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私たちの出逢いは、本当に唐突だった。
「──私、あなたと仲良くなりたい」
「…………えっ、と……俺のこと?」
──これは、人間の女の子と幽霊の男の子の、ひとつの物語。
◇◆◇◆◇
「行ってきまーす」
とある金曜日の朝、私はちょうどいい時間に家を出た。……と思ってた。
信号待ちのときにスマホで時間を確認したら、かなり時間に余裕がなかった。
ひえーってなりながら自転車にまたがって駅まで疾走して、ギリギリで電車に乗り込んで。
いつもの如くドアの前に立って、スマホを確認する。
ラインライン~、と呟きながら開くと、案の定友達──心愛からのメッセージが届いていた。
『みあ』と表示された欄を表示すると。
『ほまれー、今日はだいじょぶそー?』
『うん、ギリ電車なう~✌️』
届いていたメッセージに、軽く返す。
私がいつもギリギリになりがちだからか、気づいたら毎朝確認のLINEが届くようになっていた。
そのあとも無事に学校に着いて、机にとすっと鞄を置くと、私よりも先に来ていた心愛が私の元へ来た。
「穂希おはー」
「心愛、おはよ。今日は大丈夫だったでしょ?」
「ねーよかったー! はぁあ、いい加減穂希も私みたいに朝早く出ればいーのにー」
「だから朝は苦手なんだって」
ふたりで楽しく笑いながら、私は鞄を片付ける。
「ねー朝のめざまし○レビ見たー?」
「見た見たー! ち○かわ可愛かったぁ~!」
「ねー!」
盛り上がるのは大体朝のニュース番組。
「──あっ、二条くん。これ落としたよ」
机の横を歩いていた二条くんのポケットに入っていた鍵が落ちたのを見て、反射的に拾う。
差し出したら、友達と仲良く話していた二条くんは驚いたように振り返った。
「……っおう、ありがと」
二条くんは軽く礼を言うと、くるりと身体の向きを変えて仲間の方に戻る。
そのあとも話していると、気づけばホームルームの時間になっていて。
慌ててクラスメイトのほとんどが席に戻ると、先生がホームルームを始めたのだった。
◇◆◇
柊穂希。それが私の名前。
自分で言うのもあれだけど、今年から高校デビューした初々しさ? 満載の女子高生。といっても、もう秋なんだけどね。
入学したのは東花園高校。創立して70年は経っている歴史ある学校だ。
仲良しの友達は桃川心愛っていう子で、中学からの友達。
部活は特に所属してないけど、いつも心愛とカフェとか公園で話してるから、帰りは遅め。
この日の学校も特にこれといった出来事はない、普通の日。
せめていうなら、金曜日だラッキー! ってくらいかなぁ。
でもその帰り。
普通じゃない、不思議な“出会い”があったんだ──。
◇◆◇
1日の学校も終わり、私は心愛と学校から自宅の最寄り駅まで帰ってきた。
心愛とは中学が同じだったから、ここまで一緒なんだ。心愛は、朝は吹奏楽部の友達と来てるみたいだから別だけど。
とはいってもそんな近いわけじゃないから、途中で別れる。
自転車で真っ暗な夜道を自転車で走って、ただ家を目指す。
そのときだった。
街灯の光が照らすところに。
──ふと、ひとりの男の子を見かけた。
閑静な町の道路に佇む彼は、とても寂しそうに見えた。
不思議なことに彼の足元は透けていて、コンクリートの地面が見えてしまう。
(どういう……こと……?)
突然のことに、私はしばし戸惑った。
あの子は何? 幽霊? でもそんなわけ……。そういう布を掛けてるだけ? しょうもないいたずらってこと? そんな面倒臭いこと、誰がするの?
