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正直クダンの嘘の話
「日本はロシアと戦争する」
牛の体に人の顔もつ赤子は告げる。
「我の絵姿があれば難を逃れよう……くだん」
数日後、役目を終えたかのようにソレは死んだ。
明治32年、五島列島の農家での出来事である。
のちに予言を的中させるソレの死体は剥製となって、長崎の博物館に展示されたが閉館後の行方は判明せず。
この件なるモノが歴史に登場した時期には諸説あり、江戸時代に疫病蔓延や日本最大の飢饉も予告している。
そして現在。元号は大正。
場所は東京・千駄ヶ谷だ。
「で……キミはいつ予言するのだ?」
「ちょっ誰が決めたしウケんだけど」
真っ直ぐな角を戴く美形の件が畳に寝転がって笑う。
「つかさつかさソイツらマジで頭パープリンじゃね? 黙ってりゃあ不死身ってことなのに正直に伝えるとか」
19歳の伊藤 クニオは珍奇な同居者に首を傾げた。
「なんだい? 変な喋り方して」
「いや未来を見てたらミンナこんな感じになってんの。あっ待って今わかったわ……オマエ死ぬよ……命日に」
「当たり前だ。それは予言に入らないのか?」
「もっと規模のデッカい災害とか当てねぇとな〜」
「なんでもいいが勉学の邪魔しないでくれたまえ」
「家でも大学でもガリ勉たぁ早稲田は違うねぇ〜」
両者の出会いは、ひと月前だ。
いつの間にか台所に侵入してヌカ床に首を突っ込み、漬けたばかりの胡瓜を食う生き物をクニオが見つける。
野犬と思って棒で尻を叩くと、
「痛ぇな」
と男の顔が振り返って喋った。
クニオは驚いて家族を呼ぶが、
「目に細工したんで見えねぇぜ」
と件の言うとおり騒げど相手にされぬ。
「ぼくにだけ見えているのか?」
「オマエとオレは縁があるらしいや」
図々しくも件は部屋の押し入れに住み着く。
「芝居を観に行きたい」
クニオは学習から落描きに逃げた。
「歴代天皇の名を知っても役立たんしな」
「そうだ王様の名前なんか言えなくても死なねぇ」
件が茶化すのでだんだんと苛立つ。
「つかオマエに覚えられっこねぇよ」
「化物めが人間様を侮るな」
「そらんじてみろ」
「神武、綏靖、安寧、懿德……ん……?」
クニオが詰まったところで件は足を打ち鳴らす。
「やっぱ無理じゃんバカ〜」
「見てろ今に覚えてやるから〜」
躍起になって再び机に向かうと外で大声が響く。
「待てぇい! センジン!」
「クニオ、誰か追われてんぞ?」
件は窓枠に前足でブラ下がって向こう側を覗く。
「センジンが自警団に捕まってるの」
「顔もオマエらと似てるし仲間じゃね?」
「違うよ」
「人間って難儀だな、仲間どうしで敵つくってさ」
クニオは件の呻き声で起きて押し入れを開ける。
「うるさいなぁ件」
「クニオ……死ぬ……」
「えっ腹が痛いのか?」
「ちっ違……くそ……本能ってやつなのか?」
件は汗だくで、満面を歪めていた。
「東京は……明日……」
「明日も早いんだ寝ろ」
クニオはピシャリと戸を閉め、布団に戻る。
大正12年 9月1日 11時58分32秒
激震が起こった。
海をゆく小舟の上の卵みたく東京は翻弄される。
至るところで大小の建造物が倒壊して発生した火は、強風の手伝いによって街を呑み込む豪炎の竜巻と化す。
明けても暮れても続く不安と恐怖が市民の心を蝕み、
『大打撃に乗じてセンジンが襲ってくる』
というデマまで流布されて過激主義者の凶行を呼ぶ。
「件」
クニオも家族も住居も健在だ。
しかし件の姿のみ消えている。
「どこ行ったんだよう」
夜、デマを信じたクニオは部屋でひとり震えた。
件の落描きを握り、懐に入れると家を飛び出す。
「ぼくも何かしよう。暴徒など懲らしめてくれる」
登山杖を引っさげ、線路の土手をズンズン進む。
闇の中で何者かに腰を殴られて倒れた。
「いたぞォ!」
提灯を持った集団がクニオを取り囲む。
「自警団!?」
「センジンだな?」
「違います日本人で早稲田の学生で」
「ウソをつくな! そんなモン偽造できらぁ」
学生証を叩き落とされた。
「歴代天皇を順番に言ってみろ」
「日本人なら言えるハズだ詰まれば切り伏せるぞ」
薪割りでもって脅される。
「ひっ神武綏靖安寧懿徳、孝昭孝安孝霊孝元開化……」
クニオは必死でお経みたく唱える。
件にバカにされてムキになって頭に叩き込んだ名を。
「崇神垂仁景行成務仲哀、おう……」
もう出ない。
これまでか。
薪割りが頭上で振りかぶられた時、
「クニオっ!」
と馴染みの声が響く。
「そうだ伊藤さん家の子だ」
頷いて歩み出るは近所の酒屋の男。
クニオは自分を救ったのが件の声だと確信した。
「人は確かに難儀だな」
自分は被害者だが加害者にも成り得たと彼は考える。震災の直後には多くの朝鮮人が理不尽に殺されている。
「件、生きてるだろ? 胡瓜、いつでも浸けてるぜ?」
件は類まれなる正直者らしい。
死にたくないので未来を真逆に伝えていたのだ。
どこかの街角で好物をくわえながら振り向いて笑う、そんな友の姿を思い浮かべて青年は床につくのだった。
のちにクニオは俳優となって業界に功績を刻む。
千田 是也なる芸名は当時の出来事が由来だという。
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