霧の妖精と暗殺者

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霧の妖精と暗殺者

「標的は妖精だけだ! 騎士は構うな」 帝都に暮らしていた頃、皇太子妃でありながら病弱で滅多に社交の場に顔を出さず、たまに姿を見せても儚げにほほ笑んでいつの間にかいなくなってしまうリアーナ様のことを、貴族たちは〝霧の妖精〟と呼んでいた。 この場で彼女を「妖精」と呼ぶ黒ずくめの男たちはただの盗賊ではなく、皇太子妃を狙った暗殺者ということだ。 皇家とアルヘンソ家が抱える数々の秘密を知ったのはおれだけでなくリアーナ様も同じ。子爵家の三男坊より公爵家出身の皇太子妃の方が危険なのは間違いない。 黒ずくめは全部で五人。それに加えて火矢を放った射手が林の中にいる。 「馬を狙え!」 指示を出す男を目がけておれは馬を駆った。男の横っ面を蹄で足蹴にしてやったが、次の瞬間馬の尻に矢が刺さり馬上から投げ出される。おれは肩を地面に打ち付け、馬は昂奮して来た道を戻って行った。 腹を斬られた御者は血を流してグッタリしている。リアーナ様の護衛はおれ以外に三人。数では敵に劣っているが、三人とも皇太子殿下に認められた紫蘭騎士団員だ。 黒ずくめの男二人が剣で薙ぎ払われあっさり路上に突っ伏した。身のこなしも剣捌きも手練れというわけではなく、どうやら専門の暗殺集団ではない。むしろ剣を持って間もない素人のように見える。だとすれば、軽く脅せば簡単に黒幕を白状する可能性がありそうだ。 交戦中の仲間に加勢しようとしたとき、ヒュッと矢の気配がして無意識に剣を払った。カッと音がし、折れた矢が足元に落ちる。日の暮れかかった松林の中で黒い影が動いた。 「隊長! こっちは大丈夫なので射手を追ってください! おそらく矢が尽きたかと」 叫んだ仲間の足下に黒ずくめの死体がひとつ増えていた。残りの敵は二人、対して仲間は三人。この場を任せて問題ない。 「わかった。だが油断するな。馬車の安全が最優先だ!」 「承知しました!」 おれは影を追って林に入った。すると、相手が突然立ち止まり次の瞬間には矢が頬をかすめる。 「クッソ、矢がなくなったんじゃねぇのかよ」 領地にいた頃の粗野な言葉が口をつく。 「デ・マン卿が邪魔だから馬車から引き離したんじゃないの?」 頭上から聞こえた女の声に気を取られたとき、カッ、カサッと何かがぶつかって落ちる音がした。おれが目にしたのは草むらの上の一本の矢。 「魔術師が護衛にいるなんて聞いてねえぞ」 黒い影がそう吐き捨てる。 「魔術師だと?」 「矢から守ってあげたんだから、わたしが魔力を使ったことは内緒ね」 マントを翻して地面に降り立った女は、カモシカのような身軽さで黒い影に接近すると躊躇いなく剣を振った。赤橙色の光が走り、弓を持っていた男の手は容赦なく斬り落とされる。林の中に絶叫が響いた。 女は剣をおさめ縄で敵の手足を拘束する。矢からおれを守ったのはあの女で間違いなさそうだが、魔術師ではなく帝国で認められていない魔剣士のようだった。どうせあの女も皇家かアルヘンソ家の〝秘密〟なのだろう。 ふと、リアーナ様は大丈夫だろうかと頭を過った。敵とはいえ間近で人が死んでいるのだ。馬車の中でガタガタ震えてはいないだろうか。幼馴染の死を思い出して泣いてはいないだろうか。そう思うと居ても立っても居られなくなった。 「剣士殿、加勢いただき感謝する。申し訳ないがその男を連れてこの先の屋敷に来てもらえないだろうか。おれは現場に戻らねばならん」 「わたしを信じていいの? この男、逃しちゃうかもしれないわよ。面倒になって殺しちゃうかもしれないし」 女の笑いを含んだ声が返ってくる。 「抵抗するなら殺して構わない。剣士殿のことは敵ではないと判断した」 「へえ、意外。優柔不断な男だって聞いてたのに」 誰からと問いたいところだが雑談で時間を無駄にするつもりはない。 「デ・マン卿。騎士を一人寄越してくれる? こう見えて非力なの」 「わかった。礼は後ほどする」 言い捨てておれは馬車へと駆けた。すでに日は暮れ、馬車に付いているオレンジ色のマナ石ランプがボウッと光っている。 「あっ、隊長!」 騎士たちが一斉にこちらを向き、その背後で馬車の扉が開いた。 「デ・マン卿? ご無事なのですか?」 顔を見せたリアーナ様を騎士たちは半ば強引に馬車の中へと押し戻す。さすがにこの惨状を見せてはまずいと思ったのか、彼らは死体を松林の中に移動し始めた。 だが、このむせ返るような血の匂いは馬車の中まで届いているはずだ。馬もやられ、どのみち歩いて帰るしかなさそうだった。 おれはひとつ息を吐き、コンコンと扉をノックする。 