三 家族

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三 家族

「あなた、そろそろ事情をお話して下さいますか」 「園子の事か。これは絶対、誰にも言うな」 大原家の居間にて彼は葉巻を吸いながら話した。 事業に失敗し負債がある事、それの返済を九条亜佐比が担ってくれたことを淡々と話した。 「金はすぐに返す目途がある。しかし一次的に九条さんが立て替えてくれた形になるのだ」 「私が聞いているのはそれではありません。園子と婚約する話です」 「……九条さんからの申し出だったのだ」 彼は部屋の洋酒を小さなグラスに注いだ。 「彼は独身だが、今までの彼の婚約者達はみな事件に巻き込まれて、婚約破棄になっているそうだ」 「初めて聞く話ですね」 「彼としては醜聞だろし、相手のお嬢さんがいる話だしな。しかし、彼もいつまでも独り身でいられないのでね。今、秘密警察の警護があるうちに身代わりに誰かと婚約をして、犯人を捜したいということだったのだよ」 「それで園子を?」 「ああ」 彼は一気に酒を飲んだ。 「酒の席の話だったんだ……亜佐比君は協力してくれる女性がいないというのを私は聞いていたんだ。その流れでうちの娘となってしまって」 「そうでしたか」 そんな彼は妻にも酒を進めた。 「私は冗談だと思ったのだ。勉強ばかりで夜会も行っていない地味な娘だと言っていたのに、亜佐比君はそれがいいと言い出して」 亜佐比に金を出してもらっている立場の彼はこれを断ることはできなかったと話した。 「では園子は事件を解決したら、婚約は破棄になってここに戻ってくるのですか」 「そうなるな……しかし、犯人が捕まるかどうか」 「捕まりますよ」 「え」 彼女は一気に酒を飲んだ。 「悔しいですが……あの子はそういう子です。でもあなた、品子には何て言いますか」 「そのままにしておきなさい。『夜会で園子が見初められ九条家に行った』と。話が漏れたら全てが台無しになるし、どうせ夏の終わりには出戻りだ」 「わかりました……」 事情をす全て飲み込んだように彼女は息を吐いた。 ◇◇◇ 「母上。紹介します。大原園子さんです」 「皆様初めまして。大原園子と申します」 正午の九条屋敷の応接間は光が射し、飾られた花の匂いがしていた。この空気の中、挨拶した亜佐比と園子に彼女達は食いついた。 「亜佐比さん、これは一体どういうことですか」 「お兄様、凪子は認めません」 亜佐比の母の九条夫人は白いドレスで夜会巻姿できつく睨んだ。妹の凪子は桃色のドレスで長い髪を怒りで揺らし、園子を強烈に詰って来た。 「おっと。母上、それに凪子(なぎこ)。そんなことはありません……徳磨」 「はい。私からご紹介します」 呼ばれた徳磨は亜佐比に代わって園子の説明をした。 「園子様は大原家のご長女で、名門女学院で学年代表をされていました。成績優秀なのはもちろんの事。お琴もお得意であらせられ、生け花は師範の免状をお持ちの方です」 徳磨の説明が流れている光の部屋で、九条家の人々は園子をじっと見ていた。 ……そうよね。いきなりやって来たんですもの。 受け入れてもらえるはずはないと、園子も思っていたが亜佐比は微笑んで彼女の肩を抱いた。 「母上。私は夜会にて園子さんに一目ぼれをしたのです」 「お前はそう言いますが、九条家にお嫁に来る人ですよ?もっと事前に相談するなり、人選を吟味すべきです」 「私もお母様と同感です。こんな人、認めるわけにはいかないわ」 「参ったな……」 「あの。お話をしてよろしいですか」 「いいよ」 亜佐比の許可を得た園子は一同に向かった。 「私も皆様と同じ意見です」 え、と一同は驚いた。しかし園子は真剣だった。 「急にやってきて本当に申し訳ございません。確かに私などは、立派な亜佐比様の婚約者としてふさわしくありません」 必死の園子の話を一同は聞いていた。 