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難波の住んでいる街には、そこそこガラの悪い地区がある。かなりやばい地区もある。都市の多くは、たいていそんなもんで、きらびやかな表の顔を持つ地区と、掃き溜めみたいな裏の顔を持つ地区があるのが普通だ。
地価の安い少々不便なエリアには、そういった地区にしか住めない住人が集まり、外国人労働者が集まり、そして金のない少年少女も集まる。そこで雑多な犯罪が生まれ、組織化し、裏稼業が大きく成長していく。雑居ビルにはギャンブルと酒とドラッグと性風俗の店が集まり、そこで小銭を稼ぐ人々が暮らす。
新井もそんな街の住民だった。
12のときに訳あって日本へやってきた韓国籍の少年は、韓国人街の親戚の家で暮らしていたが、親戚と反りが合わず家出少年になった。街にはそんな少年少女は珍しくなく、彼らを食い物にして稼ぐ大人もまた多かった。
新井はそこで食われるだけでなく、のし上がることにした。そして喧嘩を覚え、裏稼業に手を染め、警察に目をつけられて、実際に何度も捕まっていたらしい。
曽根崎がどこで新井とつながったのかは、難波もよく知らないが、ある日、彼女が新井を連れてきた。
「拓良地区で死なないようにして」
というのが彼女の希望だった。
それはつまり、無法地帯での生き残り術を教えろという無茶な依頼だった。
驚いたことに、どう見ても韓国マフィアの下っ端チンピラの新井は、難波の教えに素直に従った。最初はとてもかわいい生徒だった。まだニキビも残る19の少年は真面目で、物覚えも良く、そして料理も上手かった。自分のことを語ることはなかったが、難波が言うことはちゃんと聞いた。きつい基礎訓練にも音を上げなかった。
曽根崎には、どこからどうやって、あんないい原石を見つけてきたんだと聞いたが、彼女はいつものようにはぐらかすだけで教えてくれなかった。
とにかく、新井はぐんぐん成長した。振り出していただけの拳にも戦略と意味を持たせ、冷静に相手の出方を判断する力も身につけた。1年ほどして、そろそろ武器を持たせてみろと曽根崎が言い、模造ナイフを持たせてみると、新井は殺し屋かと思うような腕前を見せた。モデルガンの扱いは既に慣れていて、こいつは本当に末恐ろしいガキだなと思ったのを覚えている。
死なないためには知識も必要だった。在日8年目の新井は、日本語もそこそこ読み書きできたが、活字には縁がなく、時事ニュースは身の回りのことしか知らなかった。格闘技を教えるよりも、この基礎知識を与える方が大変だった。それでも中学校の参考書は頑張っていたし、ニュースはあくびをしながら見たり読んだりしていた。そんな苦労が実って、今の新井がある。
しばらくは難波の家に居候していた新井も、今ではバイトの掛け持ちで自分の古くて狭いアパートの家賃が払えるようになり、難波のところに来るのは朝のバイトが入ってない日だけになった。
独立させたら、また昔のように悪い奴らと組むんじゃないかと心配していた難波の思いに反して、新井は真面目に働いているようだった。
一方で、曽根崎が新井を都合よく使っているのも難波は知っている。
新井は犯罪経験もあり、韓国マフィアにも顔が利く。今でも拓良地区に片足を突っ込んでいて、時にはギャングと付き合いを続けながら、曽根崎に情報を流す。ギャングに裏切りがバレたら当然始末される。だから曽根崎は、新井を難波に預けたのだ。新井もそれを承知しているようで、今もその関係は続いている。
そろそろ解放してやれ、と難波は曽根崎に何度か言ったことがある。
しかし曽根崎は笑っていた。
こういうのは沼なの。足を突っ込んだら二度と戻れない。
わかってたくせに、と曽根崎に言われ、難波は苦い酒を飲んだ。
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