「リアーナ様、敵は殲滅しましたが馬車で戻るのは無理そうです。歩くことになりますがリアーナ様の足でも十分ほどの距離ですので」 話している途中でわずかに扉が開き、顔を見せたのはスサンナだった。 「デ・マン卿。リアーナ様はお加減が良くないようです」 扉を開けてそっと様子をうかがうと、青白い顔をしたリアーナ様がぐったりと座席に横になっていた。かすかに瞼を持ち上げ、「すいません」とかすれた声で言う。 「わたしには少し刺激が強すぎたみたいで……。しばらく横になっていれば歩けると思います」 おれとスサンナは視線を交わし、いくら待ってもリアーナ様は回復しないという意見で一致する。 「リアーナ様、お許しいただけるならわたしがリアーナ様をおぶって別荘に戻りたいと思うのですが」 「……デ・マン卿がわたしを?」 「はい。一人で歩くのも、リアーナ様をおぶって歩くのもさほど変わりありません」 「デ・マン卿が?」 「……もし、わたしにおぶわれるのが嫌でしたら他の騎士でも」 言うべき台詞は勝手に口から出ていくが、自分で言いながら正直穏やかな気分ではいられない。リアーナ様がおれ以外の騎士に触れる姿など当たり前だが見たくもない。 「いえ、あの、デ・マン卿でしたら平気だと思います。男の方に触れるのは慣れていないので少し緊張してしまって」 これが人妻の言葉だろうか? おれがリアーナ様をおぶって別荘まで歩いたら、リアーナ様の人生で最も多く触れた男になるのかもしれない。それが嬉しくないとも言い切れず、どうにも複雑な気分だ。 「でしたらリアーナ様、どうか大きな岩にしがみついていると思ってください。日が暮れるとじきに冷えてきます。お風邪を召してはいけませんから、早く帰って温まりましょう」 「そうですよ、リアーナ様」 スサンナの後押しもあり、リアーナ様は大人しくおれにおぶわれることになった。馬車の乗り口で背にもたれかかってくるのは、人というより羽のように軽い何かだ。肩に手を回されて頬を長い髪がかすめ、ようやく女性を背負っているのだと実感が湧く。 「リアーナ様、体勢は辛くありませんか?」 「平気です。デ・マン卿こそお嫌ではありませんか?」 嫌?  何が彼女にそんな台詞を吐かせるのかまったくわからない。思いきり否定したいところだが、「嬉しいです」とか「幸せの極みです」などと本音を漏らすわけにもいかなかった。 「むかし、妹をおぶった時のことを思い出しました」 「妹ですか。わたしは兄におぶわれた記憶がないのでデ・マン卿の妹君が少し羨ましいです」 「フェルディーナ卿はたしか西部騎士団所属だったと記憶していますが」 「ええ。五年前にフェルディーナ領を出て、その後お会いしたのはわたしの結婚式の時だけです。その時もあまりお話できませんでしたし、うっかりすると兄の顔を忘れてしまいそうです。デ・マン卿は帝都に来てから妹君と会ったりされましたか?」 「いえ、うちも似たようなものです。昨年妹が結婚した折に領地に戻って顔を合わせたくらいで」 他愛ない会話を遮る者は誰もいなかった。おれの二歩後ろをスサンナがついて歩き、数メートル離れて前後に騎士が一人ずつ。もう一人いた騎士は林の中の魔剣士の元へやった。おそらく彼らの方が先に別荘に到着するだろう。 このままずっと坂道がつづいて皇家の別荘が見えて来なければいいと思う。気負わずリアーナ様と話す機会など護衛騎士のおれにはなく、リアーナ様を背負って歩くこの時間は護衛騎士解任前のささやかなご褒美みたいなものだ。 「やっぱり、デ・マン卿の妹に生まれたかった」 リアーナ様が耳元でポツリとつぶやいた。 「光栄です。もしわたしにリアーナ様のような妹がいたら、きっと」 きっと、〝放蕩殿下〟などと呼ばれる皇太子殿下の元に嫁がなくて済むよう、あらゆる手を使って妨害したはずだ。 「きっと?」 リアーナ様に続きを問われ、おれは「楽しいでしょうね」と当たり障りのない言葉を返した。別荘の窓明かりが見え、耳元で「着いちゃった」と残念そうな声がする。 「デ・マン卿。屋敷のみんなにこの姿を見られるのは恥ずかしいです」 「では、眠ったふりをしてはいかがです?」 リアーナ様は下ろして欲しかったのだろうが、おれはとぼけることにした。クスッとスサンナの笑い声が背後から聞こえ、気まずさにゴホンと咳払いする。母親ほど年の離れたこの眼鏡の侍女は、もしかしたらおれの気持ちに気づいているのかもしれない。 「リアーナ様、デ・マン卿の言葉に甘えてはいかがですか? 今日は朝から色々あってお疲れでしょうし、寝室までおぶってもらってそのままお休み下さい」 「そう? スサンナがそう言うなら……」 前後を歩く騎士たちは聞こえないフリをしている。