「ですが、こんな私に声を掛けて下さった亜佐比様のために、これから努力したいと思います」 園子の話に隣に立つ亜佐比は腕を組みうんうんと頷いた。しかし九条夫人が嚙みついた。 「伺いますが、あなたは、今、自分は亜佐比に相応しくないと仰ったわね。でしたら諦めてお帰りになられたらいかが?」 「……それはできません。亜佐比様のご厚意を裏切ることになりますので」 園子の話に亜佐比は素晴らしいと音無しの拍手をした。これに妹の凪子が歯向かった。 「園子さんとおっしゃったわね。あなた。お兄様の事を詳しくご存じなの?」 「存じません」 え、とまた一同は驚いた。 「ですので、知りたいと思います。これから勉強してまいります」 「ちょっといいかな」 亜佐比は母と妹に向かった。 「とにかく。園子にはこの屋敷で花嫁修業をしてもらう。結婚についてはゆっくり決めていきます。僕も園子の事を知りたいからね」 ね?と亜佐比は笑みをたっぷりで園子に首を傾げた。園子ははいと真顔で頷いた。 「あなたは全く」 「お兄様」 「話は以上です。ではそのように」 こうして甘い顔の亜佐比の言葉で話しは終わった。 その後の昼食、亜佐比は和やかに話を振るが、女性三人は静まり返っていた。気まずかったのか彼は早々に食事を終えると、仕事と称して退室してしまった。 「園子さん。食後に話があります。私の部屋に来てください」 「はい、奥様」 威圧感ただならぬ九条夫人に呼び出された園子は、指示されて部屋にやってきた。 「失礼いたします」 「お入りなさい」 夫人の部屋は豪華だった。陶器の洋人形が陳列され園子は思わず目を奪われそうになった。 「お座りなさい。亜佐比はああ言っていますが、あなたに聞きたいことがあります」 「はい」 夫人は亜佐比に会ったのは夜会だというのが本当なのか。そして園子も本気で婚約するつもりなのか確認してきた。 「はい。これから学んで参ります」 「あなたね……どういう事がおわかりなのですか。亜佐比は九条家の当主です。あなたの考えているような簡単な立場ではありません」 「重々承知しております」 「これは言うまいと思っていましたが」 夫人は今までの婚約者が何者かに襲われる事件が起こっていたと話した。 「亜佐比はそれほど人気者です。あなたも被害に遭われますよ」 「……奥様は、私を心配してくださっているのですね」 「え」 園子は繁々と夫人を見つめた。 「それに。奥様のおっしゃる通り、私は九条家にはふさわしくないと思います。ですが亜佐比様から申し出がありましたので、努力だけさせていただきたく思います」 「努力だけ、とは」 「奥様。この婚約は私からお断わりすることはできません。そして私はこれから花嫁修業をさせていただきますので、その結果を見て亜佐比様との今後を決めていただけないでしょうか」 ……奥様は、亜佐比様を心から心配しているのだわ。 こんな自分ではそれも仕方がないと園子は思ったが作戦のために、そう話した。 「では……修行の結果を見て判断せよ、という事ですね」 「はい」 「その時。私が結婚を認めないと言ったら、あなたは諦めるのですね」 「はい」 ……きっとお認めにならないし。事件も解決しているでしょう。 「その時は出て行きます」 「わかりました。亜佐比の意向もあるのでそうしましょう」 「はい」 ここで夫人がベルを鳴らすと部屋に女中が入ってきた。 「彼女は女中頭(じょちゅうかしら)の山下です。山下。彼女に例の物を」 「はい。奥様」 山下は園子に女中の服を差し出した。園子は受け取り夫人を見た。 「あなたはこの家の事を何も知らないので、女中の仕事を用意しました。仕事を通じて屋敷の事を学ぶように」 「はい。奥様」 「それ以外にも。教師を付けた座学があります。それらも受けるように」 「はい。奥様。ありがとうございます」 「あ、ありがとう?」 頭を下げた園子に夫人は驚いた。 「山下さんもどうぞよろしくお願いします。