いいつたえ。

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 ***  間抜けな吾川千絵は、あたしとエナの尾行にまったく気が付いていないようだった。放課後になるたびに物がなくなる状況だったくせに、何故ここまで油断ができるのやら。まあ、お馬鹿で能天気な女が何を考えているかなんて知りたいとも思わないのだけれど。  彼女は友達と別れると、そのまままっすぐ靴箱に向かっていった。このまま帰るつもりでないことは明白だった。彼女はバッグの類を全部教室に置いていっていたからである。いくら間抜けな千絵でも、手ぶらでうっかり帰るなんてことはしないだろう。  あたし達の尾行に気づくこともせず、彼女はゆっくりとした足取りで裏門の方へと歩いていく。 ――裏門……。  そこで、あたしはこのナナツガワ中学校で言われている“言い伝え”について思い出していたのだった。  裏門の脇にある、立派な桜の木。あの下で告白すると必ず成就するとか、大体そんな内容だったはずである。去年同じクラスだったヒカルが教えてくれたのだ。 「あいつ、あそこで告白するつもり?ロマンチストすぎねー?」  同じ言い伝えを、どうやらエナも覚えていたらしい。うげえ、と舌を出してキモがっている。 「そんなに成功させたいのね、デブスのくせに」 「マジできもいよね。……でもさ、エナ。告白しますっていうのに……木の下に誰もいなくない?」 「うん。あそこじゃないのかな?……あ、立ち止まった」  ぼそぼそと小さな声で喋りながら、あたし達も近づいていく。やはり、桜の木の下で告白するつもりなのだろうか。みんみんと鳴く蝉の声が煩い。夏の日差しが熱くて制服が蒸れる。袖で汗を拭いつつ近づいていくと、あたし達は異変に気付いたのだった。  やはり、千絵は木の真正面で立ち止まっている。そして、何やらぼそぼそと喋っているようだ。相変わらず小さな声なのでこの距離では内容までは聞き取れない。ただ。  妙なことに。彼女が喋れば喋るほど、桜の木の裏側の影が濃くなっていくのである。 ――な、何?  最初は、ほんの少し濃い影ができているな、くらいだった。それが段々、桜の木からタールでも溢れてくるかのような濃さと広さになっていくのである。目の錯覚かと思ったが、違った。暫くすると、その影はどろり、と木の裏側から溢れて、人の形を作ったからである。  そう、影が動いたのだ。真っ黒な、目も耳も鼻も口もない暗闇は。まるで恋人のように親しげに、千絵の真正面に立ったのだった。 ――な、何あれ……。  段々と、暑さとは別の汗がこめかみに浮いていた。次の瞬間。 「き、きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」 「ちょ、エナ!?」  隣にいたエナが、甲高い悲鳴を上げたのである。バレちゃう、と思った時にはもう千絵はこちらを振り返っていた。  彼女は驚いた様子もなく、繁みの影に隠れていたあたしとエナを見てにっこりと微笑みかけてくる。 「やっぱり、二人とも来てくれた。嬉しい!」  それは。あたしが初めて聴く、千絵の心から弾んだ声だった。人が最高に嬉しいと思った時に出す声だと気が付いた。 「うまくいって本当に良かった。あのね、二人に紹介するね」  千絵はそう言いながら、ほんの少し後ろに下がる。そして、私達に黒い影を紹介するように右手を傾けた。 「●●●●様!私、●●●●様に、告白したの!」  エナは、喉が潰れるかと思うほどの絶叫を上げ続けている。あたしはと言えば、声を出すこともできずに震えていたのだった。  千絵が位置を変えたことで、はっきりと黒い影の全貌が見えたからだ。  あたしが見たもの、それは。  黒い影の下腹部あたりにぼんやりと浮かびあがる――耳まで口が裂けた、真っ白な男の顔だったのだ。
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