疑問はただ積み重ねられていくばかり。
でもその瞳を見たら、…………自然と、私の口は開いた。
「──私、あなたと仲良くなりたい」
「…………えっ、と……俺のこと?」
私が声を掛けると、男の子は驚いたようにこちらを見た。
目には驚愕の色。まるで、久しぶりに誰かに話しかけられたような……。
「わ、私、柊穂希っていうの。あなたは?」
「……椛乃。椛乃聖」
驚きながら答えてくれる彼──椛乃聖くんはきっと優しいのだと、私は予想する。
聖くんは、なぜか真っ白な髪の毛の色をしていて、幻想的に見える。
瞳は私と同じように黒。というよりかは、少しだけ茶色が混ざった感じ。
「聖くん、でいいんだよね。聖くんの髪の毛、白くて綺麗」
「……俺はこの色、好きじゃないけど。白髪みたいだし」
会話を続けてくれる聖くん。
けれど、どうやら私は聖くんの嫌がっていることを話題にしてしまったみたい。
「……っでも、私の名字の柊って、冬に白い花をつけるんだって。聖くんの髪の色にぴったり」
焦りながらもそう言えば、聖くんは初めて少し笑った。
「俺の椛も、オレンジ色だから。茶色が強い君の髪色に、似てる」
淡々とした口調だけど、それだけで聖くんの優しさは十分に伝わった。
私は、にっと笑う。
「じゃあ私たち、きっと運命だね!」
聖くんは少しだけ目を見開いたけど、すぐに笑って頷いた。
その顔はとても優しげで、先程の表情が嘘のようだ。
……そこで、私ははっとした。
「仲良くなりたいっていったけど、どうしよう。聖くんは……」
帰る家、ある? と訊こうとしてやめた。
この時間にひとりだなんて、絶対ワケアリだもん、そんな無神経なことは言わない。
予想どうりというか聖くんは深く俯いて沈黙してしまう。
ぱちん、と音が響いた。
「いる場所がないなら、私の家においで! 聖くんひとりなら匿える……? と思うし」
「………………いい、の?」
「もちろん」
私は即答する。
彼のことは全く分からないけど、悪い人じゃないのは確かだからというのもある。
でもそれ以上に、私が放っておきたくなかったから。
「こっちだよ。すぐ近く」
聖くんを連れたいつもの道は、どこか知らない道に見えた。
◇◆◇
「ここが私の家。親は共働きだから、昼に家にいることは少ないかな」
家に着いて自転車を停めるのと同時に、聖くんに説明する。
この時間は親は家にいるけど、リビングから玄関が見えることはないから大丈夫。
鍵を開けると目の前に廊下、そして右側にある扉の向こうがリビングだ。
「ただいま」
「ん、おかえりー」
「おかえり、穂希」
扉を開けて顔だけを出して、お父さんとお母さんに声を掛ける。
すぐに扉を閉めて荷物を2階に持っていくのはいつものこと。
そういえば聖くんは、普通に歩くけど足がないのに変わりはないから足音はないみたい。それならそれでバレる心配がなくていいけど。
「私の部屋はここ。普段は学校にいるから、好きにくつろいでていいよ」
「……うん、ありがとう」
一通り部屋の説明を終えた私は、お風呂に入ったり歯磨きをしたりするために、下へと降りていった。
◇◆◇
次に私が戻ってきたのは寝るちょっと前だった。
聖くんはどうしてるかなって思ったら、カーペットの上にちょこんと座っていた。
もう少しくつろいでくれるかなーって思っていた私は少し拍子抜け。
「ずっと座ってたの? 本とか読んでもらってても良かったのに」
声を掛けると、聖くんは苦笑いした。
「少し、申し訳なくて。勝手するのは罪悪感がというか、なんというか」
「気にしなくていいのに」
しかし口先では簡単でも、実際は難しいのは容易に想像が出来ることだ。
仕方ないのは分かっているけど、ちょうど良さそうな本を一冊手に取って聖くんの横に座った。
「…………ん、それ……知ってる」
聖くんが見て呟いたのは、ハリー・ポ○ターの本だった。
あまり本を読むようなタイプではないけど、いつかの誕生日プレゼントでもらった本。
これなら誰でも知ってるだろうから、丁度いい。
「一緒に読もうよ。私、こういうの長すぎて眠くなっちゃうんだけど、聖くんとなら読めそう」
「……うん、俺も。いつも読みきれないけど……」
言い淀んだ聖くんは、身体の向きを変えると私を見つめた。
「穂希ちゃんとなら、読める気がする」
「………………っ?」
突然のことに、私は反応が遅れる。
初めて名前を呼んでくれた。
穂希ちゃんって、言ってくれた。
些細なことかもしれないけど、私は……舞い上がりそうなほどに、嬉しかった。
「そうだ。せっかくだから、穂希って呼んで! ちゃん付けとかくん付けとか、やめようよ。ね? 聖」
「……うん。穂希」
少し照れたのか、頬と耳を赤くした聖は本に視線を戻す。私も本を見た。
でも……どうしてだろう?
