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逆さまの樹と普通の樹
四人の屈強な騎士に囲まれながら、捕らえた男が一番怖がっているのは傍らにしゃがみこんだ女治癒師だった。
偽名か本名かは不明だが、「ロイ」と名乗った暗殺者はフードを剥いでみると思いのほか若く、顔つきはまだ少年だ。おそらく十四、五。
「お~、さすがわたし。出血がほとんどないわ」
包帯の具合をマナ石ランプの明かりで確認しながら、クラリッサが軽い口調で言った。
ロイの腕は左肘から先がなく、上腕から切断部にかけて包帯が巻かれている。大怪我のわりに顔色も悪くないが、痛みだけはしっかりあるようだった。
「ロイく〜ん。もしかして痛み止めが欲しい? でもあげない。わたしがいなかったらロイくんはデ・マン卿に殺されてただろうし、あなたの仲間は一人残らずこの人たちに殺されちゃったんだから、痛みくらい我慢しようね」
クラリッサは容赦なくギュッと包帯に覆われた患部を掴み、ロイは「グッ……」と言葉にならない呻き声をあげる。美人治癒師と騒いでいた仲間も彼女の振る舞いに若干顔を引き攣らせているようだ。
「クラリッサ殿、夜は声が響くから痛めつけるのは控えてくれ」
リアーナ様に聞かれるのは避けたい。
「デ・マン卿も尋問するつもりだったんじゃないの?」
「尋問と拷問は違う。それに……」
おれがロイに視線をやると、クラリッサも促されるように彼を見た。
ロイがローブの下に着こんでいたシャツとズボンは貴族が身につけるような仕立ての良いもの。そして、腰にある短剣と脇に置かれた弓は本物の暗殺者が使っていそうなちゃんとした代物だ。
貴族のお坊ちゃんの「暗殺者ごっこ」。そんなふうに思えてならないが、当然ながら家門を示す物は何もない。
「誰かに雇われてやったのか?」
おれの問いかけをロイが無視していると、クラリッサが彼の口に布を突っ込んで傷口を握った。おれはクラリッサの腕を掴んでロイから引きはがす。
「デ・マン卿は情に流されやすいタイプなのかしら? ちょっと心配だわ」
「どういう意味だ?」
「さあね。それより、ロイくんの耳たぶのそれ知ってる?」
クラリッサは顎で「それ」を示した。ロイの右耳には金属製のリングがはめ込まれ、耳たぶに直径一センチほどの空洞ができている。
「ローナンド侯爵領のタヒ地区に男子の通過儀礼としてそんなふうに耳に穴を開けるところがあるのよ。麻薬絡みの不祥事で侯爵領はかなり縮小したけど、タヒ地区も没収対象になってた。今は暫定的に皇家直轄領とされてるわ。ロイ、あなたローナンドの分家の子でしょう?」
自信満々のクラリッサに気圧されたのか、ロイは顔を強ばらせてうつむいた。「そうなのか?」とおれが低い声で問うと、「そうだよ」と投げやりな返事。
ローナンドという言葉が出た時点で、おれは尋問が長引くと判断した。
このままではリアーナ様の部屋を訪ねるのが遅くなり、お体に負担をかけてしまうかもしれない。使いをやって先に休んでもらった方が良さそうだが、そうなると寝る前にリアーナ様の様子を確認することができなくなる。この場は最小限のことだけ聞いて、続きは明日に持ち越すのがよさそうだ。
「ロイ。今回の襲撃は麻薬の件と関係があるのか?」
「ない」
即答だった。が、その返事を鵜呑みにするわけにはいかない。
居住地を没収した皇家への逆恨み的犯行と考えるのが妥当だが、気がかりなのはリアーナ様が麻薬を買っていたことをロイが知っているかどうか。
「おまえは〝妖精〟というのが誰だか知っていたのか?」
「リアーナ皇太子妃だろ」
「なぜリアーナ様を狙った?」
「あの人はオーラ主義者だから」
突然ロイの口から出た〝オーラ主義〟という言葉に、おれも他の騎士たちも面食らった。クラリッサだけが意味ありげにかすかな笑みを浮かべている。
「リアーナ様がオーラ主義者? 誰がそんなことを」
