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 病院では過労と診断された。優美自身もそうだろうと思ったし、彼もとても心配してくれて、迷惑になってはいけないとそれ以降、少し仕事をセーブするようになった。  けれど体調は戻らない。週の半分程度を寝ながら過ごすようになった。  そんな彼女に斑目は付きっきりで看病し、いつも「何か食べたいものは?」と優しく聞いてくれ、優美の望むものを作ってくれた。どれも美味しく、本当に彼と一緒になって幸せだと、まだ思っていたが、それでも何かしらおかしいとは、心のどこかで警鐘が鳴っていた。    斑目から沖縄の離島に店を出す話が持ち上がったのは、優美が倒れて半月ほどしてからだった。もうアルバイトを辞めて一緒に店をやらないか、と誘われたのだ。優美からすればそれはプロポーズと同義だった。  弱っていることもあり、優美には彼と一緒になる以外の選択肢は見えなかった。    ただ当然、店を出すにはそれなりに資金が必要だ。斑目も何とか工面とすると言ったが金がなくて家を追い出されたような人間のどこに、その能力があるというのだろう。それでも開業資金のうちの約半分、五百万を用立てた彼は、頭を下げて優美にもう半分を出してくれないかと頼んだ。  保険を解約し、貯金と合わせ、足りない分は両親からお金を借りた。  何とか作った残りの五百万を彼に預け、それから更に半月ほどが経過した。  アルバイトを辞め、優美は彼と一緒にその翌日、沖縄へと旅立つ予定だった。    最後の夜ということで斑目は腕を振るってディナーコースを準備してくれた。優美も手伝うと言ったのだが、自分がどうしても全てをプレゼントしたいんだと、彼は出来上がるまで寝室に隠れていてくれと笑っていた。出来上がったディナーは前菜から創作のフランス料理で、皿の上には二人の新しい住処となる南国の島が描かれていた。本体はホタテを潰したものだ。海に見立てたソースはやや酸味があり、中にキャビアが眠っていた。  続くスープは透き通っていて、一体何の出汁を混ぜたものなのか分からない。玉ねぎの風味と魚介系の何か、それにハーブが数種類、入れられていたが、優美の知識では全然解析出来ないものだった。それでも体全体に染み渡るほどの旨味が凝縮され、あっさりしているのに胃にずっしりとインパクトがあった。  魚はタラだった。一見すると普通に蒸し焼きにしたものに見えた。けれどナイフで身を割くと、中からチーズの混ざったソースが溢れ出した。それも赤い。血のようだけれど食べてみるとベリーとチョコレートで作ったものだと分かった。それが実にタラとよく合う。作り方を教えて欲しいと言いそうになったけれど、斑目は食べている時に料理の話をすることを禁じていた。美味しいとか、味の感想は良かったが、材料や作り方、処理の仕方、そういった仕事向けの話は絶対にしないようにと注意された。何故なら食べるという行為に対して失礼だからだ。食べることは神聖で、ただ味わうのではなく、料理人が心血をかけて作り上げた芸術を楽しむという行為だと、斑目はよく言っていた。  口直しのソルベに出たのはシャーベットだった。ただ冷たくない。シャーベットとは呼ばないのだろうが、寒天で固めたミントの香りのする甘さ控え目の牛乳プリンのようなものだった。  メインの肉料理に掛かった時だ。  彼は珍しくその皿を優美の前に置いた時にこう言った。 「これでようやく、君に全てを捧げられた気がする。僕の一番の自信作だ。是非ゆっくり味わって欲しい」  牛のフィレ肉だった。五センチ角程度の小さなものだがそれが層になり、赤みの強いソースが掛けられていた。緊張気味にナイフを入れ、それを口に運ぶ。一口目から世界が違った。目の前がチカチカとして一気に口の中に肉の旨味が広がる。ソースそのものが肉だった。たぶん優美が口に入れたものの中で最も幸せを感じたのがこの味だっただろう。  けれどそれは一瞬のことで、すぐに味が分からなくなった。舌だけでなく口全体が痺れ、視界は暗くなり、呼吸が出来なくなった。  優美は声を出すことすらできず、そのまま胸を押さえて椅子から転げ落ちる。でも痛みはない。それを感じる神経そのものが麻痺してしまっていたからだ。  後になって医師から聞かされた話では、何かの神経毒だったらしい。   「それで、拒食症に?」 「はい。わたしが助かったのは斑目敦士をずっと警察が追いかけていて、現行犯として逮捕する為に待ち構えていた刑事さんたちが突入してきて救急車を呼んでくれたからだそうです。そうでなければ間に合わなかったと、担当した若い医師が言っていました」  毒殺は非常に厄介な殺害方法で、多くの場合、証言や状況証拠以外での立証が難しい。体内から検出されたとしても、それを実際に犯人が使ったことを立証するのが難しいのだ。 「退院してから、何度かチャレンジはしてみました。医師からは無理をしないようにと言われていたんですが、食べられないままだといずれは死ぬと分かっていましたから。でも駄目でした。口にしたものは全て吐き出すことになり、無理矢理に詰め込んでも体調を悪くするだけで、それでも栄養剤やサプリメント、栄養補給用のゼリーは辛うじて口にすることが出来たので、それで何とか誤魔化していました。けれど、そうやって生き続けて、一体何になるというのでしょうか。もう愛する男性は目の前からいなくなり、わたしに残されたものは借金と、拒食症の体と、ボロボロになった心だけでした。ですから、死のうと思ったんです。そのわたしの前に落ちてきたのが、このペンションのパンフレットでした。誰かが捨てたものかも知れませんけれど、ここに書かれた流星群を一目見てから死ぬのもいいなと思えたんです」 「それは何とも迷惑な話だ」  冗談めかしたつもりだった。けれど優美は恐縮して「すみません」と謝った。
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