自然と胸はドキドキしていて、手を当てた頬はとても熱かった。
◇◆◇◆◇
次の日は土曜日。親はふたりで出掛けるといっていたので、私(と聖)はお留守番。
せっかくなので、聖とテレビやらゲームやらで楽しく遊ぼうと思っている。
「聖く……聖は何か気になるもの、ある?」
うーんと悩んだ聖の視線は、とあるものを捉えた瞬間に動きが止まった。
視線を辿っていくと、そこには。
「……ゲームにしよっか。色々あるんだよ」
「っ、うん」
私がそう決めれば、聖は嬉しそう~~~に顔を綻ばせた。
電源をつけると、ゲームの選択画面が映る。それらを聖は珍しそうに見ていた。
「何か気になるのはある? 私はどれでもいいよ」
ここ数時間で聖の性格は大体把握していた。
たぶん、聖は何かをするときにどうしても遠慮してしまう。昨日なかなかくつろいでくれなかったのが証拠だ。
それなら、はっきりと私の意思を伝えればいい。
私の「どれでもいい」を聞いた聖は、たくさんのゲームからひとつ選ぼうとしている。
「じゃあ、……これ。これがいいな」
聖が指を指したのは、テ○リスだった。カラフルな画面に惹かれたのだろうか。
「りょーかい。ルールは分かる?」
「……ううん、分かんない……」
「じゃあ一緒にやりながら説明するね。大丈夫、簡単だよ!」
こくりと頷いた聖は画面に視線を戻した。
それを確認した私はテト○スを開く。お馴染みの画面。(テトリ○、スイッチのやつ分かんないので違ったら申し訳ないです…((なぜ選んだ)
軽快な音楽と共にスタート画面に切り替わる。
サクサクとブロックを消していく私の手元を、聖は凝視だ。手元が鈍りそう。
ずっと続けているとキリがないので、適当なところで終わらせることにした。……自慢じゃないよ。
「ざっとこんな感じ。ここで回転、移動、落とす。でラインを消すだけ」
「うん、分かった。やってみる……」
ニューゲームのボタンを押してゲーム機を聖にバトンタッチ。
最初はコントロールに苦戦していた様子だったけど、慣れてきてからはサクサクと消していく。
途中でアドバイスをしたところもあるけど、もしかしたら私より上手いかも……? 少しだけ悲しい。
でも聖本人はすっごい楽しそうで、……なんか憎めないなぁ。
「聖、上手だね! 初心者でこれはすごいよー!」
休憩と言って一度終わらせた聖に、私は称賛の声をあげる。だってほんとにすごいもん。
「あ、ありがとう。…………でも、穂希のアドバイスが良かったからっていうのも……ある、と思う」
こちらに屈託ない笑顔を向けた聖は、私と同じくらいの年齢っぽさが滲み出ている。
その笑顔に、どうしてか私の胸の鼓動は、高鳴りが収まらなかった。
「穂希?」
「あっ、うん! どうしたの?」
「他のゲームもやりたいなって」
「いいよ」と言って、ホームに戻る。
聖がまた画面を見ている傍らで、私は思う。
(私、聖の年齢も、正体……も分からない)
でも、それと同時に。
(聖が楽しそうなら、それでいっか)
頬杖をついて聖の楽しそうな顔が見れるのならと。
さらに、ふとすれば心配とはまた違う、別の感情が溢れてしまいそうな気がして。
私は、聖への思いに蓋をした。
◇◆◇◆◇
日曜日。
起床、朝食を済ませた私は、自室の机に向かい合って唸っていた。
