叔父様は箱庭から逃げられない

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(ああそうだ。生まれたときからあいつは嫌な子どもだった)  乗り合い馬車に揺られながら、スウェインは物思いにふける。道が整備されていないのか、それとも馬車が安造りなせいか、どこに座っても乗り心地が悪くて仕方がない。  どれもこれもあいつのせいだ。忌々しい甥を脳内で呪っていたそのとき、不意にやかましい声がスウェインの耳を叩いた。 「だんな。おい、そこの目つきの悪いだんな!」 「誰の目つきが悪いだと?」 「あんた以外に誰がいるってんだい。昼間っからぼーっとしちまって困ったもんだ。さ、着いたよ。あんたで最後だ。降りてくれ」  愛想のない御者に蹴り出されるようにして馬車を出る。途端に、卵が腐ったようなにおいが鼻をついた。目の前に広がる汚く雑多な町の光景に、スウェインは勢いよく御者を振り返って声を上げる。 「おい貴様! ここのどこが風の谷だ! スラムではないか」 「風の谷だあ? どこのお貴族様だよ、あんた。乗り合い馬車がそんな遠くまで行くわけねえだろうが。行きたきゃ駅馬車でも拾いな」  しっしっと虫でも追い払うようなしぐさで、御者はスウェインを遠ざけようとする。あまりの無礼さに、スウェインの血管は切れそうだった。この男が伯爵家の使用人であったなら、その場で首にしているところだ。   「話が違うではないか!」 「だんなが聞いてなかっただけだろう。うちは下町しか回ってないよって最初に言ったよ」 「だが、この形の馬車は領地間をつないでいるもののはずだ!」 「形ぃ? 知らん知らん。行かねえっつったら行かねえのよ。人の話はちゃんと聞いた方がいいよ、だんな。じゃあな」  「待て、この――!」  腕を振り上げて怒るも、御者はさっさと馬車を出して離れてしまった。 「こんなところに置いて行かれて、どうしろというのだ! あの無礼者め!」  イライラと髪をかき乱し、スウェインはひとしきり癇癪を起こすように騒いだ。気を遣って声をかける者は誰もいない。通りを歩く者たちは皆、気味の悪そうな顔をしてスウェインを避けていくだけであった。それがまた気に入らず、スウェインは怒りをぶつけるように闇雲に通りを練り歩く。  気付けば周りの景色は、辛うじて町と言えた風景から、さらに荒れた貧しい光景へと変わっていた。 「……どこだというのだ。ここは!」     頭に上っていた血がようやく降りるころ、スウェインは周囲の者たちが自分を見つめる視線の異様さに気が付いた。ぼろきぬのような衣服をまとった、薄汚れた住民たちが、品定めをするようにスウェインを見つめている。    ここは、どうやら危険な場所ではなかろうか。  貴族であるスウェインは、守られて生きてきた。多少の悪だくみにはおぼえがあれど、腕っぷしなど誇れたためしもない。 「見るな! 寄るな! ええい、触るなと言っておるのだ!」  子どもたちが手を伸ばし、スウェインの裾を掴んでくる。次から次へと伸びてくる手に顔を引きつらせながら、どうしようもなくなったスウェインは、愚かにも懐の財布を取り出した。   「か、金をやろう! だから――ぐえぇ!」  ちゃりちゃりと袋を鳴らして見せた途端、子どもたちの目の色が変わった。髪を引っ張られ、服をちぎられ、抵抗すれば殴られる。スウェインにできたことは、ただ早くこの嵐が過ぎるようにと祈って耐えることだけだった。
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