「みんな言ってるよ。皇太子に可愛がられて別荘地で優雅に暮らしてるんだぞ。銀色のオーラの庇護下にあるのは明白だろ?」
皇太子殿下と一緒に別荘に来たのならまだしも、辺境地の別荘にリアーナ様一人。普通の感覚なら遠ざけられていると見るはずだが、どうやらロイは皇家や貴族の事情に明るくない。
一体誰に吹き込まれたのか、ロイは堂々と喋り続けている。
「銀色のオーラなんてグブリア皇家の嘘っぱちさ。誰も見たことないし、何の役にも立ってない。あんたたちは皇帝や皇太子のオーラを見たことあるのか?」
おれはうんざりしながら剣を抜き、ロイの首元に突きつけた。
リアーナ様が皇太子殿下に可愛がられているなどというバカな勘違いも腹立たしいが、なにより皇家に対する侮辱は聞き捨てならない。
〝銀色のオーラ〟とはグブリア皇族が受け継ぐ力だ。
詳細は伏せられているが、銀色のオーラを発現すると格段に身体能力が高まり、特に剣技において比類なき力を発揮すると言われる。
臣籍降下した元皇族も銀色のオーラの血を受け継いでおり、貴族の場合「オーラ家門」と呼ばれるがオーラの力を使うことは許されていない。現時点で銀色のオーラを使うことができるのはカイン皇帝陛下とユーリック皇太子殿下のお二人だけだ。
グブリア皇家の権力は銀色のオーラに裏打ちされている。だが、最近になってその「オーラ主義」に反対する動きが起きていた。彼らは「反オーラ派」を自称し、現皇帝陛下の平民優遇施策を良く思わない貴族が活動の主体となっている。
素直に考えればオーラ主義を理由にリアーナ様を殺そうとしたロイは反オーラ派貴族ということになる。だが、ローナンド侯爵家に爵位を持つ分家などなかったはずだ。
「ロイ、この場で斬り捨てられたくなかったら仲間全員の家門と名前を言え」
「そうやって剣で帝国民を押さえつけようとする。皇家のやり方だ」
「おまえらも剣でオーラ主義を排除しようとしただろう。死んだ仲間も反オーラ派か?」
「そうだよ。おれは反オーラ派の会合で計画を知って加わったんだ。でもおまえらが殺したヤツがどこの誰かなんて知らない。みんな顔を隠してるし、こんな時のためにお互い素性は明かさない。だからおれみたいな平民だって貴族のふりして紛れ込めるんだ」
反オーラ派の暗躍は思ったより面倒なことになっていそうだ。この場でおれがロイを追及するよりも治安隊に引き渡した方がいい。だとすれば、いま確認すべきことはそう多くは残っていない。
「今回の計画を練ったヤツはあの中にいたのか?」
「知らないよ。誰が計画したのか分からないようになってる。おれが計画を聞いたとき他のやつらはすでにアルヘンソ領で一週間くらい待機してたらしいけど、おれが誘われてアルヘンソに来たのは昨日。妖精の乗った馬車が午前中にアルヘンソ家に向かったら決められた場所に旗が立つんだ。その旗を確認したら夕方に松林に集合して妖精が帰ってきたところを襲う。現地集合、現地解散。もちろん報酬なんてない」
「報酬もなく活動してるのに、よくそんな服と武器を買えたな。おまえだけタイミング良く合流した理由は?」
「偶然だよ。弓を使える人間を探してたみたいで、会合に顔を出した時に誘われたんだ。その時おれの服が平民臭いからって武器と一緒に服ももらった」
「おまえを誘ったヤツも死んだのか?」
一体どんなヤツがあんな杜撰な計画をしたのか分からないが、自ら襲撃に参加したのなら無鉄砲で迷惑な馬鹿だ。だが、おそらく本人は参加していない。ロイ以外の襲撃犯がアルヘンソ入りしていた時期に、アルヘンソ領にいなかったロイと会って彼を誘い入れたのだから。
「そういえば、松林に集まったやつらはみんなおれと同年代だったけど、おれを誘った人は年上な気がした。たぶんあの中にはいないと思う」
「そいつが黒幕の可能性がありそうだな」
計画を立てた男が死んでいないのなら、リアーナ様はまた襲われる可能性がある。来週まで別荘に引きこもり、皇太子殿下との離婚が発表されたら標的から外れるだろうか。皇族から抜けたらリアーナ様は「銀色のオーラの庇護下」から外れるわけだから。