眼前に広がるは数学の教科書とノート。
「んー…………。寝よ」
「ほ、穂希っ! 寝ちゃダメ……!」
すぅーっと近づいてきていた聖に鋭いツッコミを入れられる。ごもっともです。
しかしこのまま目を開けていても、数学のわけわからん数式を理解できる気がしない。
どうしたもんかなー、と天井を見上げると。
ばちんと、聖と目があった。
聖はどこか困ったように目線を彷徨わせたあとに、ぽつりと呟いた。
「俺でよければ、教える……けど」
その言葉を聞いた私は、超高速で椅子から降りて土下座をした。
えぇっ!? て声が聞こえたような気がするけど、気にしない。
「お、教えてください聖先生っ!!」
下には親がいるから控えめだけど、私の渾身の叫びは聖に届いたらしい。
心優しい彼は、しゃがみこんで私を起き上がらせる。
……でもどこか、触れられたところが、頬が、耳が、……熱くなる。
「わ、分かったから。ほら、机に……」
「ゔぁー……」
机に向かうだけで、なぜか呻き声が漏れる。
そんな私を苦笑して見つめる聖だけど、横から教えてくれる体勢に入ってる。さすが先生。
「どこが分からないの?」
「えっとねー、ここと、ここと、こことここと……」
「お、多くない?」
「ごもっともです。」
さすがに驚いた様子の聖に、私は即頷く。私的にもちょっと多すぎるな、とは思う。
いきなり、聖が私に覆い被さった。
「え、ひ、聖っ?」
「横から見るより、見やすいと思って」
本当の本当にいきなりすぎて耳を赤く染める私に対して、聖はただの親切心だったようだ。
当たり前といっちゃあ当たり前なのに……。
…………どうして私は、少しがっかりしてるんだろう?
「じゃあ、まずはここだね。えっと、ここは……」
聖の説明は分かりやすかった。
でも、いまいち内容は頭に入ってこなかった。
◇◆◇◆◇
次の月曜日、私は自転車を漕いでいた。全速力ではない。時間にも余裕がある。
その理由は、もちろん聖だ。
前日に学校に行く時間を訊かれて、何気なく答えていた。
その時間を聖は覚えてくれていたらしく、今日は聖の声で目が覚めた。
お陰で焦ることもなく、無事に家を出ることが出来たのだ。
(聖には感謝してもしきれないや)
心のなかで手を合わせる。南無南無。
そのまま順調に電車に乗ってラインを開く。いつもより早いからか、心愛からのメッセージはまだ届いてない。
『電車なう!私すごくない?ねえすごくない??』
メッセージを送ろうとしていたのか、即座に既読がついて返信がある。
『えっ、どしたん早っ……すごいわw』
『どぉもw』
くすりと笑いながら、スマホの電源を切る。どうせ学校に着いたら消すからね。
間もなく学校に着いて下駄箱にローファーを置こうとして、手が止まった。
目線の先には、白い手紙みたいなもの。
(ら、ラブレター……? ま、まさかね)
ほんのちょっぴりドキドキしつつ手紙を取り出して開く。
そこには、短い文字が2行だけ並んでいた。
『柊さんへ
今日の放課後に、旧校舎にある3年1組の教室に来てください』
柊さん。
どう考えても私宛て。
でも差出人の名前は、この手紙には書かれていない。知りたければ来いということなのだろうか。
悪戯かもしれない。それどころか、なんらかの罰ゲームという可能性だって拭いきれない。
……どうしよう?
