第1章「会いたい人」

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 そのニュースがウィーンで暮らす僕の元に届いたのは就寝前だった。  生まれ故郷である日本に大きな地震が発生し、津波が沿岸部(えんがんぶ)の町を襲い甚大(じんだい)な被害が発生しているというもの。  情報が錯綜(さくそう)しているのか、ニュースを聞きながらも状況が分かりづらいほどに曖昧なものが多く、速報では最大震度は高かったものの、被害規模やどれほど死者が発生するような状況なのかもはっきりとせず、それほど深刻な状況とは思いもしなかった。  朝にニュースを再度確認したころには、悲惨な光景がテレビのモニター越しに広がり、僕はその現実の重大さを知った。  最初に気になったのは地震が発生し、被害が大きい場所のことだった。  そこは僕が四年前まで住んでいたところの近くであり、僕が再会を約束した大切な人が今も住んでいる場所だった。  僕はいつも日課にしている朝のピアノ練習を中止し、大切な人が無事であることを願って情報を集めた。 (どうか……神様、彼女が無事でありますように……)  僕は長い黒髪の彼女の姿を思い浮かべながら祈った。調べれば調べるほど伝わってくる、被害の甚大さに心を痛めながら、切なる希望を抱いて、彼女だけはどうか無事であってほしいと、心から願った。  願いが通じたのか、恩師でもあり、小学生の頃に多大なお世話をしていただいていたピアノレッスンの講師であり、教員免許を持つ桂式見(かつらしきみ)先生から、僕の捜していた四方晶子(しほうあきこ)、晶ちゃんが宮城県内の病院で入院中であることを知った。  無事であることに一安心したのも束の間、なおも暗い様子の式見先生の声から告げられたのはあまりに辛い現実でもあった。  僕はその現実を聞かされ一層心を痛めながらも、それでもいち早く病院まで出向いて彼女に会いたいと思った、直接今の自分の気持ちを伝えるために会わなければならないと思った。    だから、僕はかねてから日本のピアノコンクールに出場予定だったこともあり、予定を前倒しにして出来る限り急いで日本へと向かうことに決めた。  もちろん、すぐに会えるかは分からないけど、それでも晶ちゃんに早く会いたい衝動に駆られた。 *  僕、佐藤隆之介(さとうりゅうのすけ)は日本での震災のニュースを知ってから数日後、ウィーン国際空港に向かい、一人国際線に乗り込み、大空を飛ぶ飛行機の機内にいた。  僕は4年前、小学校卒業後、音楽留学のためにウィーンまでやって来ていた。  本格的にピアノを学ぶためだった。  自分の目指すピアニストになるため、自分の誇りのために、理想のために4年間もがき続けながらも頑張ってきたつもりだ。  4年ぶりの日本帰国、それは4年間で成長した実力を示すためピアノコンクールに出場するのと最愛の晶ちゃんこと四方晶子との幸せな再会を果たすためだった。    だけど、今、僕は不安に駆られていた。  震災は大規模な被害を広範囲にもたらし、日本中を震撼させている事実があるからだ。  そんな状況を知った後で明るい気持ちになれるわけもなく、ただ、せめて元気な姿の晶ちゃんに会えればと、そう願わずにはいられなかった。  でも、現実は甘くなかった。  式見先生の話しでは晶ちゃんは今、病院で入院している。  生還をしたとはいえ、震災の被害にあってしまったのだ。  先生から晶ちゃんの容体を聞くだけでも心が締め付けられるような心境であった。だから会うのが本音では怖くもある。  4年という歳月だけでなく、こんなタイミングで会うことになったことは辛く苦しい。だけど、だからといって今、会いに行かない理由にはならない。こんな時だからこそ、会いたいのだ。  会って、何かこんな自分でも助けになることを見つけたいのだ。  長い一人きりの飛行機の中で、僕は再会の時への焦燥感と向き合うのに疲れ、現実逃避するように目を閉じて、ゆっくりとまどろみの中へと向かい、意識を閉じていった。
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