だが、反オーラを掲げてオーラ主義者を私刑にしようとする者が、標的としてリアーナ様を選ぶというのが腑に落ちない。皇族を狙うのは難しいとしても、皇族復帰を目論むオーラ家門のルガース公爵家などを狙うのが妥当ではないだろうか。
「まだなんか聞きたい?」
声は強がっているわりに、ロイの顔には疲労が滲んでいる。
「おまえ、家族は?」
「……親は、爵位を継いだっていう若い女の侯爵に会いに行った」
ロイが答えるまでの一瞬の間が引っかかった。そして、夜風に揺れるロイの黒髪に一人の女の顔が脳裏を過る。
「おまえ、ローナンド侯爵家の養女だったアンナって女を知ってるか?」
ロイは顔を強張らせ、「知らない」と目をそらした。あまりの嘘の下手さにため息が漏れる。
「姉さんか?」
「あんなやつ姉さんじゃない。あいつは侯爵家に媚び売って家族を捨てたんだ。おれはあいつを頼る気なんてない」
ロイの言葉が想定外で、グッと胸が詰まった。ロイはまだ姉が生きていると思っているのだ。
麻薬事件で捕まった前ローナンド侯爵の娘が爵位を継いだのは間違いないが、それは養女のアンナではなく血の繋がった本当の娘。アンナは麻薬取引に関わった末に、ローナンド家の暗殺者に殺されてしまった。
姉が死んだと教えてやりたかったが、皇宮にある月光の庭園でアンナが殺された事件は箝口令が敷かれている。この場にいる騎士たちも知らないことだ。
どうやら、ロイを安易に治安隊に引き渡すわけにはいかなくなった。
「ロイくんは来週まで別荘に閉じ込めておいたら?」
おれの思考を読みとったように、クラリッサがタイミングよく口を挟んできた。皇太子殿下が来週別荘を訪れるのを知っての発言なのだろう。一体どこまで把握しているのか、この女の扱いも悩ましい。
「別荘に閉じ込めるといってもリアーナ様と同じ建物内というわけにいかない。倉庫か、厩舎か」
「あー、じゃあ、チャールズさんにそういう部屋がないか聞いてみたら?」
クラリッサの口ぶりからして明らかに「そういう部屋」があるに違いなかった。いい加減この女との腹の探り合いも面倒になり、おれは「そうだな」と素直にうなずく。
「おれはチャールズさんに確認してくる。抵抗はしないと思うが監禁場所が決まるまで交代で見張っておいてくれ。クラリッサ殿は一緒に来てもらえるか? ラナ茶をアルヘンソ家からいただいたのはいいが、スサンナは淹れ方を知らないらしい」
ラナ茶云々はさりげなくクラリッサだけを連れて行くための方便だが、騎士たちはおれの演技そっちのけで誰が先に飯を食いに行くかで盛り上がっている。
「おい、ロイの飯もソフィアさんに頼んでおくから誰か後で運んでやってくれ」
「承知しました」
一日の終わりが見えてきたからか、返ってきた声が心なしか浮かれていた。
おれはソフィアさんのいる厨房に寄ったあとで管理人執務室に向かうつもりだったが、管理人はちょうどよく厨房の隅で食事中だった。その隣でソフィアさんもスープに浸したパンにかぶりつき、おれの姿を見てパっと立ち上がる。
「デ・マン卿! おつかれさまでした。お食事にされますか?」
「おれはもう少し後で。他のやつらが交代で来るはずなのでよろしくお願いします。あと、パンだけでいいので外にいる男の分も用意してもらえますか?」
「わかりました。ところでデ・マン卿、その男はずっと外に繋いでおくんですか?」
おれに尋ねながら、ソフィアさんの視線がチラッとチャールズさんをうかがった。チャールズさんは食事を中途で終え、椅子にかけていたジャケットをはおる。
カッチリした服のわりに、穏やかな目元のせいかチャールズさんの雰囲気はいつも柔らかい。この別荘で働いて八年近くになるらしいが、実際に皇族がここで静養するのは五年ぶり。彼の主な仕事は水平線上に見える〝あの島〟の監視だということだった。
「管理人からデ・マン卿にご提案があるのですが、よろしいですか? 男の監禁場所のことで」