精一杯努めさせていただきます」 胸に女中服を抱き真剣な園子に、九条夫人は額の汗を拭っていた。 ◇◇ 「あなたが今度の婚約者……こんな娘が」 「え?聞えませんでしたが」 女中服に着替えた園子は山下と廊下を歩きだした。彼女の低い声が聞こえなかった園子は聞き返したが、彼女は前を見たままだった。 「まず、屋敷内を案内します」 「は、はい」 能面のような顔の山下は冷たくそういうと淡々と説明をした。広い屋敷は増設のため迷宮のように複雑になっていた。 「あなたには明日から掃除、洗濯。それは庭もあります。それをしていただきます」 「はい。それと山下さん。この屋敷の人は何人おいでになるのですか?通いの人もいるのですか」 ……まず。屋敷の人を覚えないといけないわ。 山下の返事を園子は案内を受けながら覚えて行った。 「ところで園子さん。この案内が終わったら、ご自分の部屋に戻って下さいますか?お部屋に今後の予定表を届けますので」 「はい」 「あら、この部屋の鍵が空いていますね」 使用されていないと思われる部屋の鍵が空いていた。山下は施錠しないといけないと言い出した。 「私はこの鍵を取って参ります。あなたはここでお待ち下さい」 「わかりました」 廊下には山下の足音が響いた。やがて聞こえなくなったが、山下はなかなか戻ってこなかった。園子は言われるまま待っていたが、山下が戻る気配はなかった。 ……忘れてしまったのかしら。これ以上は待っても仕方ないわ。 迷宮のような屋敷の奥はだんだん薄暗くなってきていた。園子は自力で戻ることにした。 ……ええと。白いドアを左に、そして傷がある板間、あ、ここよ。 園子は来た通路を間違いなく戻って来た。迷宮のような廊下は古く薄暗かったが、すべてを覚えていた園子は難なく進んでいた。しかし途中のドアが開かなかった。 ……鍵がかかっている……おかしいな。どうしよう。 するとドアの向こうでは女中達の話声がした。 「すみません!ここを開けて下さい、お願い!」 しかし。反応は無く、むしろ声は消えて人の気配が消えてしまった。 ……だめだわ、ここは開けてもらえないわ。 迷路に閉じ込められた園子は、思わず床にへたり込んだその時、料理の匂いがした。 ……ここは増築したって言っていたし。もしかして。 目をつむり園子は屋敷の外観を思い出していた。そして今、いる場所を検討付けた。 元来た通路を戻った園子は、まだ踏み入れていない真っ暗な廊下を匂いを頼りに手探りで進んだ。 ……行き止まり。いや。このすき間から風が来る。 行き止まりの廊下の奥、この先が出口であるはずだが、押しても引いても開かなかった。この時、園子は戸を引き上げてみた。 「まあこんな簡単に開くなんて……あ。ここは」 そこは料理場の奥の貯蔵庫だった。野菜が山盛りの部屋には料理人が働いていた。 「お。新人さんかい?そこで何をしているのかね」 「すみません。お屋敷の中で迷子になりかけてしまって」 「ははは。ここは迷路みたいだからね。はい。これをあげるから食事まで我慢してなさい」 料理人はそう笑うと園子に枇杷(びわ)を三つくれた。彼らに謝りながらも明るい部屋にほっとしながらも園子は自室に戻ることができた。 ◇◇◇ 「奥様。例の廊下に案内してきました」 「ご苦労。それで?様子はどうですか」 女中頭の山下は嬉しそうに九条夫人に説明した。 「はい。何も書き記しておりませんでしたし、あの廊下から自力で出るのは無理だと思います」 「ほほほ。今までひと晩あそこで過ごした女中もいましたものね」 九条夫人は笑みを浮かべ紅茶を飲んだ。 「あんな娘がこの九条家の嫁など……笑わせないで頂戴」 「当然でございます。さて、私はあの娘の部屋に書類を置いて参りますね」 山下は報告を終えると手に書類を持ち園子の部屋に向かった。 ……ふふふ。この次はあの娘に『勝手に姿を消し修業を放棄した』として、庭の草刈りでもさせましょうか。 