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稀少種
ホテルでチェックインを終え、由紀乃を部屋で休ませてからオートロックの扉が閉まるのを確認し、ホテルから自宅へと向かう。タクシーが自宅の前へ停まると、数メートル前に白いセダンがハザードを点滅させ停まっているのが見えた。
タクシーから降りると、セダンの運転席からスーツを着た立ち姿の上品な男性が降りてくる。男性は、玄関に向かう私を呼び止めた。
「世那椿さんでいらっしゃいますか?」
「……はい」
「突然すみません、野原と申します」
名刺を差し出され、それを受けとる。
「待ち伏せのようなことをしてしまいすみません。少しだけお時間を頂けませんか?」
「私に何か?」
「単刀直入に申します。あなたをスカウトに参りました」
「スカウト、ですか?」
「アルファに稀少種という存在があるのをご存知でしょうか?」
稀少種……アルファの中でも最上級だとか……人智を超えた能力を有するとか……
「聞いたことはありますが……」
「その稀少種のサポートをしていただきたいのです」
「どうして私を?」
この男性は、初対面の私の何を知っているというのか。
「あなたには「銀色の鬼」と呼ばれるご先祖がいらっしゃいますね?その方は稀少種です」
銀色の鬼が、稀少種?
「彼は日本に渡った外来稀少種でした。大柄で力が強く聡明、それでいて美しい人だったそうです。しかし、その外見と逸脱した能力から鬼と恐れました。あなたは彼の血を濃く受け継いでいらっしゃいます。あなたには多くのアルファにはない、特化した特長が幾つかあったはずです。あなたは生きにくいと感じたことはありませんか?」
生きにくい……オメガのヒートに異常に反応ことだろうか。アルファ同士の会話に馴染めなかったことだろうか……対処を覚えてしまえば、どうと言うことはないのだが。
「あなたにサポートしていただきたい稀少種は、能力の大きさゆえに悩み心を閉ざしてしまった十一歳の子供です」
「子供……」
「はい、考えてみてはくださいませんか?」
子守りをしろと?強制ということではなさそうだが……
「少し時間をいただけますか?」
「もちろんです。お返事は、名刺にある連絡先へお願いします」
「分かりました」
「では、失礼します」
車に乗り込んだ野原さんを見送る。これから義父と話す内容次第では、受けるべき話になるかもしれない。
名刺を着物の襟に仕舞い、自宅の玄関扉を開ける。
「ただいま戻りました」
声を掛けると、奥からバタバタと子供が駆け寄ってきた。
「先生!おかえりなさい!」
「直樹、どうしたんだ?」
直樹は義父の孫だ。実息の次男で十一歳。私が義父の代わりに月に一度剣術を教えていた生徒の一人だ。剣術が好きで、三つの頃から竹刀を振っていた。義父も直樹をとても可愛がっている。
「おじいちゃ……違った、師範が僕に稽古をつけてくれるって!」
「椿」
「遅くなりました」
「直樹、稽古着に着替えて先に道場で待っていなさい」
「はい!」
バタバタと走る直樹に「廊下を走るな!」と声を上げた義父。その声にピタリと立ち止まり「はい!」と返事をして足早に去っていく直樹の背中を見ている義父は、とても優しく笑っていた。その顔が私に向けられてスッと表情が消える。
「手短に話をしよう」
義父の後からリビングに入り、向かい合わせで椅子に座る。
「私の跡を継ぐ気があるか?」
「由紀乃を私の番として認めてくださるなら」
「確か、あのオメガでは子ができないと聞いている。つまり、私の意には添えないと言うのだな?」
「そうなります。私は彼以外と性交するつもりはありません」
義父は声を荒げることはなく「やはりそうか」とため息をついた。
「直樹を跡取りにする。お前は自由にしなさい」
直樹は小さな頃から義父のようになりたいと言って稽古に励んでいる子供だった。十一になった今も同じように義父を慕う直樹を跡取りにと思うのは最もだろう。
「分かりました」
義父は玄関まで私を見送り、弱々しく笑った。
「オメガを待たせているのだろう?早く行きなさい」
「失礼します」
義父に一礼し、玄関扉を締め、由紀乃の待つホテルの部屋へと急いだ。
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