◇◆◇
1日の授業が終わって、ホームルームも終わった。
さようならと言って教室を出る人、部活に向かう人、ジャージに着替える人と様々。
そんな中で、私は机の前で立ったまま微動だにしていなかった。
「穂希? どしたの?」
「心愛……」
親友がひょいっと私の顔を覗く。
その背中にはスクールバッグがちょこん。もう帰る気は満々のようだ。
心愛に、私は手を合わせた。
「ごめん、今日は先帰ってて!」
「んー、いいよー」
理由は深く聞かずに、心愛は頷いてくれる。きっと用事か何かでもあると思ったのだろう。
ほんとにいい友達だな、と思う。
ばいばい、と手を振って、心愛の姿は扉の向こうに消える。
それを確認した私も、スクールバッグを背負って教室を後にした。
この6ヶ月で大分歩き慣れてきた廊下の途中で、私は歩く方向を変えた。
(これは差出人が知りたいのと悪戯とか罰ゲームとかじゃないことが確かめたいだけで、別に他意はないから……)
誰に言うでもなく謎に言い訳をしつつ、進む足は早めになる。
東花園高校は歴史が古く、1度校舎が新しく建て替えられたのだそうだ。確か、創立して50年目くらいだったかな? つまり、今から20年前。
私達が普段生活しているのは新しい方の北校舎。古い方を使い続けるわけがないから当たり前だけど。
特別教室がたくさん並ぶ南校舎は損傷はそう激しくないということで、引き続き使われている。塗装は大分剥がれてきてたみたいだから、外観だけは工事したらしいけど。
特に規制があるわけではないから肝試し感覚で行く人もいるみたいだけど、私は行ったことがない。
やがて、旧校舎と今の北校舎を結ぶ渡り廊下を渡る。
もう電気が通っていない旧校舎に、1歩目を踏み出した。
明かりの付いていない校舎の中は、思ったよりも暗い。そう感じるのは、明るい北校舎に慣れているせいなのかもしれないけど。
板はギシギシと鳴って、来訪者が来たことを隠そうとはしてくれない。
手紙を入れた人物は、もし本当にいるのだとしたら私に気づいてしまうだろう。
まあ仕方ないか、と思いながら、3年1組の教室の前に立つ。
ガラリ、ギシギシ、と音を立てて扉は開く。
果たして、教室の中には机の上に座るクラスメイトの男の子の姿があった。
「…………っ二条、くん?」
「柊さん。来てくれたんだ」
ぱっと振り返ると同時、男の子──二条くんの茶髪がふわりと浮いた。差し込む日射しに照らされた左耳は、ほんのばかり、赤い。
私を見てにこりと笑う彼は、どうにも悪戯や罰ゲームでこの場にいるようには見えない。
──二条壮馬くん。
私の出席番号より1つ前で、班活動をするときによく話したりした記憶はある。
でもそれ以外で話した記憶はあまりないし、ましてや好意を持たれるようなことをした記憶は……──。
「俺さ」
ぐるぐる考えていると、二条くんが口を開いた。
「柊さんの、優しいところ、……好きなんだ」
どストレートな告白に、二条くん自身も、私も赤面する。
それでも二条くんは話すのをやめない。
「柊さんにそのつもりはなかったんだろうけど、いつもすっごく優しくてさ」
二条くんは、机から降りた。
視線は、まっすぐ私に向けている。
「すぐに笑顔になるのも、また可愛くてさ」
1歩、二条くんは歩みを寄せた。
私は動けない。びっくりしすぎて、瞬きすらも忘れてしまいそう。
「柊さんは、どう? 俺のこと、少なくとも視野に入ってたりする?」
また1歩、近づいてくる。その瞳は潤んでいて、まるで拒絶されるのを怖がっているような。
私はまだ動けない。
「……好きだよ。好きです、柊さん」
二条くんは普段は、どちらかというと休み時間に男子同士で騒いでるタイプ。
しょっちゅうふざけあってて、度が過ぎると先生に怒られてる。
いつも、友達と笑いあっている二条くん。
(こんな真剣な表情、見たことない……)
テストのときでも、そんな表情はしてなかったと思う。
それだけ私を好きだと、伝わってくる。
「良かったら、……俺と、付き合って欲しい」
気がつけば、二条くんは私の目の前に立っていた。
離れたところからしか見たことがない二条くんの身長は高くて、自然と見上げる形になる。
「えっと、その……」
頭の整理が追い付かないみたいで、私は口ごもる。
付き合って、いいのかな。
私は、付き合いたいのかな。二条くんと?