黒い笑みを称えた山下は、ノックもせずに園子の部屋の扉を開けた。 「あら?山下さん、先ほどは案内をありがとうございました」 「え」 椅子に座り何事もなく過ごしていた園子に、山下はびっくりした。 「い、いつお戻りでしたか?」 「ついさっきです。お忙しい中すみませんでしたね」 「……いや、その。あ、戻るのは大変ではありませんでしたか」 ……やっぱり。故意的だったのね。 「いいえ。山下さんの説明がわかりやすかったので、助かりました」 「そ、そうですか」 山下はそそくさと退室した。園子は夕食まで待機と言われたため、部屋で鉛筆を持っていた。 ……朝の当番は、東側の建物から時計回りに鍵を開ける、と。夜の当番はその施錠。第一水曜日に雨どいの草を取り除くっと。 山下が話した花嫁修業という名の家事を、園子は思い出し記録していた。 「園子、いるかい」 「はい、どうぞ」 「ん。どうして女中の恰好なんかしているの」 部屋に入って来た不思議そうな亜佐比に、園子は手を止めて説明をした。 「お屋敷を知るためだそうです。確かにそうですよね」 「女中をやるのかい……それにしても」 地味な園子であるが、品よく見えていた。亜佐比は肩で息を吐いた。 「無理しないでいいからね。まだこれからなんだから……ところで、それはどうしたの」 「枇杷ですか。いただいたんです。どうぞ」 すると亜佐比は園子を誘い、一緒に長椅子に座った。 「食べさせてもらおうかな。女中の仕事のはずだし」 「……そうですね。お待ちください」 足を組む彼を横にし、園子は必死に枇杷の皮を剥いた。 「さ、どうぞ」 「口に入れて……ん、味が薄いな」 もぐもぐ食べる亜佐比は園子に肩をぶつけた。 「園子も食べてごらんよ」 「はい。では……」 「ね?」 園子は首を横に振った。 「私のは甘いです……みずみずしくて美味しいです。最後の一つも小さいけれど甘そうですよ」 「食べる!」 「お待ちくださいね」 「園子さん失礼します……あ!ここにいたんですね」 亜佐比を屋敷中探していた徳磨は、まさかここにいるなんて、という顔で扉を開けて入って来た。大股で汗だくで入って来た徳磨は、目の前ではのんきに園子と一緒にいる様子に眉間に皺を寄せた。 「まだ書類の確認が残っています!さあ、早く戻って」 「園子、早く!」 「……どうぞ!」 「うん。美味っ。これ最高……」 亜佐比は園子を急かして枇杷を剝かせ、口に入れさせた。徳磨はそんな亜佐比の前で腕を組み、睨みを利かせていた。 「おかしいですね。仲良くするのは人前だけのはずですが」 徳磨の嫌味の前で亜佐比は余裕で枇杷の種を口から出し、園子にはい、と渡した。 「これは予行練習だよ。いきなりだと園子が困るだろう?では。園子。またね」 ほらほらと徳磨に腕を引かれる亜佐比を見て、園子も立ち上がりそっと会釈した。 「はい。私も頑張ります。亜佐比様もどうぞお体に無理なく」 「聞いたか?徳磨、園子が無理しないでって言ってるぞ」 「書類の確認は無理ではありません!さささ。園子さんこそ無理なくお願いしますよ」 「はい」 徳磨に引かれながら亜佐比は園子を振り返り手を振った。そんな二人に園子は思わず笑みで見送った。 ……賑やかなお方。それに猫みたい。男性って皆さん、ああいうものなのかしら。 男性と言うものを全く知らない園子は、亜佐比の相手をするのにドキドキしていた。 ……でも知らなかったわ。恋人同士の場合、男性にああやって食べさせてあげるのね。 この婚約者のふりに慣れなくてはいけないと、園子は自分に言い聞かせるようにうなづいていた。 窓の外は夕暮れで部屋は枇杷の色に染まっていた。これから始まる九条家の生活は不安であったが、園子の心は夕日のように穏やかだった。 三話 「家族」完
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