解放

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解放

発情期が終わり、由紀乃は既に十時間眠り続けている。 この一週間、回数を重ねる毎に長くなっていくヒートで眠ることもままならず、睡眠もろくに取れていなかったのだから無理もない。 由紀乃と交わる度に気づいたことがある。回数を重ねる毎に微かではあるが由紀乃の子宮はまるで果実が熟すように柔らかくなっていた。由紀乃は、初めて誘発剤なしで発情期を過ごしたと言っていた。本来であれば発情期には不要な誘発剤を飲むことや、これまで過剰に服用した抑制剤が妊娠や子宮の発達において妨げになっていたのかもしれない。 由紀乃は誘発剤を使おうとしない私に、フェロモンが匂わないのは物足りないのではないかと聞いてきたので「誘発剤がなくとも、私の体はしっかりと反応していましたよ。由紀乃は良く知っていますよね?」と聞き返してみた。すると、顔を真っ赤に染めコクコクと頷く。由紀乃のフェロモンに匂いがないことは、私にとって何の妨げにもならないことを伝えた。 私は由紀乃を愛し、愛し合える幸せを噛み締めている。 この幸せな時を終わらせないために私がすべきこと、それをしなければならない。 目を覚ました由紀乃に、家元とのやりとりを話すと「お願いします」と私が刃先を向けることを快諾してくれた。 由紀乃を部屋に招き入れ、由紀乃の手を支えながら刀を手渡す。 「重い……」 「この刀は、私のこれまでを支えてくれた、私の半身のような刀です」 「椿くんの半身……」 「この刀で、これからその首輪を切り外します」 「はい」 「怖くはないですか?」 「この刀は椿くんだもの、怖くはないよ」 私の目を真っ直ぐに見据えながら言い切る由紀乃の言葉に、覚悟は決まった。 「良かった。行きましょう」 刀を受け取り、由紀乃と共に道場へ向かう。 道場では、外出着姿の家元が秘書を伴って待っていた。 「時間ギリギリだな。逃げたのかと思ったぞ」 「お待たせしてすみません」 由紀乃を道場へ上がらせ、肩幅で立たせる。僅かに俯かせて長い黒髪を前へ流し鎖骨の位置で纏めて持たせ、着物の襟を後ろへ引き、首輪の付いた項を露にする。 「絶対に動かないでください。すぐに終わらせます」 「はい」 由紀乃の背中に向かい、間合いを取り、目を閉じて一呼吸する。 迷いはない。 鞘から刀身を抜き、踏込み、愛刀を一気に振り下ろす。 「……見事だ」 家元の静かな声が道場に響き、首輪が由紀乃の足元に落ちる。 刀を鞘に戻し、家元へ向かい一礼する。 「久しぶりに良いものを見た。しかし、私が言い出したこととはいえ、敗北感を味わったのは何年ぶりか……清々しくはあるが、あまりにも完璧で面白くない」 この人が、私に何を望んでいたのか皆目検討もつかない。私は家元に対して、やれと言われたことをしたにすぎないのだから。 「私が戻るまでに、由紀乃を連れて出ていきなさい。不愉快だ」 子供のように言い捨て、家元はゆっくりと去って行った。 未だ微動だにしない由紀乃のそばへ歩み寄り、俯いた顔を覗き込むと、ポロポロと涙を流していた。 「由紀乃、大丈夫ですか?」 声をかけるとほっとしたのか、その場に倒れそうになるのを抱き止め、ポンポンと背中をたたいて頭を撫でる。 「椿、くん……あり、がとう」 「次の発情期には、ここを噛ませてくださいね」 首輪のない白い項に口付けると、肌を粟だたせた由紀乃は「早く椿くんの番になりたい」と言って私に抱きついた。そのままの格好で由紀乃を抱上げ刀を持ち、由紀乃を部屋へ送り荷物をまとめるように促した。 「本当に、椿くんと行ってもいいのかな……」 「不安ですか?」 「ううん、不安なんてないよ。僕は椿くんと行きたい。ただ、いきなり僕を連れてなんて、きっと大変でしょう?お家のことや、お義父さまのことも……」 発情期が終わったばかりであることに加え、道場での緊張で疲れきっているはずの由紀乃の気遣いに胸が熱くなる。本来であればゆっくりと休ませてやるべき時に、こうして無理をさせているのは私の方であるというのに。 「大丈夫。自分で言うのもおこがましいですが、私はアルファの中でも優秀だと言われています。何とでもしますよ」 「……頼もしいね」 私を見上げ、ほぅと小さく息をつき由紀乃は蕩けるように笑う。思わずその頬を撫でた。 「私も準備ができ次第、ここへ迎えに来ます。三十分……一時間必要ですか?」 「三十分あれば十分だよ、荷物を纏めて待ってるね」 部屋の前で別れ、足早に自室に戻る。 スマートフォンから自宅へ電話をかけ、電話口の義父に現状を説明し指示を待つ。相槌を打つでもなく静かに私の話を聞いていた義父は『……はぁ』とため息をついた。 『ひとまず一人で帰って来なさい、話したいことがある』 「……分かりました」 電話を切り、すぐに今夜宿泊するためのホテルと、チェックインまでを過ごす場所に目星をつけ予約を取り、タクシーを三十後に呼ぶ。 手早く荷物を纏め、小さな荷物を持った由紀乃と一緒に屋敷を出る。私達は二度とここへくることはないだろう。タクシーに乗り込み、屋敷を後にした。
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