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真冬の、早朝の、満員電車で、若い女性が一人で、花火の映像を観て、泣くって?
見間違いだろうかと一瞬考えたが、流行りのぱっちりとしたメイクによるツヤやうるみとは言い難い、明らかに湿度を湛えた目をしていた。
一体どんな事情があるのだろう。
音もなく打ち上がる花火を見るだけで、感極まってしまったのだろうか。
あの追悼の花火の意味を思い返していたのだろうか。
田舎の毎年の花火大会に特別な思い出でもあるのだろうか。
ホームシックだろうか。
いずれにしてもこういうのは、家で一人で、あるいは親しい誰かと一緒に大音量で観て、溢れる感情のままに涙するものじゃないだろうか。
こんな大勢の他人に囲まれた静けさの中では、泣きたいように泣くこともできないのではないか。
駅に着いて扉が開くと、喧騒が車内に飛び込んでくる。
人が降りる。
彼女との間に少し隙間ができた。
向きを変えて横並びになる。
ちらりと見えた彼女はやはり、涙を溜めていた。
扉が閉まり、くぐもった発車音とともに走り出す車内では、ズビズビと鼻をすする音も響いてしまう。
流れた涙はマスクのふちに止まっていた。
不織布のマスクは、今はまだその水をはじいているが、いずれ染み込んで跡になってしまうだろう。
「あの、よかったらこれ、どうぞ」
幸い私は、コートのすぐ取り出せる位置のポケットに、未開封のティッシュを常備していた。
それも花粉の時期に思いきり鼻をかめるよう、柔らかな潤いのあるティッシュだ。
「差し上げます」
そう言って彼女にティッシュを差し出しながら、顔を覗き込む。
横顔を直接見て、彼女が思ったより若いことに気づいたのだ。
メイクの下の幼い顔は、大学生になりたてくらいだろうか。
「花粉、今年も多いらしいですよね」
そう言ってスマホを持つ手に押し付けるように渡す。
彼女は戸惑いながらもティッシュを受け取る。
ポケットに一度スマホをしまい、ティッシュの正面のミシン目を開いて取り出すと、折り畳まれた形のまま目に押し付けた。
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