(……違う、ような)
ぱっと頭に浮かぶのは、聖の顔。
困ったような顔、呆れたような顔、でもやっぱり、笑った顔。
ここ3日間で、私はたくさんの聖の表情を見てきたんだなあと思う。
そして、その様々な表情に、惹かれて……。
…………だから、私は、聖のことが──。
「だめ? 俺がタイプじゃない? 他に好きな人がいるとか?」
「えっ」
言おうと思った訳じゃないのに、そんな声が漏れる。
好きな人がいる、というのに反応したと思ったのか、二条くんは悲しげにそっぽを向いた。
「それってさ、誰? 言わなくてもいいけど、この学校の奴? クラスメイト?」
「ええと…………その、」
違う。クラスメイトでも、この学校の人ですらない。
でもそういえば……聖って、幽霊、なんだっけ?
学校とか、行ってないのかな。
誕生日とか、いつなのかな。
出身地は、どこなのかな。
髪の毛は白いけど、日本人なのかな。
思えば、私は聖のことを何も知らない。名前しか知らない。
何も言えなくて俯いていると。
あっ、という二条くんの声が耳に届いた。
近くにあった机に手を置いたら、机がひっくり返ったみたい。
がたん、と大きな音を立てて机が倒れた。近くには、尻餅をついた二条くん。
考えるより前に、動いていた。
「だ、大丈夫っ?」
「うん…………っ、痛ぇ」
支えてあげると、二条くんは立ち上がった。けど痛みが走ったのか、バランスを崩しかけた。
お尻というより腰を痛めたみたいで、しきりに腰を擦る姿はおじいちゃんみたい。
二条くんから離れて、倒れた机を起こそうとして机の中に視線がいった。
教科書かな? 2枚くらい置いてあって、重心が偏ってたから元々不安定だったのかも。
何気なく教科書を手に取って、名前を確認する。
……果たして、そこには。
『東花園高校 3年1組 椛野 聖』
(…………っ、嘘。聖?)
文字は少し汚いけれど、読むには全然問題ない程度。
でもそれ以上に、馴染みのある名前に私は硬直する。
「どうかした? 柊さん」
大分痛みはましになったみたいで、横からひょっこりと二条くんが覗く。
「もみじの……なにこれ、なんて読むんだ? せい?」
「…………」
違う、これはひじり。ひじりって読むの。
なんて言えるわけもなくて、ただ私は、その名前を見つめる。
(聖も、東花園高校生だった、のかな)
問うにしても、本人はこの場にいない。
「ねえ、どうしたって。これ、知り合い? もしかして、その好きな人?」
「…………っ、ちが、違うの。ごめんね、用事があったの思い出して……私、帰るね」
二条くんが転んだときに放り出していた鞄を荒く掴んで、旧校舎を後にする。
後ろで二条くんが何かを叫んでいたけど、違うことに頭がいっぱいだった私には、届かなかった。
◇◆◇
電車に乗る。
電車は特急だけど、あまりスピードは出ないから、何度もやきもきさせられる。
駅に着く前にドアの一番前にスタンバイして、ドアが開くと同時に駅のホームに飛び出した。
自転車にまたがっちゃえばこっちのもの。
スピードを出して出して、漕いで漕いで、家に向かう。
家に、向かってるんじゃない。彼の元に、向かってる。
「穂希? そんなに急いでどうしたの?」
ブレーキをかけた。キキー、と甲高い音が閑静な住宅街に響く。
驚いて振り返ると、そこには私の目的地がいた。
「ひ、聖……っ」
聖はきょとんと首を傾げたあと、私に近づいて頬に触れた。
そっ、と撫でられる。
「酷い顔、してるよ」
「どっ、どんな顔……?」
「泣きそうな顔」
泣きそう。泣きそうな顔を、私はずっとしていたらしい。
私を安心させるように、聖は笑う。そっと、微笑む。
「聖って、東花園高校の学生だったの?」
聖の笑顔を見て幾分か落ち着いた私は、ずっと訊きたかったことをぶつける。
聖は、事も無げに頷いた。
「うん。言ってなかったっけ。……穂希もなの?」
