを考えるのは苦手で、多数の物事が絡むと更に思考が鈍る。できればキースのみに集中したい場面であった。
シトシがここで折れると、ライコウの身の処遇はキースの一存で決まってしまう。シトシにとって許容できる流れではない。
どうにかしてセイシリウスとキースを論破しなければならない。
ここにーー、
暗愚の王、シトシ
狡猾な蝙蝠宰相、キース
粗暴な象牙将軍
様子のおかしい獅子鬣将軍
忠鼠、ライコウ
蛇摂政、セイシリウス
という登場人物が揃った。
シトシは登場人物を整理し、いかに立ち回るか考えを巡らせた。明確な筋道は見えないが、セイシリウスとキースを抑えるべく行動が必要である。
「ありがとうございます、摂政殿。では、これにて朝議を了し、顧問たるライコウに午後からの政務を図るため一度、退がります」
シトシが玉座から腰を浮かせる。
「おや、お待ち下さい、陛下」
どさくさに紛れ、その場を離れようとするシトシにキースから声がかかる。
(さすがに、すんなりとはいかない)
シトシがキースに目を向けた。
キースはセイシリウスが現れてから、得意気な顔を崩さない。優越感が滲み出た目でシトシを見てくる。
シトシはその表情に、ささくれ立つものを感じた。
ライコウは展開についていけず、目を白黒させている。
「先程のライコウの発言には讒言があり、問擬の必要があります。よって、ライコウの身柄は私が預かります。陛下は休息を」
言って、キースはシトシの後方に控える二人の騎士たちに目配せをした。
それを受けた騎士たちはビクリと身を震わせ、一歩前に出る。シトシの退室を促すためだ。
「ライコウを見過ごしますと、臣下の讒言によって国政が誤った方向に進みましょうーー」
(おまえが言うなーー)
得意気なキースの言葉に、シトシは心の中でツッコミを入れる。
しかし、表立って糾弾できるほどキースの政策に大きな暇疵はない。賄賂や横領を平然と行うが、目立つ失敗はないのである。じわりじわりと腐敗が進んでいく。
シトシはもどかしく感じた。
「摂政殿。私は先程の発言の通り、不明を恥じます。学ぶことをせねば、成長しない。私は、自分の耳で聞いて、考えたいのです。ライコウの言葉に、考えるべき点を見出しました。摂政殿とキース宰相の立ち会いのもと、後日でも構いません。時間をいただきたい」
シトシはセイシリウスの方を向いた。
シトシはセイシリウスを『摂政殿』と呼ぶ。セイシリウスは先王が崩御したのと同時に『国母』という地位を得た。また、シトシの後見として『摂政』の役割も持っているため、礼を尽くす必要がある。
セイシリウスは大雑把なところがあり、ライコウに目を向けるようなところはない、とシトシは予想した。ライコウは預かる、とセイシリウスは発言したものの未だ意識の外にありそうである。
蛇のように、一度標的と認識すると執拗に攻撃を加えるのだが……。
案の定、セイシリウスの反応はない。シトシは場の流れを引き寄せようと、解散を切り出そうとした。
が、ここでーー
「では、まずライコウを外へ」
と、キースが間髪入れず側仕えの騎士たちに顎をしゃくる。
そのキースの硬質な態度に反応し、騎士たちは無言で前に出た。
「……待ってもらおう。キース宰相や騎士たちの手は不要だ」
シトシが騎士たちを手で制する。
キースの雰囲気に、抗いがたいものを感じたが黙っている訳にもいかない。
「陛下、そういうわけにも……。なにか、不都合がおありですか?」
それに対し、キースがわざとらしく眉をひそめてみせる。
「……」
シトシはすぐに発言できない。
シトシの『力』は弱く、無理を通せない。その点、キースはセイシリウスの後ろ楯もあり、多少の無理でも通せる地盤を築き上げている。王になって日が浅いシトシとは比ぶべくもない。
頭の回転が鈍く、会話の数手先を読むようなことのできないシトシは、上手い切り返しも思い浮かばない。
(どうするか……)
内面で冷汗を流すシトシをよそに、キースの意識がフッとセイシリウスを向いた。
微々たるものであるが、キースがセイシリウスに視線を向けたのをシトシは感じ取る。キースはシトシより、セイシリウスの反応を気にしているようだ。
「…………」
シトシは自分の器量を思い、自嘲の笑みを浮かべた。
そこへーー、
「私のことはお気になさらずーー」
たまらず、といった感じで発言したのはライコウ。
場の雰囲気を慮り、これ以上険悪にならないように口を挟んだのであろう。が、悪手である。
「誰が発言を許したか、痴れ者め! セイシン王国国民の誇りも忘れたか! 直ちに連れ出せ!」
ここでキースの意識がライコウに戻り、ライコウを一喝した。
騎士たちも、すかさずライコウの両脇を固める。ライコウは展開の早さに声も出ない。
(しまった!)
シトシは臍を噛む。
これでは、シトシが取り付く島もない。
ーーが、ここでか細い糸をシトシが掴む。シトシの視界の端に、ある兆しがあったのだ。
「…………り」
ーーただ佇んでいた人物、獅子鬣将軍の口元が動いた。
そして、気のせいかと思われるほどの小さい声が、シトシの耳をかすめていた。
「……」
シトシが獅子鬣将軍を凝視すると、
「……」
一瞬だけ獅子鬣将軍の目に光が宿ったかに見えた。が、獅子鬣将軍の目は虚ろ、口はヨダレを流すばかりであった。
シトシ以外は誰も気が付かなかっただろう。シトシも意識をキースに戻そうとしたーーが、もう一度獅子鬣将軍を見た。
そして、考えるより先に口を開く。
「獅子鬣将軍。『誇り』と発言したのだろうか?」
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