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路地で喧嘩の場数を踏んだ新井は、ここ数年でかなり雑味が取れてきた。それは教師がいいからだと難波は思う。新井が難波を教師だと思っているかどうかはわからないが、難波は新井を生徒だと思っている。
報酬は飯だ。
新井は、和洋中韓、何でも料理が上手かった。
今日は夏野菜のトマトリゾットに昨日から煮込んでいたスペアリブだ。
昨日の夜、新井はいい豚肉をもらったと言って難波の家にやってきた。そして夜遅くまでその下準備をしていた。今朝も早くから様子を見ていたぐらいだから、料理に思い入れはあるに違いない。
しかし新井は、肘をつき、スマホを見ながら、いともまずそうに食う。
「食ってるときは、スマホは裏返しとけ」
難波が言うと、新井は目だけチラリと向け、そのまま再びスマホに目を落とした。
「バイトの連絡が来てんだよ」
少し文字を打った後に、新井はスマホを脇に置いた。そして、やはりまずそうにリゾットをスプーンで掬って食う。
美味いのに。
難波は首をひねり、自分の分を味わった。
もったいない。本当にもったいない。
天は才能の置き場所を間違ったに違いない。こんな力は、もっと可愛くて笑顔の溢れる女性に与えるべきだったのだ。そうすれば、難波は、彼女を褒めちぎり、いい感じになって、一気に恋にだって結びついたかもしれないのに。
甘辛く煮たスペアリブにはオレンジピールがほのかに香り、トマトリゾットは疲れた体に優しく染み渡る。
だから難波は腹が立つ。なんでこの才能を、クソ生意気なこのガキに与えたのだ、神は。
2人の食卓は、いつも会話はあまりない。不機嫌そうな新井と、飯をじっくり味わう難波がそれぞれ食って終わりだ。
難波にとっては、新井の作る飯が一番まともな食事と言えた。という意味では、新井と会ってから、難波の栄養状態は改善したとも言える。おかげでアラフィフといえる年になったが、体調はすごぶるいい。
義務のように食った新井は、自分の皿を流しに運び、先にさっさと洗う。片付けもだいたいは新井がしてくれるので、難波はたいてい食うだけになる。新井は掃除や洗濯もそう嫌がるわけではないが、料理にまつわることはむしろ進んでやってくれた。
「残ってるの入れとくから」
新井はタッパにリゾットの残りを入れ、冷蔵庫にしまう。冷蔵庫も新井のおかげで、かなり充実している。以前はビールしか入ってなかったのだが。
「ん。おまえ、今日は夜勤か?」
難波が聞くと、新井は面倒そうに振り返った。
「そう。コンビニも人手不足で」
「なるほどな。最近、コンビニ強盗も流行ってるからな。曽根崎の仕事だろ?」
「おばさんのとは別」
新井は、難波が食べ終わったのを見て、皿を引いてくれながら言った。
そう。悪い奴じゃないのだ。むしろ、飯を作ってくれて、片付けもしてくれる。時にたまった洗濯物を知らない間に始末してくれているときもある。難波のお母さん的な存在の時さえある。
これで24の女だったら、多少生意気なところには目をつむり、プロポーズしてもいいと思うのだが。残念ながら奴は男で、向こうも難波も異性愛者だった。
「そうか、でも気をつけろよ」
難波は洗い物をしている背中を見ながら言う。
しかし新井は、フンとかすかに鼻を鳴らしただけで答えなかった。
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