「そう、……そうなの。私も、東花園高校」
お互い、何も知らなかったんだなと思う。
でもこれからは、色々知りたい。
「聖。聖の今までのこと、知りたいの。無理にとは言わないけど、知りたい」
「……いいよ。…………でも俺も、穂希のこと、知りたい」
「もちろん。なんでも教えるから」
ふたり、並んで歩く。
自転車は漕がない。少しでも長く、ふたりきりの時間を取りたいから。
「聖の誕生日っていつ?」
「5月9日。穂希は?」
「11月9日! てことは、丁度6ヶ月違いかな?」
「穂希は、日本生まれだよね?」
「もちろん! 聖も?」
「それももちろん。そうだよ」
「聖って中学はどこ出身?」
「確か、彗星蘭中学」
「え、同じ! こんな偶然あるんだね!」
「穂希は、なんで東花園高校にしたの?」
「近かったから!」
「……っははは……うん、俺も同じ」
「聖の髪の毛、白いけどどうして?」
「たぶん、生まれつき白髪が生えやすかったんだと思う」
「ほえー。じゃあ体質なんだ」
「穂希はゲームとか好きなの?(ネタ切れじゃないよ、違うよ)」
「うん! テレビゲームとか結構好き!」
「あはは、うん。よく伝わる」
「なんで旧校舎に教科書が置きっぱなしだったの?」
私がそう訊いた途端、聖の動きは止まった。
聖の顔を覗くと、少しだけ気まずそうにそっぽを向いている。
「…………俺が、死んだから……だと、思う」
……死んだ。
分かっていたはずなのに、いざその単語を聞くと改めて感じる。
ここにいる彼は、幽霊なんだ。死者なんだ。もう、生きてはいないんだ……、と。
ふと寂しくなって、ここ3日は夢だったような、幻だったような気がして、私も俯いた。
「──元々、校舎を建て替えるっていう話は挙がってたんだ。そんなときに、俺が交通事故で、死んで…………死んだ人が座ってた机に誰も触りたくなくて、放置されてたとかじゃないかな」
聖はそう言いながら、目を伏せる。目蓋は、何かに怯えるように震えている。
「じゃ、じゃあ……聖は、20年もひとりで?」
「………………そう」
震える声で問うた私の疑問に、聖は頷いた。
20年も。ひとりで。
それは、どれだけ寂しいのだろう。
それは、どれだけ怖いのだろう。
それは、どれだけ辛いのだろう。
がしゃん、と音が響いた。
耳をつんざくような音の原因は、私の自転車だった。
どこかが壊れたかもしれない。曲がったかもしれない。鞄の中がぐちゃぐちゃになっているかもしれない。
それでも私は。
聖に、抱きつかずにはいられなかった。
「ちょ、ちょっと穂希っ? な、何、して……」
「…………もう少しだけ、こうさせて」
我が儘を言うように、聖の服を掴んで顔を埋めた。
今思えば、聖は第一ボタンを開けたワイシャツに、ズボンだった。
ズボンは、透けてるからいまいち分からなかったけど、東花園高校の制服と同じ。
ワイシャツだって、ブレザーを脱いだときのままだって分かる。
こんなにもヒントがあったのに、なんで気がつかなかったんだろう。
……違う。
本当は、現実に目を向けたくなかっただけなのかもしれない。
聖と過ごした3日間は、すごく、とても、なんかじゃ言い表せないほど楽しかった。
だから、聖が幽霊だって認めたら、その日々が嘘になってしまうような気がしたから。
もう、同じように話せなくなるような気がしたから。
(……聖。私、聖が好きだよ)
世界でいちばん、叶うはずのない告白は。
私の胸のなかで、そっと溶けていった。
聖は、まるで号泣する娘を宥めるように、ただ私の背中を撫で続けてくれた。お互い、何も言おうとはしなかった。
◇◆◇◆◇
後日、私は学校へ向かった。
ガタンゴトン、と心地よい揺れが私に届く。
夜遅くまで色々と話した結果、聖はしばらく私の家にいることになった。
気持ちは伝えていない。伝えられない。