「ちょうどそのことについてチャールズさんに相談しようと思っていたところです。良い案があればお聞かせ願えますか」
「承知しました。ではこちらへ」
おれたちが厨房を出たのと入れ替わりに一人の騎士が「お疲れさまです」と中に入っていった。「ソフィアさん、疲れましたよぉ」とあけすけな愚痴が聞こえ、チャールズさんがクスッと声をもらす。
「デ・マン卿もお疲れでしょう」
「そうも言ってられません。現場も放置したままですが、治安隊を通すのはマズそうなのでうちで処理することになるかと」
「できることがあればお手伝いします。遠慮なく言って下さい」
チャールズさんは管理人執務室の前を通り過ぎ、その奥にある食材庫の扉を開けた。そういえば、この中には地下倉庫への階段があるはずだ。
「もしかしてあの男を地下倉庫に?」
「半分だけ正解です」
おれより十歳近く年上のせいか、チャールズさんは時々からかうような言い方をする。酔いそうなほどのワイン臭漂う地下階段を下りながら、クラリッサはクスクスと笑いはじめた。
「チャーリー先生、そろそろお互い知らないフリはやめてもいい?」
「そうですね。あまりやり過ぎるとデ・マン卿の信頼を失ってしまいます」
予想通りと言えば予想通りだった。チャールズさんに監禁場所を聞こうと言ったのはクラリッサなのだから。だが、二人の距離感は予想外だ。
「お二人はどういう関係で?」
「わたしたちの昔話など酒のつまみにもなりませんよ。その話の前に仕事を終わらせましょう」
狭くるしい地下倉庫にはワイン棚が所狭しと並び、細い通路の突き当たりでチャールズさんが立ち止まる。彼は何もないレンガの壁に手をあて、ボソボソと何かつぶやきはじめた。
チャールズさんの手から波紋状に青い光が広がり、口を半開きにして驚くおれの目の前でレンガ壁が木製の扉に変わる。
「……魔術師だったんですね」
「はい。死体を燃やすくらいならわたしでもお役に立てるかと。ただし、わたしが魔術師であることは他の方には内緒でお願いします。ソフィアとクラリッサ、それからアルヘンソ親子は知っていますが」
「もしかしてソフィアさんも魔術師ですか?」
「正解です」
ニコッと笑い、チャールズさんはおもむろに取っ手を引いた。地下部屋の中には簡易ベッドがふたつと椅子がふたつ、机がひとつ。
「この部屋を使うのは〝何か〟があった時です。開けた瞬間に皇帝陛下と皇太子殿下に通知が行くようになっていますので、来週を待たず皇太子殿下がここを訪れることになるかと」
「本当ですか?」
だとしたらありがたい。
「嘘を吐くわけがありません。この紋章に誓って」
チャールズさんはポケットから懐中時計を取り出し、蓋の内側をおれに見せた。
「……これは、〝逆さ樹〟ですね」
大樹を逆さまに描いたその模様は、おれがリアーナ様とともに皇太子妃宮を離れるまえに皇太子殿下に教えられた特殊な紋章だ。
帝国国旗には赤と青の月、国旗以外ではふたつの月と剣を描いた紋章もよく使われるが、この〝逆さ樹〟はいわば皇家の裏の紋章。
「あっ、そう言えば!」
クラリッサは腰にぶら下げた革袋を漁り、四つ折りにされた紙を「はい」とおれの目の前で広げて見せる。
「殿下が来る前に思い出して良かった〜」
安堵のため息をつくクラリッサの横でおれは首をひねった。渡されたのは何も書かれていない真っ白な紙。ヒョイとのぞきこんだチャールズさんが「これは」と低い声でつぶやいた。
「チャールズさん、魔術で何か書かれているんですか?」
おれが問うと、「まったく」とクラリッサが呆れ顔。
「デ・マン卿も殿下から預かってるものがあるでしょ?」
「あっ、これか」
おれは革紐に通して首にぶら下げた銀貨大のレンズを服の下から取り出した。どうやって使う物か分からなかったが、紙にかざすと書かれた文字が読める。
「マナインクで書かれてるの。一定以上の魔力があればレンズなしでも読めるけど、魔力がない人はその」
