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叔父様は箱庭から逃げられない
ペンブルク伯爵家。
国を支える名家の屋敷の一画には、つつましやかな別邸があった。当主アラン・ペンブルクの命により整えられたその小さな屋敷には、限られた者だけが立ち入りを許される。
見てくれは、居心地を最優先に作られた快適な空間である。庭に出れば町が見え、窓を開ければ爽快な空気が吹き抜ける。しかし、中の住民――スウェインにしてみれば、外への行き来を禁じられ、触れられる情報さえ限られた、罪人の牢に等しい場所であった。
(この日をどれほど待ったことか)
ひとりになった部屋の中、スウェインはしみじみと頷いた。
「よし、逃げるか」
見張りには下剤を盛った。門番は買収済み。一番の難敵である優秀な甥その人も、用事とやらで丸一日帰らないと聞いている。
己のために設えられた衣服一式を脱ぎ捨てて、スウェインはクローゼットの奥に隠してあった小さな袋を取り出した。中に入っているのは、この日のために用意した町人の服である。伯爵家の一員たる人間として、このようなみすぼらしい服を身にまとうのは抵抗があるが、背に腹は代えられない。こうでもしなければ、あの蛇のようにねちっこく、蜘蛛のようにあくどい甥の手から、スウェインが逃げることは永遠にできないのだから。
手早く着替えて鏡を見る。
藍色の髪に青い瞳。平均的な背に、平均的な容貌。見慣れた己の姿がそこにうつっている。三十半ばに差し掛かった年齢をうつすように、つり目がちの目元にはやや皺が目立ち始めていた。
華やかさにかける己の容姿を憎らしく思っていたけれど、人に紛れることが目的ならば役に立つ。人生何が良い方に転がるか分からぬものだ。
このまま飼い殺しにされてなるものか。
実家であったはずの屋敷に軟禁されて早三年。一体スウェインが何をした。
(いや、色々したが! いじめにいじめていたぶってやったが! それにしたって甥が子どものころの話だ。家を出た相手を連れ戻してまでやり返すことか? 時効だろう⁉︎)
止まらぬ罵倒は心の中だけにとどめておく。人が駆けつけてきては脱走計画のすべてが水の泡になるからだ。
ここにスウェインの味方はいない。両親は流行り病で死んで久しいし、家督を継いだはずの兄とその妻は、十年以上前に事故死した。今やこの屋敷は、若き当主となった甥・アランのものだ。
シャツのボタンをきっちり閉める。
目的地は風の谷。隣の領地でもあり、軟禁される直前までスウェインが住んでいた場所でもあった。
そこに行けばなんとかなる。そうスウェインは信じていた。政略結婚とはいえ、軟禁される直前まで、妻とはよい夫婦関係を築いていたのだ。従順な妻であった彼女ならば、あれこれ言わずにスウェインを助けてくれることだろう。
(貴様の思い通りにさせるものか、アランめ!)
使用人から巻き上げたわずかばかりの金銭を手に、意気揚々とスウェインは屋敷を抜け出した。
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