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火曜日
気が付くとそこは、買い物客で賑わう商店街だった。
派手な色合いのアーチを見上げると『〇〇通り』という看板がかかっている。知らない通りの名前は、これといって印象的でもなかったのか、読んだ瞬間からもう忘れてしまった。
わたしはアーチを潜り、商店街を進んでいく。少し行ったところに、ピカピカ光る電光掲示板があった。大分年季の入ったそれは、文字や数字が所々欠けているが、読み取れなくはない。電光掲示版は日時と曜日、天気を表示していた。
10月10日(火曜日)午後2時 晴れ
日付と天気はわたしの認識と合っているが、曜日も時間も違っている。今は月曜日の朝の筈だ。見るからにポンコツそうなそれは、きっともう壊れているのだろう。だが、近くにある個人スーパーの店頭ではためく「火曜市」の旗も、シャッターに貼られた「火曜日休業」のチラシも、今日が火曜日であるという事実をわたしに押し付ける。
わたしは目の前の状況に付いていけず、往来で立ち尽くした。
わたしはつい先程まで通勤通学の人ごみを作る、一つの“ごみ”だった筈だ。それが何故、今、見知らぬ商店街で、大きな買い物袋を提げたご婦人に邪魔そうに見られているのだろう。
とりあえず、人々の進行を妨げないように道の端に移動する。そして、改めて商店街の様子を眺めた。
肉屋、魚屋、八百屋、薬局。居酒屋、金物屋、靴屋に、香水の匂いがしそうな小洒落たブティック。
色落ちしたトタン屋根、派手すぎる看板。フランス色に回る床屋のサインポール。商店街は目まぐるしく色に溢れている。統一性のないその様子は、逆に一種のまとまりを築いており、ここは独立した国のようだと感じられた。
その国で嗅覚を支配するのは、肉屋と惣菜屋の二大勢力。揚げ物油のこってりとした匂いが、人々の動きにまとわりついて街中に蔓延していた。
その国の人々は、忙しないように見えてマイペースに、それぞれの午後を過ごしている。紙に包まれた揚げたてのコロッケを頬張る学ランくん。弁当屋に並ぶ恰幅の良い作業服さん。二つの玉ねぎを見比べ続けるエプロンさん。の手を引く、お菓子をねだる黄帽子ちゃん。
ビニールカーテンで透けて見える居酒屋には、こぞってテレビの競馬中継を眺める、くたびれたシャツ軍団。
街に満ちる活気に、わたしは一人取り残された様な気持ちで、裏通りに逃げ出した。ひんやりじめっとした裏通りは、静かに眠っている。静かだが落ち着かない。その閉じられた扉の一つ一つ、暗い窓の奥に、息をひそめてこちらを窺っている何かが居るように思えて仕方なかった。
道や空に突き出している看板たちには、普段使いしにくそうなフォントで、艶やかな響きの女性の名前が書かれている。ここはスナックが集まっている場所なのだろうか。
「ねえ」
居場所のない迷子のわたしに声がかけられる。それは甘くねばっこい、濃密な女の声だった。
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