「フェルディーナ卿が?」
書かれていた内容に驚き、おれはクラリッサの説明を遮って素っ頓狂な声をあげた。
『フェルディーナ公爵家の息子オリヴァーがリアーナを始末しようと動いている可能性がある。護衛のデ・マン卿と合流してくれ。彼には逆さ樹のことは伝えてある。詳細は以下――』
皇太子殿下のサインなどはなく、文章の終わりに〝逆さ樹〟が逆さまに、つまり、地面に樹が生えたような向きで押されている。
――〝逆さ樹〟が普通の樹になっていたらわたしだと思え。ただし、わたしがこういう使い方をしていることは陛下には言うな。
皇太子殿下に言われた言葉を思い出した。
「そこに書いてあるけど、オリヴァーが反オーラ派の貴族と会ってたのは確かみたい。皇太子妃を反オーラ派が殺そうとしてるっていう噂の出どころまでは確認できてなかったみたいだけど、きっとロイの言ってた会合ね」
手紙の文字を追っていくと『皇太子妃の四人のうち誰が標的なのか分からないが』とあるが、リアーナ様以外の三人がいるのは皇宮。あの暗殺者もどきの連中では無理だろう。そして今夜リアーナ様が標的になった。
「きっとロイが言ってた年上の男がオリヴァーよ。殿下がわざわざ〝公爵家の息子が〟と書いて寄こしたってことは、おそらく息子が勝手にやってるんでしょ。公爵は皇帝派の中心人物だし、オーラを否定する人間が娘を皇宮に入れるわけないわ」
「フェルディーナ卿が反オーラ派とは、にわかには信じられないが」
挨拶すら交わしたことのない相手だが、フェルディーナ公爵家の人間が貴族派の中でも尖った存在である反オーラ派というのは頭が受け付けない。
「そう? 反オーラって貴族の若者の間では流行りになってるのよ。ロイが参加してた反オーラ派の集まりも若い子の溜まり場なんじゃないかしら?」
「若い子ですか」とチャールズさんが珍しく眉間にシワを寄せる。
「そういう集まりがあるのなら、興味本位で参加した若者がそこで反オーラにかぶれてしまうのかもしれませんね」
「ロイはまさに反オーラにかぶれたって感じだわ。貴族の反オーラ派の連中とはちょっとズレてる」
クラリッサの言うとおりだった。
ロイのような平民が銀色のオーラ――すなわち皇家を否定するということは、現皇帝が進めてきた平民優遇施策を否定するということだ。なのにロイは堂々と「反オーラ」を口にしている。
とはいえ、平民たちは皇族と貴族をひっくるめて語る傾向があるし、平民優遇施策のほとんどは帝都内でのこと。「反オーラ」の本質が分かっていないロイは適当に言いくるめられて利用されたのだろう。
「オリヴァー・フェルディーナは父親からリアーナ様の麻薬使用を聞いたのかもしれないわね。リアーナ様と殿下の離婚が円満に進められれば、フェルディーナ家はこれまで以上に皇家に頭が上がらなくなる。でも、リアーナ様が死ねば状況は変わる。皇家の別荘で、護衛がついていながら殺されたとなれば堂々と皇家を糾弾することもできるわ」
「現公爵は皇帝派、息子は反オーラの貴族派だとしたら、フェルディーナ公爵閣下も頭が痛いでしょうね。そういう捻じれが起きている貴族は他にもありそうですが」
放っておいたらクラリッサとチャールズさんの話は朝まで続きそうだが、おれはリアーナ様のことが気にかかっている。
「おれはロイをここに連れてきます。今後のことは皇太子殿下が来られてからにしましょう」
チャールズさんが「いえ」とおれより先に部屋を出た。
「デ・マン卿、収監者はわたしが連れて来ます。何かあったらお知らせしますのでどうぞ食事を済ませてお休み下さい。わたしとクラリッサがいれば魔力のない人間を逃がすことなどあり得ませんから」
一瞬迷ったが、リアーナ様のことが頭にあったから「では」と甘えることにした。
厨房に顔を出し、ソフィアさんにパンとチーズをもらって皿を手に自分の部屋に向かう。その途中で行き先を二階にあるリアーナ様の部屋に変更した。