リアーナ様は門をくぐる前に「では眠ります」と宣言し、頭をコテンとおれの肩に預けた。その直後、 「デ・マン卿~!」 垢ぬけた女の声がしてリアーナ様の頭がピクッと動く。けれど寝たふりは宣言通り続けるようだった。 魔剣士の女が屋敷の前で手を振っている。薄暗い松林の中では性別を判別できる程度にしか分からなかったが、明かりの下で見てみると思いのほか印象的な橙色の髪をしていた。一緒に戻って来た騎士が「あの美人は?」と興味津々に聞いてくるほど妖艶な体つきをした美女。 「剣士殿、申し訳ないが少し声を落としてもらえるだろうか。こちらの方が眠ってしまわれたので、先に寝室にお連れしたい。話はその後で」 「それならわたしも部屋までついて行くわ。こう見えてわたし剣士ではなく治癒師なの。アルヘンソ辺境伯家の治癒師クラリッサが眠り姫と護衛の方々にご挨拶申し上げます」 茶化すように言い、クラリッサと名乗った女はマントでカーテシーのまねごとをする。リアーナ様は頑なに眠ったふりを続けていたが、おれの肩に回した手には時おり会話に反応するように力が入る。 「クラリッサ殿、恩人とはいえ初対面の人間を寝室まで連れて行くわけにはいかない。すぐに戻るから中で少し待っていて欲しい」 建物の周囲に視線を巡らすと、厩舎前の杭に黒ずくめの男が縄で括りつけられていた。クラリッサのところにやっていた騎士が、猿ぐつわを噛ませた男の横で剣をチラつかせている。 暗殺者らが何者かはわからないが、こうなっては皇太子殿下に報せる他なかった。だが、殿下は週明けに別荘に来るのだから入れ違いになる可能性もある。 おれは別荘管理人のチャールズさんに帝都への報せとクラリッサの部屋の用意を頼み、スサンナとともに二階にあるリアーナ様の寝室に向かった。 いつの間に準備していたのか、湯桶を抱えた侍女たちがぞろぞろと後ろをついて部屋に入って来る。あまりの居心地の悪さにそそくさと立ち去ろうとしたが、リアーナ様はおれの背から下りる前に寝たフリをやめてしまった。 「デ・マン卿」 「リアーナ様、お目覚めですか?」 「あの女の方は?」 「松林の中でわたしを敵の矢から守って下さり、黒ずくめの男一人を取り押さえた凄腕の剣士です」 「ですが、さきほどは治癒師と」 「帝国騎士団の衛生兵にも治癒師はおります。嘘だとしてもアルヘンソ辺境伯家に照会すればすぐわかること。怪しげな行動をとればすぐ対処しますのでご心配なさらず」 治癒師だと堂々と宣言したのだからクラリッサはおそらく治癒師協会発給の資格証を持っているのだろう。だが、剣に橙色の光を纒わせられるあの女の魔力はおそらく治癒師以上。 そもそも帝国で魔術を使う資格があるのは魔術師と治癒師だ。魔術師レベルの魔力はなくても規定値以上の魔力を持っている場合は治癒師となることが認められ、治癒補助の簡単な魔術が使える。大きな違いは、魔術師は強制的に魔塔に連れて行かれるが治癒師は市井で暮らせるということ。 クラリッサが魔力測定時に数値を誤魔化して治癒師を騙っているのなら明らかに帝国法違反。だが、タミア様が言っていたようにアルヘンソ家の治癒師が魔塔主様の直弟子なら、下手に詮索しても面倒事が増えるだけだ。 おれが見極めなければならないのは、あの女がリアーナ様に害をなすかどうか。 「わたしはクラリッサ殿と少し話をしてきます。リアーナ様はお休み下さい」 「気になって眠れないわ。クラリッサ様とのお話が終わったらまた来てくれますか?」 もちろんです、と即答したいところだが、まだ離婚の成立していない皇太子妃の部屋を一人で訪れるには問題のある時刻だ。侍女たちの視線が刺さり、言葉ひとつひとつに神経を使う。 「承知しました。そのときはリアーナ様のお好きなカモミールティーをスサンナに用意してもらうことにしましょう」 リアーナ様もおれの意図を察したのか、ベッド脇にいたスサンナにふいと視線を向けた。 「そのときは軽くつまめるものを一緒に持ってきてくれる? 今はまだ食欲がわかないけど、少し落ち着いたらお腹がすきそうな気がするの。デ・マン卿、引き止めてごめんなさい。どうぞお仕事にお戻りになって」 一礼して部屋を出た直後、どっと疲れが押し寄せてきた。深く息を吐くと急に自分の体臭が気にかかる。 リアーナ様を背負う前に返り血を浴びたマントは脱いだが、いつどこで飛んだのか服の至るところが血と泥で汚れていた。そして間違いなく汗臭い。 「顔を出すのは着替えた後だな」 ひとりごち、おれは下の階で待っていた騎士たちとクラリッサを連れて厩舎前に向かった。いつの間にか空には二つの半月が昇っている。
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