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Episode2.家出
翌日、赤ばらは出来るだけいつも通りに過ごすことを心掛けました。昨日の夜、父親たちの話を聞いてしまったことがバレてしまわないように、と。今夜、家族全員が寝静まってから、家を出ようと、心の中で決めていたからです。荷物はありませんから、準備の必要もありません。なんなら昨夜、家を出ても良かったのですが、さすがに両親が起きている所を出ていくのは見付かってしまうだろうと今夜出ていくことにしたのです。
木靴と髪留のことが気にかかってはいましたが、土に埋めた灰をもう一度取り出したとして使い道もありません。最後にお別れだけをして出ていこうと赤ばらは考えていました。それは、父親と別れる以上に、悲しくて寂しいことでした。
黒ばらが、にやにやとこちらを見ているだけなのが不気味でしたが、ふと、昨日の話を継母から聞いたのだろうと思い付いて、赤ばらは溜息を吐きました。奴隷になった姿を思い浮かべているのでしょう。今夜、できるだけ遠くまで逃げなくてはいけないことを考えると、いじめられるよりは良いかと思うようにしました。
一日が過ぎるのが、いつもより一層遅く感じられる日でした。それでも赤ばらはいつも通り、俯いて決して目を合わせず作業をこなしました。黒ばらだけでなく、継母の態度がいつもよりきつくないのも、昨日の話が望み通りまとまったからなのでしょう。体力が温存出来てよかったと思うことにして、そうしているうちに長い一日が終わりました。
家事を一通り終わらせる頃には、家族は寝る準備が終わっています。赤ばらは就寝の挨拶をして、屋根裏に戻りました。そうして息を潜めて家族が寝静まるのを待ちました。
月が傾いて、真夜中が訪れました。冬が近いこの季節は空気が澄んでいるけれど、その分冷たくなってきています。それでも赤ばらが身にまとえるのはぼろのようになった服一枚だけです。
「出来るだけ遠くに聞かなきゃいけないのだもの、身軽で良いと思わなきゃね。」
赤ばらは自分を慰めるように呟きました。
今夜、家族は全員眠っているようです。明かりは無く、家の中は暗闇に沈んでいますが、赤ばらは目を凝らし、猫のように静かに家の外に出ました。
庭の隅の、形見を埋めた場所に立ち寄り跪いて別れの祈りを済ませた赤ばらは、そろりそろりと家の東側にある森へ向かって進みます。寝ている家族に足音が聞こえなくなるくらい離れたと判断した赤ばらは、森へ向かって走り出しました。形見の木靴を燃やされてから、もうずっと赤ばらは裸足でした。今も裸足で走ります。道の小石が赤ばらの足を傷付けても、かまわず走りました。東側の森は深く、凶暴な獣も多いことからほとんど人は寄り付きません。その森まで行けば、少なくとも連れ戻される心配はないでしょう。
必死に走って走って、ようやく森の中に足を踏み入れた時、息を切らした赤ばらはその場に崩れ落ちました。こんなに走ったことは今までありませんでした。心臓はばくばく脈打ち、脚はがくがくしています。靴を履いていなかったので足裏は傷だらけになっていました。
ふと、顔を上げると森がぽっかりと暗闇に包まれた口を開けているようでした。月の光も届かないほど、鬱蒼と生い茂る針葉樹が不気味に見えます。赤ばらは躊躇いました。このままこの森の中を進んで良いのかと。けれど、首を振って思い直します。進むしか道は残っていないのです。形見の木靴と髪留を燃やすような黒ばらと継母や、それを咎めない父親のために奴隷として売られるのだけは御免です。
「それなら狼や熊に食べられる方がいいわ。」
そう考えて、まだ震える脚に力を入れて立ち上がりました。
「お母さん…」
赤ばらは、本当の母親を思い浮かべて勇気を絞り出そうとしました。
その時でした。
赤ばらの目の前が優しい光に満ちたのです。赤ばらが驚いていると、やがて光は消えました。ぽとり、と音がしたので視線を下に向けると、そこには。
燃やされて、灰になってしまったはずの、形見の木靴と髪留があったのです。赤ばらは、本当に驚きました。声も出ないほどに。しばらく立ち尽くして、そうしてようやく我に返った後に、木靴と髪留を拾い上げました。穴が開くほど調べてみるほど、あの日燃え尽きた形見の木靴と髪留に見えます。赤ばらはそれらをぎゅうっと抱きしめました。嬉しくて嬉しくて、久しぶりに声を出して泣いてしまいました。胸の中で、木靴と髪留が赤ばらを慰めてくれているように感じられ、ほどなく赤ばらは落ち着きました。
もう一度、木靴と髪留に視線を落とすと、不思議な光がその二つを包みました。光が収まると、木製のはずの靴は金色に輝いています。同じように木で出来ていた髪留も銀色に輝いて、五つ並んでいた丸い飾りは赤・白・黄・青・緑の鉱石に変わっていました。
「え? なんで?」
赤ばらはがっかりしました。金や銀の方が木よりも価値が高いのは知っていましたが、これでは形見の品とは程遠い見た目です。母親が手作りしてくれた物だったからこそ、赤ばらは大切にしていたのですから。
一人、しょんぼりと立ち尽くしていると、鳥が羽ばたく音がしました。
赤ばらが辺りを見渡すと、すぐ近くでばさりと音が仕方と思うと彼女の右肩に何かが止まりました。びっくりして視線を移すと、そこにはフクロウがいたのです。くりくりとした目が、赤ばらを見ていました。
「びっくりした。」
「あら、ごめんなさいね?」
赤ばらの呟きに答えるように、女の人の声が聞こえました。赤ばらは今度は恐怖で息を吞みました。こんな時間に、こんな場所に女の人がいるとは、思ってもみなかったのです。
「アタシよ、アタシ。そんなに怖がらないでちょうだいよ。傷付くじゃない。」
その女の人の声は、すぐ近くから、そう右肩から聞こえてきます。よくよく見ると、声に合わせてフクロウの嘴が動いていました。
「え、えと… フクロウさん…?」
恐る恐る赤ばらはフクロウに問いかけます。
「そうよ。ウルラっていうのよ。よろしくね。」
「え? あ、はい。よろしくお願いします。私、赤ばらって言います。」
人語を話すフクロウに、赤ばらは気圧されつつ挨拶を返しました。ころころと笑いながら、ウルラと名乗ったフクロウは赤ばらに話しかけます。
「アタシね、あなたのお母さんにお世話になったのよね。だから今度はアタシがあなたを助けてあげるわ。」
「私の、お母さん、ですか?」
「そうなのよ。取り敢えず、その、あなたのお母さんがあなたに遺したアイテムを身に着けましょうか。」
「でも…」
赤ばらは手元の靴と髪留に視線を移しました。さっきまでは確かに形見の品物だった、それに。
「なあに?」
「もう、お母さんが作ってくれた木靴でも、髪留でもないもの… これは、だれのものなのかと思って…」
赤ばらは悲しそうに靴を髪留を見つめるのでした。
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