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棺コーディネート華菱
立食パーティの婚活が終わり、男性の連絡先の代わりにホテルブレッドをお持ち帰りした私。
家に帰る足取りと、玄関の扉と、胃袋が重い。
「ただいま」
心して玄関のドアを空け、足早で洗面台に移動しようとする途中、家を出ようとするお母さんに出くわす。
「あら、お帰り。葵ったら、浮かない顔して。また食べまくって引かれてないわよね?」
「今回は、ラスト10分まで食べるの我慢したよ」
「あらっ、それでも駄目だったかぁ。ご近所のみんなに『葵ちゃんはまだ結婚しないの?』って道で会うたびに聞かれてるんだから。ただでさえメイクして『整形したの?』なんて噂されてるのに。いい歳してフラフラしてないで、早く良い相手見つけるのよ。じゃ、お母さんはスーパー行ってくるから」
お母さんは深いため息をつきながら玄関を出る。
え、えぐられる……。
洗面台にて、ヘアバンドで髪を上に上げたあと、オイルタイプのメイククレンジングの入ったポンプをプッシュする。
顔全体に優しく馴染ませるようにして、丁寧にメイクを落とし、洗顔をする。
鏡に映るのは、清楚系お嬢様風の先程とは大幅にベクトルの違う、のっぺりとした顔。
多分、平安時代なら引く手あまただったのだろう。
今日も笑顔と引きつった苦笑で表情筋を酷使した顔を労るようにタオルで拭き、化粧水で保湿する。
すっぴんになると、本音がぽつりとこぼれる。
「結婚って、そんなに大事かなぁ」
今は、仕事が一番楽しいんだけどな。
洗面所を出ると、Tシャツ姿のお父さんとすれ違う。
「帰ってきたのか。どうだった?」
「収穫なしでーす」
「お婆ちゃんが早く葵のウェディングドレス姿が見たいって言ってたぞ」
「はいはい」
お母さんに引き続き、お父さんにもプレッシャーをかけられ、イライラを抑えきれずに露骨に感情に出す。
「まぁでも、蒔絵師なら手に職。この工房を継いでもいいし、万が一、この町を出ることになっても、続けられるといいね」
お父さんは、漆が手に付いてしまったのか、手早く手を洗いながら言う。
「漆が付いたの?手、被れてない?」
「いつものことだよ、優しいなぁ、葵は」
お父さんはにっこりと笑う。
お父さんは蒔絵師だ。
小学生低学年の頃から遊びの延長で父に蒔絵の技術を教えてもらっていた。
肌色の漆で筆をなぞり、金粉を振りかけた瞬間に、漆黒の漆器が一気に晴れ姿と変化したのが印象的だった。
大学を出てから、イシカワ県にある実家の蒔絵工房にてお父さんの元に本格的に弟子入りをした。
我が家には娘の私しかいないから、てっきり自分がこの工房を継ぐものだと思っていたので、お父さんの答えは意外だった。
「この街を出る……って、選択肢もありだったんだ?」
「お母さんはいなくなったら近所の噂になるからって反対してるけど、お父さん的には蒔絵師の仕事をしてくれるならありだと思うな。ここで学んだ技術を、別の場所で活かせるなら嬉しいし」
「えっ、じゃあ、トウキョウで働く!」
目を輝かせる私に、お父さんは苦笑いする。
「あそこは流行のものや美味しいお店が何でも揃ってるから、行きたいって昔から言ってたもんな。もしトウキョウで蒔絵に関する変わった求人があって、そこでしかできないような仕事なら、俺もお母さんを納得させられるように協力するよ」
「本当に?!」
お父さんはおどけた口調でからかう。
「トウキョウなら職業もバックグラウンドも様々な人が集まってるから、葵と意気投合できるメンズもいるかもね」
「もう、お父さんも結局結婚を意識してるじゃない!」
ふざけて頬を膨らませながら、部屋へ向かう。
足取りが、少しだけ軽やかになった。
そう、私は結婚に逃げているのではない。
仕事で、大きな一歩を踏み出そうとしているのだ。
早速、部屋のパソコンにてトウキョウの蒔絵師の求人情報を検索する。
トウキョウ、蒔絵師、求人。
検索で出てきたのは、たったの2件。
え、蒔絵師の求人ってこんなに少ないの!?
「トウキョウ蒔絵工房」をクリックする。
マンションの一部屋をアトリエとし、そこで作業する様子が写真に写っている。
「トウキョウ蒔絵工房」
蒔絵師を募集!
週5日勤務、月収28万円、交通費支給。
アクセサリー作り、販売と、蒔絵に関心のある生徒さんに基礎コースの指導をする仕事です。
詳しくは下記連絡先まで。
うーん、悪くはないんだけど、この仕事内容なら実家の蒔絵工房とやってることがそんなに変わらないなぁ。
もう1つの求人は、葬祭関係の企業だ。
クリックすると、薔薇の花びらが舞うようなページが出てきた。
薔薇の花びらは、「柩コーディネート華菱」の文字をかたどった後、白いスーツをナチュラルに着こなし、薔薇を口に咥えて片目を閉じた美青年の写真が登場した。
……これは本当に蒔絵師を募集している、まともな会社なのだろうか。
ホームページには、以下のように書かれていた。
柩コーディネート華菱
〜終楽章は紅薔薇を添えて〜
葬祭の主役は貴方。
貴方が眠る柩から、身に纏う衣装、装飾の花の全てをオーダーメイド。
最期まで、貴方らしい姿のままで。
参考写真のページを開くと、螺鈿細工の蒔絵が丁寧に施された漆黒の棺に、ワインレッドのスーツを着こなした美青年が眠っている姿が。
周りには溢れる程の白薔薇と、ところどころにカスミ草が散りばめられている。
す、すごい!
そういえば、トウキョウのセレブの間で、死後に備えて、生きているうちに自分らしい葬式をプランするのが流行ってるって雑誌に載ってた!
高まる気持ちで、食い入るようにサイトを観ていく。
トップページや棺で眠る美青年の写真は、どうやらこの会社の社長らしい。
社長の名前は華菱 麗。
日本初の柩コーディネーターで、ミナト区赤坂にて事務所を構えている。
「ん、今日の華菱の写真?」
クリックすると、柩に眠る華菱社長の姿が。
今日のコーディネートは、朱色の柩に、異国の王子様が着ているような何と表現して良いのか分からない服装に、白と薄紫の紫陽花だ。
ちなみに、「今日の華菱の写真」は毎日更新されている。
随分と仕事に熱心な社長様だ。
求人を見ると、その文字に目を疑った。
柩コーディネート華菱の蒔絵師募集。
仕事内容は、柩に施す蒔絵の製作や接待。
月収50万円〜。
希望の方には衣食住提供あり。
採用試験を希望される場合は、交通費等支給。
下記連絡先までお問い合わせください。
げ、げ、げ、月収50万円に、衣食住まで⁉
これは、応募するしかない!
震える手で、柩コーディネート華菱に向けて連絡する。
思えばこれが、私の運命を大きく変えてしまう第一歩だった。
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