自分の体臭が気になるが、おれが着替えているうちにリアーナ様が眠ってしまうかもしれない。眠れるのはいいことだが、そうなるとスサンナは部屋の前でおれを追い返すだろう。
無意識に早足になり、二階に着いたところでリアーナ様の部屋からスサンナが出て来るのが見えた。
「デ・マン卿」
夜中だからかスサンナは囁くような声。おれは足音を忍ばせて彼女に駆け寄った。
「リアーナ様はお休みに?」
「まだ起きていらっしゃいます。デ・マン卿の様子を見てくるよう言われたところでした。先ほどスープを召しあがられましたのでお食事はもう不要かと思いますが」
おれはホッと息を吐き、近くにあった花台の隅にパンの乗った皿を置いた。
「リアーナ様、デ・マン卿がお越しです」
スサンナが扉をノックすると、中から「えっ」と慌てた声が聞こえた。
「あ、あの、どうぞお入りになって」
おれは今さらながら不安になってきた。
「スサンナ、わたしがこんな時間に入っていいのだろうか」
「挨拶程度なら問題ないかと」
スサンナは躊躇いなく扉を開ける。リアーナ様はナイトドレスの上にストールを羽織り、ベッド脇に立っていた。
「まあ、リアーナ様。起き上がる必要などありませんのに。ねえ、デ・マン卿?」
「もちろんです。どうぞベッドにお入りください」
もじもじと躊躇う姿を見るだけで、おれは自分がやましいことをしている気になってくる。
スサンナは彼女に駆け寄り、無理やり布団の中に押しやった。見かけによらないこの強引さはさすがスサンナとしか言いようがない。
「あの、デ・マン卿。犯人について何かわかりましたか?」
遠慮がちにリアーナ様が聞いてきた。
「捕らえた男は反オーラ派を名乗っていますが、まだ取り調べの途中で詳細は分かりません。若者が思い込みで暴走したようにも思えます」
「クラリッサ様は?」
犯人についてもっと聞かれると覚悟していたおれは、思わず「えっ?」と聞き返した。聞いた本人はおれの反応でカアッと恥ずかしそうに顔を赤らめる。
「あの、本当にアルヘンソの治癒師なのか気になったのです。ラナ茶のこともありますし」
「あ、そうですね。えっと、アルヘンソ家との繋がりは確認できました。捕まえた男の治癒も彼女がしたようですが、出血もほとんどなく優秀な治癒師のようです。しばらく別荘に留まることになるかと」
「そうなのですね。では、明日改めてご挨拶します」
「じゃあ、明日のためにそろそろお休みになりましょう」
とスサンナが強引に会話に割り込み、ベッド脇のマナ石ランプを切ってしまった。幼子を寝かしつけるばあやみたいに、肩まですっぽりと布団をかぶせてポンポンと叩く。
「……デ・マン卿、おやすみなさい」
リアーナ様が恥ずかしそうなのは、家族以外の男性に「おやすみなさい」と言ったことがないのかもしれない。
「おやすみなさい、リアーナ様。良い夢を」
「デ・マン卿も」
スサンナを残して部屋を出ると、中からはまだ話し声が聞こえていた。
リアーナ様の調子によって寝入るまでスサンナが話し相手になることがある。うなされて起きるようなことがあれば朝まで傍についている。きっと、スサンナは明日この部屋で朝を迎えるだろう。
おれは部屋に戻って服を着替え、パンにチーズを挟んで口に放り込んだ。ベッドに潜り込んでも心配事がぐるぐると頭の中を渦巻いていたが、いつの間にか眠っていた。
気持ちよく寝ていたおれを起こしたのは侵入者の気配。ベッド脇に置いた剣をほぼ無意識で抜き、侵入者に突きつけた瞬間、おれは慌てて剣を下ろした。
「殿下、申し訳ありません!」
扉を背にユーリック皇太子殿下が腕組みをして立っている。
「みな眠っているのだから大声を出すな。だが、気づくのが少し遅いぞ」
「申し訳ありません」
窓の外はうっすらと白んでいる。そうしておれの新しい一日が始まり、リアーナ様のそばを離れる日も着実に近づいていた。
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