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悪い子ちゃんの話
啓二が吼えて放つ拳を萌絵は容易く手で受け止めた。
「女、殴るんだ?」
「へ、化物がほざくなよ? それに、俺はな」
小柄な少女の可愛い手による凄まじい握力に潰され、左拳の骨が砕け散っていく痛みを無視して啓二は笑う。
「美子さん以外を、女として見たことはねぇ」
恐怖を払うべく、あえて口にした愛しい名。
それは彼の足元に座り込む夏樹の表情を曇らせ、
「あ? ミコって、祓い屋の?」
萌絵の笑顔の性質に嘲りという要素を付加する。
「ソイツ知ってる、よォく知ってるよ!」
「……何ィ?」
「久那土さん家の、落ちこぼれでしょ?」
「……だまれ」
たちまち感情の色をなくす男の反応を楽しむように、あからさまな悪意が宿った言の刃を嬉々として萌絵は、
「でもって今はさ、お姫ちゃんの食い残しだァ!」
ブチまける。
「死」
啓二の右拳が萌絵の下顎を打ち上げた。
「死ィねぇぇぇぇぇぇぇぇェェェェェェェェッッ!!」
喀血とともに爆裂する怒号は天を劈く。
一撃のためだけに踏みしめた足元が大きく陥没する。
「ぁひぁんっ」
萌絵は切なげな吐息を漏らしながら高々と宙を舞い、背中から地表に叩きつけられると股間を押さえて痙攣。
「しゅごいっ……殴られただけで、イッちゃった……」
頬を仄赤く染め上げて虚ろな眼差しで夜空を見つめ、涙を流しつつ開きっぱなしの口から涎を垂らして悦ぶ。
変態女に快楽をプレゼントしてやっただけ。
その事実を見せつけられて啓二の激情は加速し続け、今度こそ確実な滅びを怨敵に与えんと踏み出していく。
「荒覇吐ィィィィ」
「だめぇ啓二さん」
顔面蒼白の夏樹が啓二の片脚にしがみつく。
「戦っても殺されちゃう!」
「死んだって道連れにする」
「美子さん置いてくの!?」
「あの子は美子ちゃんだよ」
美子の人格は啓二との思い出もろとも消滅した。
「美子さんは俺を守って死んだ」
『ね、お兄ちゃん次はいつ会える?』
本心ではもう会うのも辛い笑顔が啓二の脳裏で輝く。
いつか、彼女が奇跡的に記憶を取り戻して、
『うへへ、啓二くんにゃあ心配かけてすまないね』
呑気に言って微笑む時を待ち望んだこともある。
いつかなど来ないのだと思い知らされるだけだった。
「はなせ夏樹ィ!」
「イヤだぁーっ!」
ふたりはいつしか四人に囲まれていることに気づく。
「決めたよ愉快な仲間っち」
西にコートを靡かす萌絵。
北に学ラン着用の美少年。
南にパンクロリータの女。
東にガラの悪いピアス男。
「真辺 啓二、うちが殺してカレシにすんねっ♡」
覚醒と同時に啓二はバネじかけのごとく身を起こす。馴染みの場所・禊医院のベッドにいる自分を認識した。ヤクザの銃痕から霊障の治療まで表沙汰にできない傷、疾患を担当する闇医者の根城として一部界隈で有名だ。
枕元では夏樹が涙痕を頬に刻んで頭を横たえている。
「女のコ泣かすなんて悪い子チャンだね真辺クン」
正面でイスに座っていた大柄な中年と目が合う。
「籠山、さん」
「啓二どの、復活で御座るね?」
お盆を持って入室するはポニーテール和装美人。
「石丸さんまで、仕事は?」
「代表がね至急、戻れとさ」
籠山は答えて、湯呑みの茶を啜る。
「熱あっちゃっ、もぉ僕サン猫舌なのよ石丸クン」
「わっ相すまぬ、失念しちゃってゴメンで御座る」
慌てる石丸を、ドジな若奥様みたいだと啓二は思う。
「緊急招集とか滅多にないじゃないすか」
「シ人の新興勢力が暴れ出すから厳戒態勢もあるけど、許可なく奴らとコトを構える不良クンも叱らなくちゃ」
「ババア……桜庭代表……怒ってんすね」
「糞馬鹿弟子め良心を贄にして見境もなくしたかって、もぉカンカンだしキミと夏樹クン助けたのも桜サンさ」
「荒覇吐……ちくしょ……逃げやがって」
「気持ちはわかるが頭を冷やせ真辺クン」
包帯まみれの左手を啓二は壁に打ちつける。
鈍い音によって、夏樹が目覚めて彼に抱きつく。
「やめて……もう、自分を傷つけないで……」
ここで急に石丸、咳払い。
「ささっ籠山どの、奥で拙者とゲームっ」
「ナゼ? 石丸クン弱いじゃん」
「わかんないの? ホラ行くでござるっ」
「ちょっ引っ張んないで一張羅」
妙な気を回され、啓二と夏樹はふたりきりにされた。
「わたし中学の頃に修学旅行で初めて九十九町に来て、海の害霊に親友を奪われて引き換えに能力を得てます」
「そうか」
「弔いのために家を出て今の高校を受験しました」
「俺と似てる」
淡々と過去を語る夏樹の顔はまだどこか青白い。
「啓二さんは心の他に何を支払ったんです?」
「数えてねぇ」
「命尽きるまで削り続けるつもりでしょう?」
「俺の勝手だ」
啓二が言い放つと夏樹はイスを倒す勢いで立つ。
「大切な人を失ったのが自分だけだと思わないでッ!」
「久那土 美子を失ったのはこの世界で俺だけだッ!」
叫びをぶつけ合う両者間に重い沈黙が流れゆく。
「真辺クン!」
再び時を動かす呼び水となるは籠山の声である。
「ついさっき中央病院が例のシ人一派に襲撃されたよ。組合の警護チームは全滅して美子チャンが攫われた!」
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