だって、きっと聖を困らせてしまうだけだから。
(二条くんのこと、どうしよう)
私は聖が好き。相手が幽霊だろうとなんだろうと、それは変わらない。
でも、付き合うのは出来ない。ましてや生涯を共にすることは、不可能だ。
でも。
(気持ちの整理が着くまでは、誰とも付き合いたいとは思えないと思う)
ガタンゴトン、ガタン……と揺れが止まった。
スクールバッグを持って、扉の前に移動する。
学校に着く。
上履きに履き替える。
……旧校舎に、向かう。
「……柊、さん?」
二条くんが、いた。
私が見た教科書を机から取り出して、あちこちから見ていたらしい。
人が、しかも二条くんがいたことに私は驚いて、しばらく固まる。
「…………昨日、様子が変だったから。心配で」
「…………、その、ごめん……ね」
なんとなく、気まずい空気が流れる。
「柊さんがどういった事情で飛び出したかはしらないけど……」
「……」
「いつか、心変わりとかあったら、いつでも話し掛けてよ」
「…………、うん」
深くは聞こうとしないみたい。
気になるだろうに、聞かないでくれる。
それじゃ、と言って二条くんは旧校舎を後にした。
申し訳ないことをしたな、とは思う。
でも私は、やっぱりまだ、聖を諦められない。
昨日倒れた机はもう元通りになっている。きっと二条くんが直してくれたのだろう。
机には聖の教科書が置いてある。
20年も前のそれは、すっかり色褪せてしまっている。
なんとなく、ぺらぺらと捲ってみた。
今の私と同じ1年生のものの教科書は、表紙や細部こそ違うけれど、内容は同じ。
書き込みがされていたりと、聖は真面目だったことがひしひしと伝わってきて、私は自然と微笑んでいた。
教科書の輪郭をなぞって、私は旧校舎を後にした。
「……今日も1日、頑張らなきゃね」
◇◆◇◆◇
それはこれからの“俺”の待遇について、穂希と話し合った日の夜のこと。
俺はしばらくここにいてもいいという話になって、一段落したら穂希は眠りについた。明日も朝早いから、寝坊しないように、なのかな。
俺は幽霊だからか、眠らなくても特に支障はない。だからって寝ないわけでもないけど。
すぅすぅと寝息をたてて眠る穂希の顔はあどけなくて、可愛らしい。
仰向けで寝ていた穂希は、寝返りを打ってこちらを向いた。
細長い髪の毛は、さらりと穂希の頬を滑る。
実態のある指でそれとなく、穂希の髪の毛を鋤いてみた。さらさらな髪の毛は指通りがいい。
「ん……」
小さな呻き声までもが可愛い。
起きる様子のない彼女を前に、俺は少しだけ大胆に行動してみることにした。
ぷにぷにな頬をつついてみる。今度は手のひらでそれに触れた。
それでも穂希は起きないどころか、置かれた手にすりすりと頬を寄せてきた。
静かな部屋に、どき、と音が響いた気がした。
思えば俺は、彼女と出逢ってからずっと、よく分からない気持ちを感じていた。
それもどれも、不思議と幸せになるような。
それの正体に俺は、今日の今日まで気がついていなかった。
……違う。
本当は気がついていて、その上で、知らないふりをしていただけだ。
話し合う最初に穂希がラブレターを受け取ったと聞いたとき、俺は……心が、ずきんとした。
それ以前にも。分かることはたくさんあった。
(──……俺は、穂希が好きだ)
きっとこれは、一目惚れ。
彼女の人柄を知ってからは、どんどんと惹かれるばかりで。
(俺が幽霊じゃなかったら、選んでもらえたのかな)
なんて、考えてしまう。
そんなのはただのエゴだと、分かってはいるけれど。
衝動は、抑えられそうになかった。
勢いのまま丁度こちらを向いたままの穂希の、唇に。
(それでも、好きでいさせてくれたら)
キスを落とした。
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