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鬼の子
産声をあげたその子は、光を受けて銀色に光る灰色の瞳を持ち、柔らかな産毛は銀色に光っていた。
母は産まれたアルファの男子に「椿」と名をつけた。
庭に咲く赤い椿の花は母の好きな花。しっとりと美しい姿であって香りのない控えめな花。
アルファであっても決して驕らず常に謙虚であり努力を惜しまない人あって欲しいと願いを込めて。
出産から一週間後、母と椿は迎えの車の後部座席に乗り、家路に就いていた。幸せの家路、しかしその途中で悲劇は起きた。離合の必要な細い道はこの信号で終わる。二人を乗せた車は道幅を塞ぐほど大きなトラックの後ろで信号が青になるのを待っていた。すると後ろから大型車特有の音が近づいてくる。しかし、なにかが違う……嫌な予感が過った。バックミラーには、みるみる近づいてくる大型トラック。狭くはあるが見通しは悪くないこの道で、前方が見えていないはずはない、なのに、減速する気配がない……?
道を塞がれたこの場所ではトラックを避けることもできない。母は咄嗟にシートベルトを外し、チャイルドシートで眠る椿をシートごと抱え込んだ。
次の瞬間……
ドンっ!!ぐしゃ!!バリバリバリ!!
前後をトラックに挟まれた車体は、強い衝撃と共に押し潰された。追突してきたトラックの運転手は心不全を起こしていたのだ。
割れたガラス、捩れて潰れた車体は原形を留めておらず、辺りには小さな泣き声だけが響いていた……
※※※
先祖に鬼が存在したという。その特徴を色濃く受け継いだ子供。
父の海外出張中に母は椿を出産し、そして椿を庇ってこの世を去った。母を溺愛していた父は出産予定日には帰国し、出産に立ち合い、退院した二人を我が家へと連れ帰る予定だった。しかし、取引先との商談が長引き、そのどれにも間に合わなかったのだ。事故のあったその時間、父はスマートフォンに送られてきた妻と椿の写真を眺めながら喜びに胸を踊らせ帰国するための飛行機に乗っていた。それが帰国した途端、愛する妻の訃報を聞き、奈落の底に突き落とされたのだ。
父の悲しみは深く、その悲しみは次第に父を壊していった。
穏やかで心優しい父から笑顔は消え、寝食を忘れたように仕事に打ち込む。徐々にやつれていく父の目は、椿がそこにいようと椿を見ることはなく、いつも椿を透かした向こうを見ているようだった。そしてついに、妻が身を呈して守った椿を、大切な愛すべき我が子を「鬼の子」だと認識してしまったのだ。
あの事故も、父にとっては鬼である椿の引き寄せた不運であり、愛する妻は椿が殺したと。
「お前は鬼だろう。どうしてここにいる」
突然、髪を掴まれ冷たく言い放たれる。
「この髪も、この瞳も、忌まわしい鬼のものだ。鬼がどうしてここにいる」
言い捨てると、父は幼い椿を突き飛ばし、立ち去った。
椿の幼く柔らかい心は深く傷つき、ジクジクと痛みを増していく。それでも父の愛情を求め、愛して欲しいと望んだ。
どうすれば父に息子だと認めてもらえるのか。自分が父の役に立つ人間になればいい。自分の息子だと、自慢したくなるような人間になればいい。
椿は無我夢中だった。
幸い父は文武両道の名のもと、何人もの優れた指導者を招き椿を教育していたので、椿は与えられる全てを蓄え身に付けていった。
指導者の中には剣術の師範がおり、その師範に習い地道に鍛練を続け、母の思いに応えるように努力を惜しまず常に高みを目指す椿。その姿を見ていたのか、父は、居合、抜刀と、次々に真剣を扱う技を学ばせていく。父から与えられる課題に、椿は「父は自分の成長に、期待している」と喜び、これに没頭した。努力に努力を重ね、その全てを身に付けていった。
少しずつでも認めてもらえていると信じていた。
しかし、中等部の卒業を控えた前日、父にとって自分は赤の他なんだと思い知らされた。
「明日で義務教育は終わりだ、この家から出なさい。お前は師範の養子になるよう既に手続きは済んでいる」
感情のない目で見下ろされ、感情のない言葉で淡々とそう告げられ、言葉が出ない。
さらに
「明日、私の息子がこの家に来る」
「息子?」
「やっと授かった、私たちの子供」
「……お父さん?」
父と離れたくないと縋りたかった、自分は息子だと叫びたかった。けれど、目に涙を浮かべ、母の名を呼びながらその場で泣き崩れて嗚咽を漏らす父に、声をかけることなどできるはずもなく、椿は静かにその場を離れた。
翌日、卒業式を終えた椿が玄関を開けると微かに泣き声が聞こえてきた。不思議に思い泣き声のする方へと足早に向かう。そこは、母の遺影の置かれた部屋。そこで小さな男子が父の腕に抱かれていた。
写真で見た母と同じ、くるんとカールした栗色の髪、一瞬だけ見えた瞳は父と同じブルー。まるで天使のようなあの子が、父の望んだ子供。
そういえば、父は慈善事業に力を入れていた。数々の施設に寄付をしたり、その施設へ顔を出したり。
椿を鬼と認識した父は、母との間に産まれた子をずっと探していたのだろうか……
その場から動けず立ち竦む椿の耳に、父がその子を「つばき」と呼ぶ声が聞こえた。とても優しい声だった。
椿は絶望と悲しみに体を震わせ涙を流した。その涙を袖口で乱暴に拭い、唇を噛みしめる。そして部屋の前にそっと卒業証書を置き、そのまま家から出ると、住み慣れた家に向かい頭を下げ腰を折り「お世話になりました」と感謝を告げてその場から走り去った。
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