9.悲しい告白

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9.悲しい告白

 美月センパイは言った。  うたの意味もわからず伝えてしまったことがこわくなって。全部なかったことにしなくてはいけないと思ったの、と。  ――だから、みのりは覚えてなくて当然なの。 「じゃあ、やっぱり私は美月センパイの祝福を受け取っていたんですね」  ――うん。  美月センパイの魔法によって消されてしまった記憶。私はどんなふうに美月センパイと出会ったのだろう。どうして美月センパイは私に祝福をくれたのだろう。美月センパイにはどんな思い出が残っているのだろうか。 「美月センパイは、ずっと、覚えてたんですか?」  ――ううん。私も一緒に忘れてたの。思い出したのは……魔法を解くことができなかったから。  高遠先生とのことを言っているのだとわかって、苦しくなった。美月センパイの声から悲しかった気持ちが伝わってきて胸が痛くなる。 「私の、せい、ですよね。私と出会わなければ、美月センパイは高遠先生に魔法を解いてもらえたんですよね」  ――……そうだね。  落とされた声が胸の針を押し込む。心臓を貫くほどの痛みが走る。でも目を逸らすことはできない。美月センパイを傷つけたのは、私だから。 「ごめん、なさい。ごめんなさい。美月センパイ」  謝罪を口にしながらも、後悔を感じていないことに気づいてしまう。美月センパイを傷つけたのに。美月センパイが高遠先生とうまくいかなくてよかったって思っている。美月センパイが好きなのに。好きだから。  ――みのりは何も悪くないよ。  うたを渡したのは美月センパイ。記憶を消したのも美月センパイ。キスを拒み続けるのも美月センパイだ。うたを受け取っているのが私なら。拒む理由はないはずなのに。 「美月センパイは、私のこと、好きじゃないんですか?」  ずっとしまっていた言葉をぶつける。答えを聞くのはこわい。今の関係が壊れてしまうかもしれない。それでも、もう聞かずにはいられない。だって私は美月センパイが好きだから。  ――好きよ。 「……だったら、どうして、キスしてくれないんですか」  みのり、とささやくような小さな声のあと、美月センパイは悲しそうな声で言った。  ――みのりにかけた魔法がもうひとつあるから。 「もうひとつ……?」  ――みのりが私を好きになる魔法。  放たれた言葉の意味をすぐには理解できない。私が美月センパイを好きになる魔法?  それじゃあ、私が美月センパイを好きなのは魔法のせい、ってこと……? 「そんな、そんなはずないです。だって、私は美月センパイが、センパイがこんなにも、好き、なのに」  涙が止まらないのも、胸が痛み続けるのも、奥で震える針も、全部、全部魔法なんて、そんなことあるわけない。これは私だけの気持ちで、私だけが感じる想いだ。  思い出したのは、美月センパイの言葉。「キスだけはしないでね。魔法が解けちゃうから」美月センパイが解きたくない魔法って。  ――魔法なんてなくてもいいの。でも、魔法を失ったら、解いてしまったら……。  美月センパイの声は震えていた。  ――みのりにかけた魔法も消えちゃうから。  美月センパイが泣いている。出会って初めて。それなのに私は慰めることも抱きしめることもできず、冷たい端末を握り続けることしかできない。  ――みのりが、好きなの。  こんなに悲しい告白があるだろうか。 「美月センパイ」  魔法が解けたら、私は美月センパイの「好きな人」だと証明される。けれど、それは同時に私にかけられた魔法を消してしまう。美月センパイが私を好きでも、私は美月センパイのことを好きではなくなってしまう。  もしも魔法が解けなかったら、美月センパイの「好きな人」は私ではなかったということで。私は美月センパイを好きなままでいられる。でも、美月センパイはそうじゃなくて……。  魔法が解けても解けなくても。私たちのキスは「別れ」を意味する。  どうして魔法なんて使ったのか。魔法なんてなくても私はきっと美月センパイを好きになったのに。  ――ごめんね。  美月センパイの声は震えていた。  美月センパイを臆病にしたのは私だ。美月センパイはこわかったのだろう。一度失敗しているから。  美月センパイはもう傷つきたくなくて、傷つけたくなくて、そうすることでしか守れなかったのだろう。  魔法は美月センパイを傷つけたけど、美月センパイ自身を守ってもいた。 「私は、美月センパイが、好きです」  たとえこの気持ちが魔法によるものだとしても。私はいま、確かに美月センパイが好きだ。  美月センパイとの電話のあと、どう過ごしたのかよく覚えていない。気づけば月曜日で、私は学校にいた。 「藤咲さん」  若宮さんに声をかけられ、今が昼休みだと遅れて理解する。机に広げていた教科書を片付け、カバンからお弁当箱を取り出す。 「なんだか元気ないみたいだけど……」  遠慮がちに言われ、いつものように笑おうとする。なんでもないよ、と。でもうまくできない。泣き腫らした跡は消え、瞼も元通りなのに。顔の筋肉が固まってしまったみたいに動かせない。心の奥に痛みが留まり続けている。ほんの少しでも気を緩めれば溢れてしまいそうだった。 「あの、よかったら、今日は別の場所で食べない?」  え、と戸惑う間もなく、立ち上がった若宮さんに手を引かれる。少しだけ冷たくて柔らかで。初めて触れる若宮さんの手はとても優しかった。  若宮さんに手を引かれるまま、廊下を進めば次第に静かになっていく。ここは、ほんの数日前に美月センパイに電話していたところだ。あの時はデートの約束を確定させたくて、それだけで頭がいっぱいだった。 「失礼します」  社会科準備室の前で足を止めると、返事を待つことなく若宮さんがドアを引く。いつもの若宮さんらしからぬ行動に驚く。そもそもどうしてこんな場所に、と質問する間もなく 「返事する前に開けるなって」  と呆れた声が返ってきた。 「まあまあ、私と豊くんの仲じゃん」 「ここでは『高遠先生』って呼べって……」  本棚の影になって見えていなかったのだろう。ソファから立ち上がった高遠先生が私の存在に気づき、目を見開く。構うことなく若宮さんは私を高遠先生の前に連れていくと 「藤咲さん。黙っててごめんね。私、高遠先生とは幼馴染なの」  振り返り、小さく笑った。少しだけ申し訳なさそうに。 「おさななじみ……」 「うん。だから、私も萱白先輩のこと、少しだけ知ってるんだ」  握られていた手にきゅっと力が入ったのが伝わってくる。 「聞きたいことがあるなら直接聞いたほうがいいよ」  それは、私のためだけの言葉ではなく、若宮さん自身の決意にも聞こえた。
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